82話 多忙なるイシルさん
本日、イシルは 大忙しだった。
サクラを銀狼亭に送り届けると 先日約束した『逃げる手段』を 授けるために リズとスノーの二人と合流した。
「バログは鉱山へ帰したんですか?」
イシルが二人にたずねる。
バログとは先日木材を運ぶ荷馬車を引いていた ロバの魔獣だ。
鉱山に生える植物を餌とするので、鉱山にしかいない。
そして、女にしか懐かない。
「まだいますよ。そろそろ帰さないといけないんだけど、かわいくて……」
「それは好都合です 僕が二人に与えるのは 召喚獣です。魔獣と契約してもらいます」
それが、イシルがリズとスノーに与える『逃げる手段』だ。
「バログを召喚できるようになるってことですか?」
リズがキラキラした瞳で イシルに問いかける。
「そうです。バログなら山道、岩場や崖に強く、二人を乗せても走れます。この辺りを走るには適しているでしょうから」
「でもぉ、バログは平面だと そんなに早くないですよぉ~」
「ええ。ですから、もう一匹は 森や草原を早く走れる魔獣にします。契約は 一人一匹です いかがですか?」
リズとスノーは俄然やる気を出す。
「どうすれば 魔獣と契約できるんですか?」
「心を通わせるか、屈服させた上で 名を与えます」
「もう一匹は なんにするんですかぁ?」
「そうですね……フェルスは どうでしょう」
フェルスは イノシシの魔獣だ。体が大きく、力もあり、スピードが早い。大きな角と牙を持っている。
「ただ、フェルスは気性が荒いので、お二人に制御できるかどうか……」
リズとスノーが顔を見合せ 頷く。
「ワタシぃ、フェルスと契約したいですぅ」
スノーが名乗りをあげる。
「わかりました。危なくなったら僕が助けます。安心してください」
「「はいっ!」」
バログは リズが使役するようだ。
心が通っているので、すぐに契約できた。
名前は『バロン』
「バロン……男爵ですか」
リズとスノーは 早速バロンの背に乗りフェルスのいる山までイシルと共にやってきた。
「さて、準備はいいですか?」
目の前にフェルスがいる。
体長3メートル程の。
フェルスにしては少し小さい。
まだ若いのだろう。
スノーは 身震いする。
「止めますか?」
スノーはパチンと頬を叩き 気合いを入れ、
己の倍以上あるフェルスに向かう。
「行きますぅ」
スノーは フェルスの視界に入る。
″グルルル……″
フェルスの唸り声。
少しでも気を緩めれば やられてしまう。
スノーは フェルスの目を見つめ
臆することなく フェルスに対峙する。
心で呼びかける。
我の声を聞け……
我が声に応えよ……
我、汝と共に行く者なり……
″グルアアァァ!!″
交渉決裂。
フェルスがスノーに突っ込んでくる。
イシルがスノーを助けに向かおうとした。
「まだです、イシルさん」
リズが イシルを止める
「リズ、何を……」
「力比べです」
″ドオォ……ンッ!!″
両者がぶつかる。
スノーは フェルスの角を押さえ 持ちこたえている。
互角か?
ズズッ、と、スノーの足が地面に食い込む。
体格差がありすぎる。
「無茶だ!スノー」
「いけます」
リズは 助けに踏み出すイシルを引き留める。
「イシルさん、
リズが 静かに目を閉じた。
「……リズ?」
リズから力が抜ける。
イシルは崩れ落ちたリズを支える。
そして、その瞬間、スノーの力が膨れ上がった。
「うあぁぁぁぁ!!」
ぐぐっと フェルスを押し返したかと思うと
「ふんっ…………ぬああぁぁぁ!!」
フェルスの巨漢を持ち上げ――――
″グヒ――――ッ!″
投げ落とす。
ズドオォ…………ン
フェルスの戦意が喪失する。
ぱちっと、イシルの腕の中でリズが目を開けた。
イシルがスノーに叫ぶ。
「スノー、今です!名前を……」
スノーはフェルスに名をつける。
「汝の名は『デューク』我のしもべとなれ」
フェルスは立ち上がると スノーの前に
契約成立。
「まったく……先に言って下さい。トランス フュージョンできるなんて。大した双子です」
リズはスノーに自分の力を融合させたのだ。
その間、身体はトランス状態になり、無防備になる。
だからイシルに
この双子だから出来るスキル。
「デューク……公爵ですか。洒落てますね」
こうしてリズとスノーは無事 召喚獣を手に入れた。
この後、イシルは二人に武器の召喚方法を教え、リズとスノーを家まで送り届けた。
サクラの迎えはランディアに頼んである。
これが 朝から午後までの出来事。
その後 ギルロスにつかまり、ランディアの生い立ちを聞かされ、
ギルロスとランディアを銀狼亭に寝かしつけ(?)
家に帰って来て サクラとワインを楽しみ、
サクラの無防備な攻撃に 何とか理性を伴って風呂に入り 出てきたら……
「…………」
更なる攻撃が待っていた。
くったりと、サクラがソファーで眠っていたのだ。
「この人は……」
イシルはサクラの正面のソファーに座る。
「人の気も知らないで」
サクラは気持ち良さそうに寝息をたて、穏やかな顔で眠っている。
「確かに 寝るようには言いましたがね……」
イシルはワイングラスに 赤紫の液体を注ぐ。
テーブルの上でスワリングし、香りを熟成させ、口に運ぶ。
サクラの寝顔を眺めながら、サクラがそうしたように ワインに身を漂わせながら、息を吐く。
「はぁ……」
たしかに、旨いワインだ。
サクラが
ワインに
「ワインに先を越されるとはね……」
イシルは サクラを肴に ゆったりと ワイン一本を楽しむ。
シズエのかわりだったはずなのに
隣に居たくなった。
話し相手でよかったはずなのに
触れてみたくなった
捕らえているつもりだったのに
いつのまにか自分が捕らわれていた。
イシルは グラスを空にすると、
そっとサクラを抱えあげ、ベッドに運ぶ。
「僕は聖人君子じゃないんです」
腕の中のサクラが その言葉に応えるかのように、温もりを求めて すりっ と、イシルの胸に甘える。
「残酷な人ですね……」
そっとベッドに横たえる。
「甘えるなら 起きてるときにしてください」
そうすれば うんと甘やかすことが出来るのに……
起きていたら絶対やらないだろうが。
イシルは ベッドの縁に座り、月明かりに眠るサクラを しばらく眺めた後 そっとドアから出ていった。
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