第7話 七夕の夜に

 昔々の日本国でのお話です。 

 その年の日本では、地面が激しく揺すぶられ、海からはとてつもなく大きな波が押し寄せてきて、たくさんの人々が亡くなってしまいました。家も人もほとんどが大きな海に呑み込まれてしまい、かろうじて生き残った人々たちは、これはきっと海と大地の神様がお怒りになったからに違いないと、完全に怯えて暮らしていました。

 狐と山犬が訪れた海沿いの村も、壊滅状態で、あまりの惨状に二匹は言葉もでませんでした。二匹ができることといえば、経を唱え大勢の死者たちの冥福を祈ることくらいです。修行僧に変化した狐と山犬は、大勢の人々を呑み込んでいった海に向かって、一心不乱に経を唱え、亡くなった人々が極楽浄土へと導かれるように祈りを捧げたのでした。

 長い長い経を唱え終わってから、山犬は顔をあげ、誰に言うともなく呟きました。

「かのん様やあみだ様は、この状況をどう思われているのかな? 師匠のことは尊敬しているし、信頼もしているのだけれど・・・時々、神様や仏様の考えていらっしゃることがわからなくなるんだ。なぜ、神様仏様は人々にこのような惨い仕打ちをされるのだろう? 」

 狐は黙って山犬の言葉に耳を傾けていました。やがて、

「何時の世も天からの雷は、善人にも悪人にも皆平等に放たれる。あたしはそこが納得できない」

 とキッパリ応えたのです。

「煩悩に支配される人々に、目を覚ますように、って放たれるのかな」

「それを善人にまで適用するのはおかしいし、不公平だわ」

「まぁ、善人であっても程度の差こそあれ、煩悩はあるわけだし・・・」

 山犬は天を仰ぎながらそう言うと、ポツポツと雨粒が落ちてきました。山犬の言葉を受け狐は、雨を落とす空を恨めしそうに見上げて、

「煩悩があってこそ人間っていうものでしょうが・・・」

 と低く呟いたのでした。


 来る日も来る日も狐と山犬は、海に向かい、経を唱え、亡くなった人々の極楽浄土を願って祈りを捧げていました。

 その日も、きつねと山犬がお経を唱えていると、山犬の足元に一枚の細長い紙がひらり、と舞い降りてきました。山犬がそれを拾い上げてみると、傍にいた狐が言いました。

「まあ、短冊じゃない。そういえば、もうすぐ七夕だもんね」

「七夕って? 」

「えっ~、あんた七夕も知らないの!? 」

 山犬の質問に狐は驚いて呆れながらも、織姫と彦星の話から、笹に飾る短冊が、やがて人々の願掛けを行う風習になっていった経緯を簡潔に説明してあげたのです。それを聞いた山犬は、改めて、拾い上げた短冊を見ました。すると

「天国に逝ってしまったお母さんが、キレイなお星さまになって、お空の果てからいつまでも私を見守っていてくれますように」

 と拙い文字で書かれてあったのです。山犬は目を潤ませながら、

「一体どこから飛んできたんだろう? 」

 辺りを見回しながら言いました。

「きっと近くに七夕の笹飾りがあるにちがいない。探してこの短冊を結んであげないと」

 二人は早速辺りを歩き廻ってみました。やがて海に面した高台に、笹の木が海風に揺れているのを見つけたのです。高台まで上がってゆくと、海がよく見渡せる場所に、七夕祭りのために準備された笹の木が立っています。笹の葉には色とりどりの短冊が結ばれており、それらは海風が吹く度に、さらさら、と音をたてながら涼しげになびいていました。狐は山犬が持っていた短冊を手に取り、笹飾りに追加しました。また強い海風で飛んで行ってしまわないようにしっかりと結びつけたのです。山犬は、笹に結んである短冊に書かれてあった願い事を一枚一枚、読んでいきました。


「海に連れていかれたお兄ちゃんが無事に天国に逝けますように」

「また家族と一緒に暮らせるようになりますように」

「海の神様のお怒りが静まりますように」

「お父さんが見つかりますように」

「きれいな水が飲めるようになりますように」

「お母ちゃんが成仏できますように」

「子供たちがお腹いっぱいになれるよう、食べ物をください」

「帰る家が早くできますように」

「これ以上、みんなが悲しいことになりませんように」

・・・等々。被災地の人々の願いでした。

「ううぅぅ・・・なんか・・・、切実過ぎて悲しいよ・・・」

 山犬は再び目を潤ませました。

「やだ・・・、泣かないでよ、もう、」

 と言った狐の目もうるうるしていました。二匹はもう一度、海風になびく短冊を眺めてから、その日は黙ってその場を去りました。

 後日、狐は山犬にこう切り出しました。

「ねぇ、あたし色々と考えたんだけどさ」

「うん? 」

「あの七夕の笹飾りにあった短冊のこと」

「あぁ、・・・切実過ぎる人々の願い事だったね・・・」

「あの短冊に書かれている願いがみ~んな叶ったら、ステキじゃない? 」

「うん。そうだね、叶うといいね、本当に・・・」

「違うわよ」

「えっ? 」

「あたしたちが叶えてあげるの」

「えっ?! で、でもでも、どうやって?? 」

 山犬は狐の提案にビックリしました。けれど狐は平然と続けます。

「あの願い事が書かれた短冊をぜんぶ霊符にしてしまえばいいのよ」

「は? 」

「いいこと? あの短冊の一枚一枚には人々の願いが込められているの。思い入れが強く、純粋な心で書いた願いよ。だからあたしたちの心を打ち、涙を呼んだのよ。そんな純粋な思いの入った短冊ならきっと霊符代わりとなって効験が得られるハズだわ」

「いや、ちょっと待ってよ。霊符にするには、神通力のある象形が描かれていないと、天には通じないよ」

「ええ、だから、大元の霊符はあたしが用意するわ」

「大元の霊符!? 」

「そ。〝大願成就符〟を元に、全ての短冊の願望をまとめて成就させるの。きっと、きっと、うまくいくハズ」

 狐は自分を鼓舞するように、力強く言いました。


 七月七日。

 その日は快晴で、夜になっても星々が明るく輝き、天の河も見えるほどでした。

 七夕祭りが終わると、人々は笹飾りを持って浜辺に集まりました。七夕が終わると、笹飾りの木は短冊ごと火で燃やしてしまうのです。短冊に込めた願いを届けるために、燃えて煙となって天まで昇らせるためです。

 狐と山犬は遠くからこっそり人々の様子を覗いていました。既に陽が暮れていたので、二匹は人の姿に化けることができません。師匠である観音菩薩との約束で、彼らが人の姿に成れるのは陽が昇っている間だけ、と誓約を交わしていたためです。それで、二匹は、遠くからひと目につかぬよう見ていたのです。


「ねぇ、あの短冊に火が移ったと同時に、この〝大願成就符〟を火の中に投げ入れてきてくれない? 」

 狐はこの日のために準備して自ら謹製した霊符を見せながら、山犬に依頼をもちかけました。

「え? 何で自分でしないのさ? 」

「それが出来れば言われなくても自分でやるわよ。でも、あたしのこの優雅な白い見た目では、暗い場所でも目立ってしまうでしょう? 万が一、また捕まえられたりしたらどうするのよ! その点、全身が黒のあんたの方が、人に見つからずに霊符を投げ入れることが可能でしょう? 」

「ああ、・・・そう。わかったよ。で、火の中に投入する際、何か真言を唱えないといけないのかな? 」

「真言はあたしがこちらで唱えるから、大丈夫。あんたはタイミングを見計らって、短冊が燃え尽きてしまう前に霊符を投入してちょうだい」

「了解」

 山犬は、笹の枝と短冊に火が燃え移ると同時、瞬時に走り出しました。そして、口にくわえていた〝大願成就符〟を絶好のタイミングで火の中に投入したのです。狐の方も、霊符と短冊が燃える間に、素早く印を結び真言を唱えあげました。

 短冊と霊符はすぐに燃え尽きて煙となり、天にまで昇るとやがて、海風に乗って彼方にまで消えてゆきました。


 山犬が一仕事を終えて、狐の元に戻ってきました。すると、狐は山犬を見た途端、吹き出してしまいました。山犬は、立派に仕事をやってのけたので、狐から褒められて感謝されると思って喜んで戻ったのに、がっかりしました。それで、狐の態度に不満を露わにします。

「ちゃんと霊符を投入してきたのに、なんで笑うのさ! 」

「いや、だって・・・山犬、ヒゲがチリチリになってるから・・・ぷぷぷ」 

 山犬は、短冊が燃え尽きてしまう一瞬のタイミングを逃すまいと必死でした。短冊と霊符を同時に燃やすため、確実に霊符を投入できるよう、より火に近づいた結果、山犬の長い立派なヒゲは火の熱で縮れてしまったのです。狐は慌てて言い直しました。

「ゴメン、ゴメン。山犬は霊符を確実に投げ入れるために、熱いのを承知で火に近づいていってくれたんだよね? お陰で、ちゃんと短冊と霊符が一緒に燃えて煙となって天に昇っていくことができましたよ。ありがとう。山犬、顔、火傷しちゃったかな? 大丈夫? 」

 山犬は狐の言葉に安堵して

「大丈夫だよ、平気。それより人々の願いが天にまで通じるといいんだけど」

 と続けました。


 さて、天に舞い上がっていった短冊と霊符の煙は、風に乗って日本の方々にまで広がってゆきました。その結果、この海辺の村村で起こった災害は広く人々に知れ渡り、全国各地から支援物資が送られてきたのです。ある地方からは、山や畑で採れた山菜や野菜、豆、穀物、米などが、幾日もかけて運び込まれ、被災地での空腹は解消されました。また近隣の地方は、井戸水や川の水を供給し、飲み水や農作用の水問題が解消されました。またある地方からは、左官工や様々な職人がやってきて、被災した家屋の建て直しを手伝いました。それから、地方の役人もやってきて、未だに行方不明の人々の捜索を手伝いました。こうして海辺の被災地は少しずつ復興していったのです。

 狐と山犬は、徐々に明かりが増えていく海辺の村を、満足そうに眺めてから去ってゆきました。


 そして・・・死者の冥福を願った人々は、それぞれの夜に、亡くなった人の夢を見ました。

彼等は皆、

「故人から〝お陰様で無事に極楽浄土に導かれた〟と、嬉しい報告を受けた」

という、何とも不思議な夢を見たのでした。

 狐が誠心誠意込めて謹書した〝大願成就符〟は短冊に書かれた人々の願い事をちゃんと、天にまで通わせたのでした。

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