つゆり

 弾力のないビニール袋を破ると、口をとめていた赤いテープが弾けて青い果実の香りが溢れた。


「……いい香り」

「でしょ。これをかぐと、夏が始まるのよ」


 栗の花が地面に広がる梅雨入り間近。

 母が毎年作る梅酒の用意を、私は手伝わされていた。


「いつも一人でやってるのに、どうして手伝わせるの」

「え?別にいいじゃないたまには。お母さん、そういう気分なのよ」


 面倒の臭いを隠しもしない私の言葉もどこ吹く風。

 お水入れて、と言いながらステンレスのタライを突き出してくる。その側面には、不細工に横に伸びきった私の顔が映り込んでいる。


 昨日、陽乃ひのと喧嘩をした。

 私は陽乃の一番でいたいし、陽乃の一番も私であってほしいのに。

 陽乃は私の気も知らないで、他の子とあんなに仲良くしてるから。

「私のことどう思ってるの」なんて怒ってしまった。

 陽乃も「碧だって、あたしがどう思ってるか知らないくせに」って言い返してきて。

 そこからは何よ何よの投げ合いだ。

 もちろん、私が悪いことなんて分かっている。

 でも、自分の気持ちはうまく言葉にできなくて。


 こんな風に、まるくていい香りのする形にできたらいいのに。


「梅はね、大事な種を守るために、果実に毒を持っているの。生きるためだから、仕方ないわね」


 母は言いながら、一つひとつ悪くなっていないか宝石を鑑定するように眺め、私に渡してくる。

 それを傷つかないよう優しく流水で洗ってから、タライに張った水に転がしていく。

 青い実の表面を覆う、チクチクとした毛が洗い流された。


「じゃあ、どうして漬けるとおいしくなるの?」

「アルコールや糖分で毒が分解されるんだって。毒があっても、時間をかければおいしくなるのよ」


 何事も、時間をかけてあげればよくなるものなのかもね。母はそう言って、私が洗い終わらない梅をそっと手で包んで洗っていく。


「今年はみどりの分も作るわよ」

「……私、未成年なんだけど」

「お酒を入れなければ、シロップになるのよ。水や炭酸水で割るだけじゃなくて、ヨーグルトにかけたり……今の時期なら、ゼリーにするのもいいわ」


 そうだ、作って陽乃ちゃんにも持っていってあげたら?

 母の提案に心臓が跳ね、手の上で梅が暴れる。

 なんとかそれを落とさないよう胸に抱えてから、うん、と短く返事をする。

 すべての梅を洗い終え、タライに泳がせる。銀色の側面に映る顔は、さっきよりもほっそりして見えた。


 タオルで手を拭いた母は「ちょっと待ってね」と言い残してキッチンから去り、すぐに戻ってきた。両手には大きなガラス瓶を提げている。


「お疲れ様。あとは二時間くらい浸してアクをとったら、水を拭き取ってからヘタをとるの」

「これを全部?」

「もちろんよ。一つずつ丁寧にやらなきゃ、おいしくならないんだから」

「ふうん。それで、ヘタをとったらどうするの」

「碧のはまず、味が出やすくなるように冷凍庫で一晩凍らせるの。そうしたら同じ重さの氷砂糖と交互に瓶に詰めて。だいたい一週間くらいで出来上がるわ」

「時間、かかるんだね」

「私の梅酒なんて早くても半年かかるのよ。待ってる間に歳とっちゃうわ。碧のはまだそれくらいで済むんだから、いいものよ」


 母は笑いながらガラス瓶を置く。

「このガラス瓶も消毒するのよ。綺麗な入れ物に詰めないと、悪くなっちゃうからね」


 午後の陽を背にして、私は竹串を使い無言で梅のヘタを取り除いていった。

 並んだ梅は綺麗な緑一色で、私はちょっとだけ満足した。

 そして、袋に入れて冷凍庫へ。

 よく冷えて、きちんと中身が出ますように。


 翌日、私は母からもらった瓶を熱湯で丹念に消毒し、さっぱりと乾かしてから冷えた梅と氷砂糖を交互に詰めた。

 ガラス、凍った梅、氷砂糖が触れ合い、ころころと心地いい音を奏でる。

 おいしくできるといいな。

 そうしたら、陽乃にゼリーを作ってあげるんだ。



 そして、一週間後。

 私のガラスの瓶は、午後の陽射しの色をした甘い露で満たされていた。

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