第14話、夢を叶える

十数年前、俺は田舎から上京してきた。

何も夢などなく、ただ、田舎から出たかった。

部屋を探してる最中、格安の家賃を提示され、飛び付いた。


「幽霊物件ですか?」


「いや、いやいや…幽霊物件じゃありませんよ。事故物件。事故物件です。前の方が自殺されて…それでこのお値段なんです。」


どんな物件でも自分にはありがたかった。

移動費、生活費、家賃とにかく何でも抑えたかった。

仕事がまだ決まってないのに飛び出してきて、最初にこんな良物件を手にいれられるなんて俺はラッキーだ。今後もきっと上手くいくと思った。

部屋を内見した時、とくに変な雰囲気はなかった。変な匂いやシミもなく、俺は即決で部屋を決めた。


今でも思うことがある。

この部屋にしなければ、運命は大きく違っていたはずだ、と。


ぴちゃ…ぴちゃ…


夜中、目が覚める。

またかと思い、瞼を閉じる。


ここに引っ越して来てからしばらく過ぎた。

働き口がまだ見つからず、俺は憔悴していた。

そんな中、最近真夜中に水が垂れる音が響く。

最初はシャワーや蛇口をきつく閉め直していたが、一向に直らないのでそういうものだと割りきった。


「あー…あー」


わかっている。

ただの水漏れじゃないと。


「あー…あー」


不動産屋の事故物件の言葉を思い出す。


「あー…あー…」


なんなんだよ


「あー…あー」「うるせぇんだよ」


俺は吐き捨てるように言って舌打ちした。

完全に幽霊物件だ。

ただ、金額がとても魅力的なこの部屋を手放すつもりはなかった。


また数日がたった。

状況は変わらず、ただ今日は田舎から荷物が届いた。

荷物には俺が残した衣類と畑から取れた野菜やレトルト、そして母ちゃんからの手紙があった。


母ちゃんの手紙には当たり障りのない事ばかり書いてあった。

一生懸命育ててくれた、なのに田舎から飛び出してきた俺に対して恨みごとぐらい書いてもいいのに。

俺は手紙を握りしめ、泣いた。

もし、明日も職探しがダメだったら…帰ろうか。

俺は帰る場所がある事がなによりも嬉しくて、安心して床についた。


ぴちゃ…ぴちゃ


「あー…あー」


またか、目を開けずにうんざりする。

こいつは何を訴えてるんだろうな。

なんか未練があって、いるんだろうか。


俺はうっすら目を開けた、次の瞬間にはぎょっとして眠気なんて吹き飛んだ。

俺の目の先に、真っ黒い人影が今日来た段ボールをお辞儀のような姿勢で覗き込んでいるのが見えた。


「あー…あー…ああ、あああ、うぅぅぐぅう」


無機質な声から嗚咽を漏らすように、堪えきれない何かを必死に抑えているようだった。

俺は体を起こして、それが何を見ているのか

確認した。

そいつが見ていたのは、母ちゃんの手紙だった。

そして、最初は何を言っているか分からなかった呻きが段々と言葉に変わっていった。


「ぐ…ごめ、ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんよ、お母さん…ごめんよぉ」


その言葉を聴いて俺はその黒い人影の隣に立った。


「お前…この部屋に住んでいたやつか?」


「ごめんなさい…ごめんなさい…」


返事はなく、ただ母ちゃんの手紙に謝り続ける。


「…何がしたくて、一人暮らし始めたんだ?」


この質問をすると、黒い人影はぴしゃりと黙った。

しばらくすると消え入りそうな声が耳に響いた。


「働いて、仕送りして、それでお母さんを楽にしてあげたかった…なのに、仕事見つからなかった」


じゃあ、帰れよと思ったが数刻前の俺だって帰るなんて選択肢は頭の中になかった。

そう、選択肢がないんだ。こいつの中には。


「帰ってやれ。」


俺は人影に言った。


「帰れ、お袋さんがいる場所に。まだお袋さんが生きてるなら実家に。死んでるなら、親子の絆を使うとか奇跡信じて、肉体がないんだ。もう何でもありであらゆる手段を取って…帰れ。いや、お袋さんに会いに行け」


「で…でも、夢…ボク…」


「俺が代わりに叶えてやる」


その言葉を聞いたやつは、初めて俺を見た。

いつの間にか、そいつは黒い人影から情けない程涙で顔をぐしゃぐしゃにした青年になっていた。


「お前の夢はなんだ?」


「ぼ…ぼく…ぼくの夢は…」


じりりりりりり


目覚ましがなった。

夢、夢だったのか。


俺は体を起こして、昨日の荷物の方を見た。


「ん…?」


すると、そこには万年筆が一本落ちていた。

俺はそれを手に取った。


「これがお前の夢、なのか?」


俺はその日、大家さんに会った。

前の住人の事を聞くと、どうやら貧しい青年だったらしい。

それでも、家賃は遅れたことはないし、しっかりしている青年だったようだ。しかし、立て続けて就職に失敗し…自殺してしまった、と。


「あの…その人、なんか夢あったんですか?」


「えぇ、もちろん。その子ね、記者になりたかったみたいよ」


「記者…」


「自分で書いた記事をお母さんに見せてあげるんだって言ってたわね」


「そうですか…」


俺は胸ポケットに入れたペンに触れる。

わかった、記者だな。

必ず、なってやるよ。ちょっとの間だったけど同居してた仲なんだからな、俺たち。


あれから十数年、俺は部屋を変えていない。

ただ、生活は変わったかな。

満足な結果じゃないが、俺はなんとか就職し、まだ続いている。


俺はしがない記者だ。

三流雑誌でオカルトの記事を書いている。

いつか一流になるから、もう少し待っててくれよな。

今日はいつも胸ポケットにしまってある万年筆のメンテナンスをしている。

そんな時だった、携帯がなった。

画面を見ると、うるさい姉から生まれたうるさい姪だった。


「なんだ?さと美、今日は俺」


「おじさん!お願い!助けて!」


「は?おい、落ち着けよ、なんだよ」


「と…友達が呪われちゃって、どんどん酷くなってて…お願い助けて」


「呪い…?」


「お願い、この事頼めるのおじさんしか、いないの!お願い助けて、まきを助けて」


あの日、あの時…この部屋を選ばなかったら、きっと大きく運命は変わらなかったはずだ。

今は、そう思わざるを得ない。

これから起きる事を考えると、ね。

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