第5話 ロージの襲撃
”妃よ、なんじゃか、先ほどから腐臭が漂ってくるぞ”
と月光を浴びながら、森林の風を楽しんでいた風竜王は、横にいる風竜妃に思念で話しかけた。
”人属が言う、死人の森が近いから、アンデッドどもが湧ているのでしょう”
と組んだ前足に、頭を載せたまま目を瞑った風竜妃が答えた。
”ただ、湧いているだけでは無さそうだな。
”誰かが、誰かに悪さでもするのでしょ。人属とは大昔から同じ事をやっておる。我らからしたら雨粒のようなもの。生まれ出て、あっという間に消える存在なのに”
”妃よ、エストファを覚えておるか? ”
”ええ、でも昔のこと。彼も雨粒の一つ”
◇ ◇ ◇
今、エレサは私の横でうとうとしている。コクリコクリと頭を揺らし、時折、私の腕にもたれ掛かって来るその仕草は何とも可愛い。私は腕をゆっくりと抜いて、クッションを枕に寝かせた。顔に掛かった髪の毛をたくし上げると、屈託無い寝顔がそこにあった。
’この子の顔を切るなどとんでもないことだ。何としても、この子を守りたい’
父として、この子の人生を守りたい。
少し前、シーク殿の家を後にして、二十騎の近衛に守られながら夜の森を疾駆している。ここは『死人の森』に近く、アンデッドが多く出没する。聖霊師がいれば、アンデッドに対して心強いのだが、今日は連れてきていない。
そう言えば、帰り際に
「聖霊師をお連れで無い様ですが、お気をつけてお帰りください。その向こうは死人の森ですので」
とシーク殿は声を掛けてくれたが、聖霊師を連れてくるのを拒んだのは、シーク殿本人なので、この言葉には少し引っかかる物があった。
———聖霊師は、回復魔法や浄化の魔法を使って、聖素を生命エネルギーの元にしている人属やその他の生き物を死の淵から救い出し、穢れを浄化することが出来る。一方で、魔素を生命エネルギーの元としている魔族、魔物、そしてアンデッドには対しては致命的なダメージを与える事が出来る———
ロージは何処へ行ったのか。この子の呪いが進行しているので、まだ生きているとシーク殿は言っていたが、あの屋敷の一件以来、行方知れずになっている。あまり気が進まないが、異端審問官を使って始末をつけるか。
ロージの処置を考えていると、外が騒がしくなった。
「陛下、邪魔者が現れました。このまま突っ切ります」
「アンデッドか? 」
と外の近衛長に聞いた。
シン王国の剣は、聖霊樹から流れ出た聖素を多く含むミクラ湖の水で研がれている。そのため、聖素を多く含み、下級魔族やアンデッド程度であれば簡単に消し去ることが出来るはずだ。
「はっ。異常な数です。全隊、ランスを前衛にした魚鱗隊形! 早足で駆け抜ける」
と近衛長が強行突破の指示を出した。
ううううう、ドタドタ
———不気味なうめき声と何かが当たる音———
馬車でアンデッド共を蹴散らしたようだ。
「エレサ、起きなさい。さあ、一応、コートを着なさい」
と私は万が一のためにコートを着せた。このコートも聖素を多く含む糸で作られている。
まだ、エレサは寝ぼけている。無理もないことだ。
ドカッ
———激しく何かがぶつかる音———
私は咄嗟にエレサを胸に抱いた。馬車が大きく傾き、そして天地が逆になったかと思ったら、体中に重い痛みが走った。最初は何が起きたのか理解できなかったが、扉が上にあるのを見て、馬車がひっくり返った事を悟った。
「円陣を組め、陛下を守れ」
と外が騒がしい。痛みで息が出来ない。エレサが泣き出した。
私は痛みを追い払うように
「うーん、…… エレサ、大丈夫、大丈夫だよ。どこか痛むのかい? 」
とエレサに聞いた。
「えーん、わかんない」
と言葉にならない位、驚いたようだ。
キン、ガチ
———剣戟の音———
「陛下、大丈夫ですか? 陛下」
と外から近衛が呼びかけてきている。
「大丈夫だ」
と私は答えたが、その近衛は、
「ぐっ、がっ、あー」
と苦悶の声を出しながら、遠ざかって行く。
「どうした、何が起きている? 近衛長!」
と私は近衛長を呼びつけた。
「陛下、死霊魔術師です。変な術を使って馬車をひっくり返しました。馬を用意いたしますので、こちらへ」
と上になった馬車の扉を開けて手を出してくれた。私はエレサを渡し、そして自分の力でよじ登った。
転倒した馬車の上に登って、驚愕した。
そこは、アンデッドの海だった。
近衛たちが、シン王国の剣で対処するが数が多すぎる。このままでは海に呑み込まれる。
◇ ◇ ◇
———教会聖都、修道院———
「ミリー、陛下に何かあったようじゃ」
「ふむ、私も感じた」
とミリーがレミーに答えた。
———見分けがつかないほど、そっくりの双子。外見は三頭身で耳が長く、その丸顔は五,六歳の子供にしか見えない。しかし、ロッパ大陸全土の聖霊教会の頂点に立つ最高司祭として、その聖霊魔法は絶大な力を持つ———
「メリルキン! 、メリルキン!」「キン!」
と最高司祭である双子の聖霊師が、ほぼ同時にホモンクルスで執事のメリルキンを呼んだ。
「失礼いたします。お嬢様方、如何いたしましたか? 」
とメリルキンは、隣の部屋に続く扉を開け、右手を胸にお辞儀をした。
「うむ、すぐに姪たちを、おお、もうそこに来ておるか」「おるか」
と廊下に続くドアを見て呟き、そして続けて、
「それならば、サイモンとベルナンドを呼べ、緊急事態じゃ」「じゃ」
と命令した。
メリルキンと入れ替えに、二人の長身の女性が入ってきた。
「叔母上、陛下の身に何かあったようです」
と女性の一人、ミキアが答えた。
そして、もう一人の女性 ロキアが、
「場所は、死人の森の方角かと」
と話しながら部屋に入ってきた。
———この二人も見分けがつかない双子。スラリとした体型に薄緑色の長い髪、端正な顔立ちの成人の女性である。二人とも長く白いローブの下に白く輝く胸当てと、両腕には、金で象嵌された銀色の小手、スッと伸びた脚には、これも金で象嵌された銀色のブーツを履き、その手には、聖霊樹から切り出された身の丈ほどの杖を持っている。出で立ちは聖霊戦士の衣装である。そしてミキアは聖霊樹の葉をモチーフにした髪飾りを右側に、ロキアは左側にしている。———
「おお、二人とも既に準備は出来ておる様じゃな。早速で悪いが、高速艇で死人の森近くまで行ってくれまいか」「くれまいか」
と最高司祭は、二人の戦士に命じた。
「判りました」
「あの辺りだとすると、アンデッドでしょうか。聖霊師が居れば問題にならないはずですが」
とベットから降りようとする最高司祭に、手を貸しながら聞いた。
「我らの見立てでは、聖霊師はおらん。いずれにしても、早よ、行くのじゃ」「行くのじゃ」
と床に降り立った二人は、ミキアとロキアをせかした。
「おお、サイモン将軍、陛下に身に危機が迫っておる。すぐに最速の騎兵で向かうのじゃ。相手はアンデッド辺りじゃろうから、装備は任せる。ベルナンドは、サスリナ妃に知らせて、落ち着かせよ。良いか、決して向かう事の無いように説得するのじゃ。良いな」「良いな」
と双子の最高司祭は、指示を出した。
◇ ◇ ◇
「騎士長、ここでは、まだ駐屯地まで遠い。ミクラ湖に行け」
と私は、騎士長に指示を出し、エレサを胸に抱いて馬で強行突破を試みようとした。
騎士長は、
「心得ました。全員、聖水を剣、ランスに流せ」
と騎士長は突破の準備をし始めた。
その時、
「キー、イヒヒヒヒ、無駄、無駄、無駄、無駄、無駄、キャ、キャ、ウー」
と奇っ怪な声が聞こえてきた。
騎士たちが一斉に聖石のライトで照らす。アンデッドたちが道を空けたその先には、ボサボサの髪と、ボロボロの服、顔は垢で真っ黒、そして手足は何か赤黒い物で濡れている女が立っていた。
「お前は、ロージか? 」
と私は聞いてみた。面影は残っているが、女の目は焦点が合わず、よだれを垂らしている様は、とてもスペル家の長女と思えなかった。
「キー、イヒヒヒ、そこに居るのは、殿下かい。会いたかったよ。私の愛おしい人。私に会いたくなったのかい? イヒ、キー。お前なんぞ、もう必要とはしないぞ、あの売女は何処に行った? ああ、居た。胸に大事そうに抱えられて。キー、悔しい。口惜しい。売女のくせに殿下に気に入られて。おい、売女、どんな手を使ったのだ? ベットではさぞかし、張り切ったのだろうな。キー、イヒヒヒ …………」
その狂った女は、エレサをサスリナと勘違いして、一人で喋りまくっている。とても子供に聞かせる事ができない言葉で、しばらく罵ってきた。
「止めろ、お前は狂っている」
と、私の胸の中で恐怖に震えて言葉が出なくなったエレサを気づかい、『ロージ、お前を殺す』とは言うことが出来なかった。
「キー、キー、ウー、ウー、ウー」
と奇っ怪な言葉を発し、腕を掻きむしって血を流し始めた。そして不気味に曲がった杖を一振りすると大地から新しいアンデッドが湧いてきた。それは、空中をフワフワと漂い始め、杖を持っていた。
「ワイトだ、弓隊! ワイトを打ち落とせ」
と騎士長が命令した。聖水に浸した矢を射かけるが、悉く魔法で落とされた。そして、奇っ怪な雲をこちらに浴びせてきた。コートや鎧から、シューと湯気の様な物が出てくる。
「死ね、死ね、キー、キー、イヒヒ、死ね、……」
とロージは連呼し始め、アンデッドたちが向かってきた。
「このガスは、聖素の効力を奪っている。すぐに、ミクラ湖へ! 」
と私は号令したが、アンデッドが壁の様に立ちはだかった。
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