第5話 ひな人形の呪い

 昔々の日本国でのおはなし。

 とある村に年頃の娘さんがおりました。しかし、その娘さんは何時まで経っても結婚できずにいたのです。特段容姿が悪いわけでもなく、むしろそこそこの器量よしなので、普通に縁談の話が進んでもおかしくはないハズなのですが、何故か、この娘さんの所にだけは縁談がなかったのです。いえ、過去一度もなかったわけではございません。二三度ほど、ぜひお嫁さんに、というお話はあったのですが、さあ、結納を交わそう、という段になって何故か先方から断りの意志を伝えられるのでした。

「あそこの娘さん、また破談になったらしいよ」

「えっ!? また? 」

「どうしてだろうねぇ。そこそこキレイな顔立ちなのに・・・」

「こういっちゃーナンだけど・・・あそこの三軒先の娘さんの方がよっぽど不細工なのにさ、すぐにお相手は見つかったよね」

「なんでだろうね~」

「やっぱり性格が悪いのかな? 」

「いやいや、性格ももっぱら良いって、噂だよ。誰にでも親切で愛想もよくて・・・」

「それじゃあ、何で縁談が進まないだろうか? 」

 こうして村人たちの間でも話題の種にされるほどでした。


 修行僧に扮した狐と山犬が托鉢を行うためにこの村を訪れてから、数週間が経とうとしていました。

 たまたま村人の噂話を耳にしてしまった山犬は、このことを狐に話してみたのです。

「ねえ、その娘さんが何か気の毒だよね。どこに問題があるのかな? 」

すると狐は

「そりゃあるでしょうよ」

と、にべもなく答えたのです。

「えっ? 」

山犬は驚いて狐を見ました。そして

「どういうこと? 」

と訊いたのです。すると狐は

「あの娘には〝ひな人形の呪い〟がかかってるの」

低い声でいいました。

「〝ひな人形の呪い〟? 」

「そ。あの娘の家では毎年桃の節句には豪華な五段飾りのひな人形を飾るそうなんだけど、それを仕舞うのがいつもいつも雛祭りが終わって随分経ってかららしいのよ。いつだったか、端午の節句が始まってもまだひな人形を仕舞ってないっていうヒドイ年があったそうでさ」

「そんなことで、呪われるの? 」

「あのね、ひな人形は雛祭りが終わってすぐにお雛さまをしまわないと婚期が遠のくって言い伝えがあるの」

「ふ~ん。でもそれってただの言い伝えでしょ? 呪い、なんて大袈裟なもんじゃないんじゃないの? 」

「まぁ、呪い、とまではいかないまでもさ、あたしから見れば、桃の節句が過ぎても片付けないでいられる無神経さって、いつお雛様の逆鱗に触れてもおかしくはないって想うワケ。そんな、片づけられない女、奥さんにしたら大変でしょ? おそらくは縁談の話があった時点でお相手の御両親が色々噂を聴いていたんでしょうよ。要するにね、だらしがないのよ」

「うわっ、言うよね~・・・」

その日、娘に関する会話はこれだけで終わり、それから数日が過ぎてゆきました。


 ある日のこと、狐は、婚期を逃すという噂の娘さんが川辺にいるのを発見しました。

「ああ、神様・・・私は何度縁談のお話を戴いても、その度必ず先方から断られる始末。恥ずかしいことに既に村中に私の噂が広まっています。これ以上両親に迷惑をかけて世間の笑いものにされるくらいなら・・・」

 そう言って娘さんは川の中に入ってゆき、どんどん沈んでゆきました。

 茂みからその様子を見ていた狐はとても驚きます。慌てて傍に立っている樫の木の枝から大きめの葉っぱを一枚ちぎって額に載せました。それから両方の前脚を鼻の前でピタリと合わせ何やら呪文を呟いてみせたのです。

オン・アロリキヤ・ソワカ・・・オン・アロリキヤ・ソワカ・・・オン・アロリキヤ・ソワカ・・・

 すると次の瞬間、狐は純白の着物を着た神々しい女人の姿かたちに変化したのです。女人の姿となった狐は急いで娘の後を追って川の中に入り、沈みかけていた娘の手を引いて、岸まで引き上げたのです。そして娘に向かってこう言いました。

「可哀そうな娘さん。でも絶望することはないのですよ。私が何とかあなたの悩みを解決してあげますから。明日の今頃、またこの場所においでなさい」

 この言葉をきいて、娘さんはとても驚き、次に瞳から大粒の涙をぽろぽろ流しながら

「でも・・・」

とその場で泣き崩れてしまったのです。狐は

「まぁまぁ、そんなに悲しまないで。私はあなたの悩みを御見通しなのですよ。縁談が決まらない原因は判っているのですから」

そう言って着物の袖口で娘の涙を拭ってやったのでした。



「面倒くさがって片づけられないのは判らないでもないけれど、死ぬほどのことかな? 」

 戻ってきた狐から、事の一部始終を聞いた山犬は呆れてこう言いました。

「当人にとっては何度も破談になったことが死ぬほど恥ずかしかったんでしょうよ」

 狐は濡れた身体をプルプル震わせながら答えます。

「で? どうやって娘さんのお悩みを解決するの? 」

「霊符を授けてあげるの」

「霊符? そんなものどこで手に入れるのさ」

 山犬が頸を傾げながら訊ねると

「ふふん。今からね、あたしが霊符の謹書をしてみせるわ。まだ覚えたてで、ちょっと時間がかかるけど・・・」

 狐はそう言って、小川の方に向かってゆきました。狐は無言で小川の水をすくいあげ、一口飲み干します。そして用意していた瓢箪の入れ物に小川の水を汲むと、岸にそれを置いたまま小川の中に入っていったのです。狐はばしゃばしゃと音を立てながら全身に水をかけました。それから岸にあがると先ほどの小川の水が入った瓢箪の入れ物を持って、帰って行きました。山犬の元に戻ると、狐は一枚の和紙と硯に墨、細筆を準備し、何やら長い呪文をぶつぶつと唱えながら香を焚きはじめました。香の前で綺麗に正座をし、深呼吸を一つして息を整えます。山犬は興味深々の様子で一連の狐の動作を眺めています。やがて狐が

「今から私が霊符をしたためるから、よく見ておきなさい」

 そう言って瓢箪に入った水を数滴、硯にたらすと墨をすりはじめました。やがていい具合にすりあがると、細筆を手に取り、

「天円地方(てんえんちほう)

 律令九章(りつれいきゅうしょう)

 呉今下筆(ごこんかひつ)

 万鬼伏蔵(ばんきふくぞう)

 急急如律令(きゅうきゅうじょりつれい)」

 と唱えながら、広げた和紙に一気呵成に霊符をしたためてゆきました。

和紙に描かれたのは漢字で描いた文字のようですが、それを読んで理解することが山犬にはできませんでした。狐は書き終わった霊符の前で印を結ぶと、また何やら長い呪文をぶつぶつと唱え、次に霊符を手に取ると、それを香の煙にくぐらせながらまた呪文を唱えたのです。やがて呪文を唱え終えると狐は静かに霊符を置いてから満足げに

「これでよし」

と言いました。

 山犬は霊符を謹書するにあたっての厳かな一連の流れと、出来上がった霊符を見て興奮を覚えました。まるで芸術的な作品を観て感動を得たような。そんな高揚感に尻尾を振りながら、

「これで霊符が完成したの? ねぇねぇ、どういう効果があるの? コレなんて書いてあるの? 」

 狐に矢継ぎ早に質問をしました。

 狐は興奮した弟弟子に落ち着く様にと両手でなだめるようにしながら

「これは〝男子思慕符〟(なんししぼふ)という霊符。これさえ持っていればね、やがて素敵な男性から愛を寄せられるようになるわ」

 狐は自信満々に答えたのです。しかし、それを聞いた山犬の方は先ほどのようにもう尻尾は振っておらず、すっかり興奮も冷めきった様子。そして少し低い声で唸るように

「へぇ~・・・」

と応えただけでした。山犬のその表情からは

「ほんとかな~ 」

という疑いの念がありありと出ています。狐は少々不満げに

「何よ、あんた、疑ってるのね」

と言うと、山犬は難色を示しました。

「だって~・・・当人の努力と精神力を後押しして解決できるものならまだしも、相手の気を惹こうなんてさ、ちょっと眉唾もんだよね」

「ふん、あんたもまだまだ苦労が足りないわね。この世の中にはね、どんなに努力をしたって報われないことがたくさんあるの。それどころか、自分はなんにも悪くないのに、突然脅されたり、盗まれたり、財産を没収されたり、もっと酷いことになると殺されたりすることだってあるのよ! こんな理不尽な世の中だからこそ、あたしたちは、観音菩薩様と下界に降りて経を唱え、人々に癒しと極楽浄土への道筋を教えてきたんじゃない」

「だったら、そんな御札じゃなく、あの娘さんに観音経のひとつでも唱えて教えてあげればいいんじゃないの? 」

「既にやってます」

「え? 」

「あそこの娘さんは信心深い両親の元、幼いころから熱心に経を唱え毎日、法華経の写経にも励んでおられます」

「あ、そう。じゃあ、極楽浄土間違いなしだし、そのうち願いも成就されるんじゃないかな」

「違うでしょ! 」

狐が金切り声をあげて山犬を非難しました。

「? 何が違うの? 」

キョトン、とする山犬に狐は、はぁ~・・・と溜息をつき首を左右に振りながら言いました。

「あんた、何にもわかってないのね。あの娘さんが極楽浄土に行くのはまだまだ先の話でしょうが。それに、人間だったら誰しも生きているうちになるべく早く願いを叶えて幸せになりたいじゃない。これまで色々な人たちを見てきて、人間の欲ってそういうモンじゃない? 彼女の場合、それが結婚なのよ! ところが、妙齢になっていくら経を唱えて写経しても未だ結婚には至っていない、これが現実よね!? 」

「う、うん・・・。まぁ、そうだね。それは・・・まだまだ彼女の修練が足りないからじゃないかな」

「うわっ、ひっど~い! 」

狐は山犬に軽蔑の眼差しを送りました。すると山犬は慌てて

「いや、だってさ、法華経の二十八品を空で唱えた上に写経までしているのに、未だ功徳を得られずというのはやはり、整理整頓が出来ていない日頃の行いというか・・・その、まだまだ修行と信念が足りてないというか・・・」

「おだまり! 」

 狐は山犬の言葉をピシャリ、と遮りこう続けました。

「そう、あんたの言う通りよ。どんなに上手く経を唱えて写経が出来ても、日頃の行いの善さに加えて日々の修練、強い信念なくして功徳は得られない。あたしたちはそう教えられた・・・でもね、この世の人々には生活していく上での日常、っていうものがあって、修行僧や仙人のように毎日修行を積んでいる暇なんてないのよ。そうこうしているうちに寿命が尽きてしまうかもしれないわ。この世の人々はあたしたちと違って予め命数が定められているの。観音菩薩様は何でそこんところを配慮してあげないのかなって、あたしは前々から思っていたのよ」

「命数ねぇ・・・」

山犬は顎に手を添え思慮深く呟きました。

「だから、あたしはこうして霊符というもうひとつの神仏頼みを勉強しているの」

「一体どこでそんなもの習ったのさ」

「山の中腹にある洞穴に修験道がいてね、修行の様子を興味本位に眺めていたら、あたしも霊符とか呪文とか使いたくなったの。それで毎日こっそり見に行ったり、術が書かれている書を盗み見していくうちに見よう見まねで出来るようになったのよ」

「えっ、そんなことして大丈夫なの、かのん様にバレて叱られない? 」

「この世界で苦しんでいる人々を癒し救済するのがあたしたちの役目でしょ。そのためにこうして下界に降りて修練を積んでいるんじゃない。これも修行のうちよ」

「でも・・・」

「もう、何ウダウダ言ってるのよ! 要するにさ、人々の願いが叶って幸せになればいいワケでしょう? それを遂行するにあたって、より合理的な方法を実践しているの、あたしは。神仏の加護を得るための方法は多ければ多いほど、より早く願望を成就させられるに違いないんだから。それに〝経を唱える者は霊符の所持を禁ずる〟なんて教えはないでしょう? 」

「いや、でもさ、かえって集中できなくて、神仏の加護もあちこちに分散して薄れていってしまいそうな気がするんだけど・・・」

「あんたの言ってることは真逆よ。毎日欠かさず法華経を唱え、写経を続ける真面目な娘さんに、この霊符を授けたならば、相乗効果によってより一層の霊験が得られるってことよ」

「そうかな~? 」

「そうよ。霊符はね、信念をもって大切に所持していれば必ず応験が得られるものなの。たとえ整理整頓が苦手な女性でも、そんな欠点をも赦して愛してくれるステキな男性がきっと現れるハズよ」

 未だ疑念の目を向ける山犬を無視して狐は娘と約束していた川辺に向かってスタスタと歩いていってしまいました。


 その娘さんは狐との約束どおり川辺に来ていました。狐は茂みから娘の姿を確認すると、前回と同じように、樫の葉っぱを一枚、額に載せ呪文をひとつ唱えると神々しい女人の姿に変化を遂げました。そして娘の前に現れると、自ら謹製した霊符を娘に手渡しながら言いました。

「よいですか、娘さん。この霊符をあなたに授けます。何処へ行く時も必ず所持しておくように。そしてこれまでどおり、神仏を信じ毎日経を唱え写経もしていれば、必ずやよい縁談がきてあなたは嫁ぐことができるでしょう」

 娘は渡された霊符を両手で大事に持ちながら丁寧にお礼を言いました。

「まぁ、このような立派な御札を見ず知らずの私に授けていただけるなんて。何故ここまで親切にしていただけるのですか? 」

「私もまだまだ修行の身ではありますが、娘さんが死をも考えるほど悩んでおられる姿が不憫で・・・とても放ってはおけなかったのです。この符はあなたの信念がブレなければ必ずや効験が得られるはずです。どうか信じて頑張ってください」

 狐は娘さんにそう言うと踵を返しさっさと川辺を後にしました。


 娘は狐が言った通り、毎日経を絶やさず何処へ行くにも霊符を携帯しました。

 それから数週間が過ぎたころでしょうか。娘は都からの所要で来ていた若い商人と出会いました。商人はとにかく移動が多く忙しなく動く仕事の影響からか、あまり細かいことを気にしない、大ざっぱで鷹揚な性格でした。

 やがてこの男性に見初められた娘さんは無事嫁ぐことができたのです。そして、商人と一緒に全国を巡ることで、一カ所に長くとどまることもなく、苦手な整理整頓や片付けも最低最小限で済ませる生活を送ることが叶ったのでした。

 めでたし めでたし。

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