Chapter 2


――この章では新たなホビーと出会った才華が初めてのミニチュア組立とペイントを経験することとなる。ミニチュア製作は楽しいホビーだが、未経験者にはハードルが高く感じるものである。(実際はそうでもないのだが) 読者の中にもし未体験の方があれば、この機会に才華とともにミニチュア製作に挑戦してみるのもいいだろう。――



「あーっ!! もうっ!! こんなの塗れるわけないでしょうーーー!?」

 私は面相筆をウォーターポットに放り込みながら、机の前で悪態をついていた。


 昨日、つまり大叔父の葬儀の翌日に訪ねたホビーショップで、私は大叔父を知るらしい人物を見つけることが出来た。

知る”らしい”なのはまだ大叔父の話をなにも聞けていないからだ。

 昨日お店で大叔父のミニチュアを店の人たちに見せていた際、後から加わった男の一人がおや?という様子でミニチュアを手に取ると仔細に検分し始めたのだった。

「これ…見たことあるな。キラキラ大進撃さんのグレイナイトだよね?」

 想像の範囲外の単語の羅列に私の思考が一時停止する。

「うん?? これ、キラキラさんが使ってたキャプテンだよね? なぜこれを?」

「え…? キラ…なに? よくわからないですけど、これは大叔父の部屋にあったものです。大叔父を…宇津木をご存知ですか?」

「キラキラさんの本名って宇津木さんだったの? 初めて知った…。まあ知らなくても困らないもんなあ。そうそう、そのモデルとペイント、僕の知ってるキラキラさんで間違いないと思うけど。彼がどうしたの?」

「亡くなりました」

 その場にいた私以外の全員が驚くとともに沈痛な表情を浮かべた。

「それは…、お気の毒様でした…。なんといえばいいか…」

 私が大叔父が亡くなったことを伝えるとその男は「ああ、どうして……」と言葉を詰まらせ、しばし天を仰いだ後「なるほど、それでか……」と小さく独り言ちた。

 私が生前の大叔父のことが知りたいことを伝えると、彼は眼鏡の中の小さな目を丸めてしばし思案する顔をした。そして私にこう言ったのだった。

「わかりました。僕の知るキラキラさんのことを話しましょう。でもきっととても長い話になります。なので日を改めましょう。明日も僕は大丈夫。あなたは? ああ良かった。ではまた明日11時にここで。そしてそれまでに一つやって欲しいことがあるのです」そう彼は言うと席を離れ、私に大声で話しかけてきた店員になにかを伝えると壁の陳列棚に向かい商品を一つ手に戻ってきた。

「これを作って欲しい」

 私は言われたことのわけのわからなさに、思わずこう叫んだ。

「なんで??」



 店の中にはちょっとした作業スペースが用意されていた。

スペースは先程まで先客たちで埋まっていたのに、物珍しそうな顔で私たちのやり取りを眺めていると思ったら、いつの間にやら一人分の席が空いている。なんなのよ……。

 とりあえず席に着き、先程の眼鏡の男から渡された小さな容器を改めて眺める。中には灰色の小さなプラモデルが収まっていた。えっ? 作るって、これを……? 私が……? 途方に暮れていると先程の声の大きな店員がやってきた。彼はこの店の店長であるらしい。

「ブラザー・キャプテン! いいですね! 作るのは初めて? 大丈夫ですよ! ガ〇ダムは作ったことがある? なら楽勝です! まずは箱を開けて中身を確認しましょう! うん、揃ってますね。よかった! たまにだけど中身が足りないときがあるんですよ! なんせイギリスの倉庫ではトロールがパッキングしてるんで!」

 トロ……? なにを言っているの……?

「道具はお店のものを使ってください! はい、これとこれとこれ!」

 あっという間に工具類が目の前に並ぶ。私は頭に浮かぶ大量の疑問符を一旦脇に置いておくことにした。

 まず最初にやるのは……ニッパーで説明書の指示通りにパーツを切り出すことか。私は一通りパーツを切り出し、次に組立てようとして一つのことに気が付いた。これ、パーツ同士がくっつかない……? 前に組立てたことのあるプラモデルやお菓子のおまけのおもちゃには必ずピンとそれを受ける穴があった。(作者注:スナップフィットのことです)これにはそれらしきものがどこにも見当たらない。私が怪訝な顔で二つのパーツをくっつけたり離したりしていると、向かいの席の眼鏡の男が話しかけてきた。

「接着剤を使うんですよ。これね。このフタについている刷毛で、そのフチのところに薄く塗って…そうそう。そして貼り合わせる。そしたらしばらく両手で押さえて……。ほらくっついた。簡単でしょ?」

 なるほど…。ちょっと面白い。

 30分ほど格闘して私はミニチュアをなんとか組立て終えた。

 今しがた組みあがったミニチュアを手に持って眺めてみる。手の中で向きを変えたり、近づけたり離したり。ためつすがめつしてみる。

「かっこいい……」

 思わずそんな言葉が漏れた。向かいの席の接着剤を貸してくれた男がニヤリと笑うのが目に入る。私は恥ずかしくなり、慌ててミニチュアを置いた。

「とりあえず出来た……」

「おっ、上手に組めましたね。じゃあペイントもしてみようか!」

 私にこのミニチュア押し付けた張本人である眼鏡の男が席に近づいてきて、組立てたミニチュアを一瞥するなりそう言った。

「えっ??」

「ペイント。色塗ってみよう。意外と簡単なんです。なあに出来る出来る!」

 この上なく軽率にとんでもないことを言ってくる。

「出来ませんよ! こんなに小さいのにどうやって!? フィギュアの塗装だってやったこともないのに!!」

「でもほら……、みんなやってるよ……?」

 言われて作業スペースを見やると、席にいる眼鏡の男たちがこぞって筆を持った手をヒラヒラさせるのが視界に入った。本当になんなのよ、この店の人たちは……。

 私は観念すると最初の眼鏡の男――私は以後彼を一人目の眼鏡の男として”1号”と呼ぶことに決めた――に尋ねた

「……この細い筆で塗るんですか?」

「そうだね」

「こんなの絶対無理ですよ!」

「みんな初めはそう思うんですよね。でも『漢和辞典』って漢字で書けるでしょ? メモ帳でもノートでも」

「それは……書けますけど……」

「あれノートの狭い幅の中で5本も横線引いてるんですよ。そう言われても意識したことも、数えたこともないだろうけども」

 私は手の中に小さく『漢』と書いてみる。確かに5回も横線引いている……!

「それが出来るんだから、君にも出来る! やってみましょう!」

 ”1号”さんは「ちょっと失敬」と言うと私のミニチュアを持って店長さんのいるカウンターへと歩いて行った。店長さんは ミニチュアを受け取るとこちらに手を振り、カウンターの奥の部屋へと消えた。5分ほどして、私のミニチュアは店長さんの手の中で真っ黒になって戻ってきた。

「店長に頼んでサフ拭いてもらったよ。10分で乾くから触らずにね」

 なるほどさふをね。さふってなによ。なんで黒いのよ。

「グレイナイトってこう見えて意外と塗りやすいんだよね。とりあえずこの色使って写真みたいに銀色のところ塗ってみよう。塗分けは後で出来るし、はみ出しても気にしないで大丈夫だから大胆にいこう。ほら、こんな感じに」

 ”1号”さんはそう言って実演してくれた。えっ、そこ塗っちゃって大丈夫なんだ。すごいはみ出してるけどいいの? あっ、いいんだ……。へぇ、これなら意外と出来そう……?

 ”1号”さんから筆を受け取り、今度は自分でやってみる。塗料を瓶から筆で少し取って、紙のパレット上で水と混ぜ、ミニチュアの表面を沿わせる様に薄く筆で塗る……。塗る。塗る。あっ、少し楽しい……。

 

 気付くと私は銀色の部分をあらかた塗り終えていた。あれ……? 私、実は結構上手いんじゃない?

「おっ、いいですね! 素晴らしい! じゃあ次はこの色で布っぽい部分塗ってみましょうか」

そう言って、“1号”さんは新しい塗料瓶を置いていった。

 新しい色の瓶を手に取り、私は再びミニチュアと向き合った。どれどれ……。

 随分と集中していたらしい。ふと顔を上げると時計の針が17時を回っているのが見えた。ヤバい。

携帯電話には母からの着信記録と「どこにいるの? 大丈夫?」というメッセージが届いている。慌てて帰り支度をしようとして、両手の筆とミニチュアに気が付いた。あれっ?これどうすればいい? すると”1号”さんがやって来た。この人さっきから図った様なタイミングで来るわね……。

「ベース塗り終わったね! すごい! えらい!」

「そ、そうですか? 大したことないですよー?」

 満更でもない。ちょっと語尾が上がってしまったけど大丈夫。私は平静を装う。私は結構クールなタイプなのだ。

「続きは家でやってみる? この金色で文字の部分塗って、目はこっちの青で塗って」

 家でできるかなあ、などと私が疲れて回らない頭で考えていると、「はいこれ」「それからこれ」「じゃあこれも」と”1号”さんと接着剤を貸してくれた男が私の前に塗装道具を積み上げていた。

 接着剤の人、あなたはこれから”お道具箱”よ……。などと回らない頭で考えながら、私は半ば無意識に、渡された道具たちをトランクに詰め込んだ。

 私のミニチュアもいつの間にかティッシュで包まれコンテナを模した小さなブリキ缶に収められている。「これで持ち運んでも壊れないよ」へーそうなのね。ブリキ缶を受け取りそれもトランクに入れる。

 さあ急いで帰らないと。

「ごきげんよう!」

 挨拶の声を残し私は店を出る。しばしの妙な間をおいて返ってきた「じゃあ、また明日」という返事を背に受け、私は来る時より重くなったトランクを引きずりながら足早に駅に向かった。

 駅に電車が入るのを見かけダッシュで乗りこんだ電車の中で、母にメッセージを返しながら、私は今日のことを思い出していた。結局あの人たち、誰だったの……?


 祖父の家のお風呂から上がると、私はトランクの荷物のことを思い出した。ブリキ缶に丁寧に収められたミニチュアを取り出してみる。部屋の蛍光灯の下で見ても、私の銀色のミニチュアは悪くなく見える。ふふん、いいじゃない。

 私はデスクの上にミニチュアと詰めて来た塗装道具を並べてみた。塗料と筆が数種類ずつ、ウォーターポット、紙パレット、竹ひごの先にクリップを付けたもの、ミニチュアの土台をクランプして手で持てるようにするハンドル。お店で塗装に使った道具が確かに一式揃っていた。

 私はハンドルにミニチュアをセットして、今日のことを思い出していた。たしか次の工程はシェイディング…この青みがかった水っぽい液体をミニチュアの凹になる部分に塗るのだという。私は筆に塗料を含ませるとミニチュアに塗りたくった。きれいな銀色の甲冑がその輝きを鈍らせる。

 両親が部屋に戻った時、私は机に向かって一心に筆を振るっており、二人が戻ったときも生返事をするばかりだった。そんな私の姿を見ても両親は特に小言を言わなかった。

 翌朝、眠そうな顔で食卓に着いた私を、母は物珍しそうに眺めながら尋ねた。

「才華、昨日は帰ってきてから随分熱心だったけど、なにしてたの?」

「叔父さんが好きだったもの知れるかなと思って、叔父さんが常連だったお店に行ってみたの。そしたら、話を聞かせる代わりにって宿題貰っちゃって」

「ふうん。どんな話か後で聞かせてね」

「わかった」

 私は目覚まし代わりのコーヒーをミルクたっぷりで胃に流し込むと、出掛ける支度に取り掛かった。


「おはようございます。」

 店に着くと”1号”さんが出迎えてくれた。店の隅に陣取ったテーブルに椅子を二つ並べ私に腰掛けるよう勧めながら彼は尋ねた。

「出来ましたか?」

「まあ、一応は……」

 私は今朝塗装を終え完成したばかりのミニチュアを取り出し、彼の前に置く。

「ほほう。うん、すごくいいですね……! かっこいい!」

「そ、そうですか? 元がかっこいいから……」

「いやいや、そんなことないよ! あなたがペイント頑張ったからここまでかっこよくなったんですよ!」

「かっけえー」「えー、これが初めて? じょうずぅー」

 ”お道具箱”さんや他の客も集まってきて、私のキャプテンを見ては代わる代わるに褒めてくれた。えっ、この人たちやたら褒めてくれる……。さてはいい人たちなんじゃ……?


「さて……、では約束通りキラキラ大進撃さんについてのこと、お話ししましょうか。と言っても僕らが知っているのは共通の趣味を通じての彼の姿だから、どうしても趣味の話になってしまう。この趣味を昨日まで知らなかったあなたにしても、彼の傾けた情熱や熱心さは伝わりづらいと思ったんです。面倒な宿題だったよね。」

 貰ったときは不可解な宿題だったけど、確かに今なら大叔父の抱いた気持ちが少しはわかりそうな気がした。

「いいえ、塗装してると気も紛れたし。私も……思っていたより楽しかったですから」

 本心な気がした。

「長い話になると思うけど、大丈夫ですか?」

 私が首を縦に振ると、それを合図に彼は朗々とした声で語り始めた。


――WARHAMMER40,000――

「壱万年以上に亘って皇帝は地球に在り、〈黄金の玉座〉より動かず。

 皇帝こそは、神々が認めし〈人類の支配者〉にして、無尽蔵の軍団を従えし百万世界の征服者なり。

 なれど、皇帝は腐りゆく骸にしてその身は人知れず滅びゆき、今はただ〈技術の暗黒時代〉を経てなお受け継がれる古の技によりて保たれるのみ。

 〈腐屍の王〉となりける皇帝の身を保つがため、おのれの身命を捧ぐ者ら、日に一千を下らず。

 血は皇帝の御名がもとに啜られ、肉は皇帝の御名がもとに喰らわれん。

 人類の血と肉にこそ、〈帝国〉はその礎を得たり。このような時代において“生きる”とはなにか。

 それは幾兆もの名も無き者どもの一人となることに他ならない。そしてそれは同時に、この上なく残虐にして血に塗れた、過酷な時代に身を投じることをも意味しているのだ。


 これは、かくも暗き時代の物語。

もし望むならば、そして真に勇敢であるならば……君は今日、この銀河に身を投じることもできる。恐怖に満ち、慰めも希望も死に絶えた、この苛酷なる銀河へと。

 それでもなお怯むことなく、冒険に赴かんとするならば、覚悟を決めるがいい。技術と科学の力など忘れよ。道徳や慈愛はすでに無力。進歩と調和の約束など、もはや絵空事でしかない。血に飢えし神々の笑い声がこだまするこの銀河に、安息は無い。

 あるものはただ、無限の闘争と殺戮、ただそれだけだ。

 しかし、銀河は広大にして無辺である。何が起きるにせよ、君は必ずや、その当事者となるであろう……」(GamesWorkshop WARHAMMER40,000公式サイトより引用)


「あの、一ついいですか」

「はいなんでもどうぞ」

「私、一体なにを聞かされてるんですか?」

「あっ、心配しないで。これ口上みたいなものだから」

「……。それじゃあもう一ついいですか?」

「はいなんでもどうぞ」

「この話いつ終わりますか」

「はじめたばっかり!」

 なにこれどういうこと。心配にしかならないんだけど。

 私は早くも激しい不安に襲われる。これは厳しいことになった。やはり付き合うべき話ではなかったのではないか……。

 私が逡巡している間に“1号”さんは話を再開した。

「君のご親戚の叔父さんと僕はもう10年ぐらいの知り合いでした。僕らはこの店の常連で、フォーティーケーの趣味人仲間だった。よく一緒に卓を囲んだものです。彼はゲーム強かったし、長年の熱心な趣味人だった。キラキラ大進撃さんはこの店が出来る前からこの趣味をやっていて、僕も色々教えてもらったものです。」

 思い出に耽る様な口ぶりで“1号”さんは語った。そんな彼に私は再度尋ねた。

「あの、更にもう一ついいですか」

「はいなんでもどうぞ」

「その『キラキラ大進撃さん』っていうのなんとかなりますか? ちょっと。なんというか。 咀嚼に困難をきたして話が更に頭に入ってこなくて……」

「……なるほど。キラキラさんのご本名……。なんだっけ。もう一度訊いても?」

「ウツギです」

 眼鏡の奥の目を丸くし、ああそうだった、と言う顔をすると彼は話を再開した。

「君の叔父さん…ウツギさんは、コミュニティの存続にとても貢献してくれた人でした。おかげで僕らは今こうして多くの人とゲームを楽しめてる。彼には感謝してもしたりない」

「コミュニティ?」

「地域のユーザーにとっての活動しやすい雰囲気づくり…って言えばわかるかな? 僕らみたいな対面で人と遊ぶゲームは相手がいないと成り立たないんだ。ネットで対戦や協力プレイある電源系ゲームと違ってね。物理的に会わないと遊べない。不便だよね。だからそのためには集まる機会や場所が要るんです」

 ふーん。わざわざそこまでしてゲーム遊びたいものなのかしら?

「それに加えて、このゲームはイギリス製でね。翻訳版が出るかがすごく重要なんです。なんせ遊ぶなら日本語のほうがやっぱり気楽だし。そのほうが友達にも勧めやすいしね。ところが、僕らをかつてない危機が見舞う」

 ゲームで遊ぶだけなのに危機に見舞われたりするの?

「僕が遊び始めて数年した頃、日本での展開が縮小されて売っているお店が激減、加えて日本語の翻訳版の発売がなくなってしまったんです」

「えっ、大変じゃないですか」

「そう。あれはまさしく冬の時代だった……。」

 “1号”さんは当時のことを思い出している様だった。周りを見回すと近くにいた店の客たちもうんうんとうなずいていた。 えっ、この人たち私たちの話聞いてるの?

「で、そんな冬の時代が数年続くのだけど、その間自分で翻訳した資料を見せてくれたり海外からの通販をサポートしてくれたのが君の叔父さんだったんです。おかげでこの辺のプレイヤーはかなりの人数が引退せずに冬の時代を乗り越えられた。キラキラ……ウツギさんには本当にお世話になった……」

 言葉少なとなり、ポツリと呟く様に言った。

「そうか……もう会えないのか。寂しいなあ……。もっと遊びたかった……」

 それは尊敬する親愛な友人を失った人の言葉だと、私は素直に思えた。

 この人たちは確かに大叔父の友人だったのだ。

「そんなことがあったんですね。ほかに大叔父の思い出ってありますか?」

「うーん、そうだなあ。色々あるはずなんだけど、いざ話すとなるとなにからがいいものなのやら……」

 えっ? 私が徹夜で宿題してる間、考えててくれたんじゃないの??

 私は一つ尋ねてみることにした。

「聞きたいような、聞きたくないような話なんですけど」

「なんでしょう」

「なんで大叔父はキラキラ?なにがしなんて呼ばれてたんですか?」

 ああそれはね……、と“1号”さんが遠くを見やる。

「僕も知らないんだ」

 “1号”さんを睨み付ける私の顔はだいぶ怖くなっていたに違いない。


 それにしても“1号”さんの話に出てくる大叔父は私の知る大叔父と別の人物の様だった。私の中の大叔父のイメージはいつも物静かで、精力的に活動する姿は想像さえも困難に思えた。大叔父が近くなった様にも、遠くなった様にも思える。そんな不思議な心持ちで、改めて店内を眺める。棚一面に並ぶミニチュアゲームの箱と、ゲームテーブルが昨日とは少し違って見えた。

「叔父さん、ここでゲームしてたんだ……」

 私の独り言に“1号”さんが応える。

「毎週のように遊んだよ。彼を店で見なくなってもう3か月ぐらいかな。そのまま音信不通気味になっていて、どうしたんだろうとは思っていました……。それがまさか。昨日話を聞いた時は本当に言葉が出なかった……」

 ほんの数か月前までは大叔父も足繁くここに通っていたのだろうか。在りし日の大叔父の姿を思い浮かべてみるが、やはりなんだか想像がつかない。

「一つ提案なのだけど」“1号”さんが静かな声で私に尋ねた。

「ゲーム、やってみませんか?」


「初めてのゲームだから、インストラクションを兼ねた簡単なゲームをしましょう」

 “1号”さんが私のキャプテンをテーブルの端に置きながら説明する。私たちは店の中央にあるゲームテーブルを使わせてもらえることになった。

「簡単だけど、これがどういうゲームなのか雰囲気はわかると思います」

 テーブルの上はまるでジオラマの様だった。そんなテーブルの上にいくつかのミニチュアたちを並べると、突如“1号”さんの口調が朗々としたものになった。

 しまった、またこのパターンだ。


「ここは惑星ヌーマーズ。

 人類が1万年前に入植して以来、<帝国>の忠実なる臣民たちはこの赤い惑星の痩せた土壌を改良し、作物を育てる地道な戦いを続けてきた。」

 とりあえず黙って聞いておく。

「今では立派に星系の一大食糧生産拠点として<帝国>を支える存在だ。今周期も収穫期を迎えたその時、ヌーマーズの属する星系はデスガードの疫病艦隊の襲撃を受けた。」

 早くも話に置いていかれている。でも賢明な私は質問したりしない。そんなことをしたらなにが起きるかなんて火を見るより明らかってものよ。デスガードね、多分洗剤の名前かなにかね。

 “1号”さんが声のトーンを一段落とし、場の雰囲気が重厚さを増す。うん、でも、この雰囲気、必要なくない?

「ヌーマーズにも疫病と腐敗の汚染がもたらされ、おぞましき腐敗の先鞭たるポクスウォーカーが黒雲の如き疫病蠅の大群と共に穀倉地帯を蹂躙していく。そして今まさに彼らは尊父ナーグルの祝福を与えんと、帝国臣民100万が退避するこの街区の目前へと迫った!」

 いま気付いたのだけれど、さっきから音楽が聞こえている。

 勘違いではなく、やたら気分を盛り上げるBGMが。

 なんでよ。

 嫌な予感しかしないが、諦めて音のするほうを振り返ると、客の男がスマホを指で示し、私ににやりと笑いかける。


 私はしばし停止した思考から復帰すると、彼を“BGM係”と呼ぶことに決めた。古来より人は怪異に名前を付けることで、その理解の埒外や、未知の事象を「妖怪」などの観念として定義付けたのだという。今回は私もそれに倣うことにしよう。先人の知恵は偉大だ。それにしてもいつから“BGM係”さんは音楽を掛けるタイミングを図っていたんだろう? 私は次の疑問が浮かぶ前にその自問の続きを考えることを止めた。そして、一つの気付きを得たのだった。

 さてはこの店にいるの、こんなのばっかりだな?


 BGMが勇壮な雰囲気のものに切り替わる。“1号”さんの話はなおも続いた。というか全然さっぱりまだまだ始まりのパートだった。随分長く聞いている気がするのに、時計の針は5分しか進んでいない。

「立ち向かえるは人類の守護者たる戦闘者、スペースマリーンのみ。しかしヌーマーズへの救援の到着にはまだしばしの時間が必要だ。」

 “1号”さんは話題の人物を紹介するように私のミニチュアを腕でさっと指し示す。

「今ヌーマーズを救えるのは彼だけだ!」

 情感たっぷりの声色が更に続ける。

「この鈍色のパワーアーマーに身を包みし我らが戦闘同胞、ブラザー・キャプテンは職務の途中で偶然ヌーマーズに立ち寄ったに過ぎない。しかし対処を一任された彼は自らの聖務として邪悪なる大逆者たちへ立ち向かう」

 えっ、彼一人きりで? それはさすがに無理じゃない……?

「市街地への敵の侵入は断固阻止せねばならない。彼の双肩に市民100万の命が掛かっているのだ……」

 100万人!?

 キャプテンに課せられた重責とあまりに絶望的な状況に、私は思わず声を上げていた

「そんな……! キャプテン! ヌーマーズ!!」


 自分の声で正気に返る。いけない。雰囲気にうっかり飲まれている。

 私はどちらかといえばクールなほうなのだ。

 深呼吸して自分を落ち着かせる。

 そして私はとあることに気が付いた。“BGM係”と“1号”さん、この店に私が入ってから一回も会話してるの見てなくない……?

 私はまたもその続きを考えることを棚上げすることにした。


 一席ぶち終えた“1号”さんは「さてさて」とボロを纏った血色の悪い怪物を10体並べながら、いつもの口調に戻って説明を始めた。

「この怪物たちはポクスウォーカー。疫病に侵された歩く死人だ。君は同胞キャプテンとなってこの戦場をただひとりで守らなければならない。」

 私は固唾をのんで話の続きを待つ。

「君がこれから守るのはこのテーブルのそちらの端。この端のラインが絶対防衛線になる。この絶対防衛線が突破された時、100万人が退避するこの街には恐るべき疫病がもたらされ、この世の地獄と化す」

 このラインに敵を辿り着かせなければ、ヌーマーズを救うことが出来る。なんとしても守らねば。私は新たに沸いた決意を胸に盤上を見つめる。

 負けるわけにはいかない……。

 うん……?

 あれ??

 いや、ゲームよね??

 またも雰囲気に飲まれてしまった。いけない、いけない。しっかりしないと……。

「これは実際の進行通りのゲームですが、シンプルになるようにアレンジしています。それでもミニチュアを使うゲームがどんな世界を見せてくれるのかは、感じてもらえると思いますよ!」

 さきほどから既に十二分すぎるほど味わってる気がします。私は声に出さずそう答える。

「なにはともあれ、やってみよう!」


 意外なことに、私はゲームを「面白い」と感じていた。

 私がキャプテンの射撃のために射線が通るかを確かめようと、屈み込んでミニチュアの目線の高さから盤上を覗きこんだその瞬間、私は没入した。

 目の前の景色は一変し、私はヌーマーズの穀倉地帯を前進してくる敵の姿を見ていた。

 そこは先程まで私が居た空調の効いた店内ではなく、私が訪れたこともないどこか遠くの惑星で遠い未来の戦争の一場面だった。

 そして私はテーブルの上に広がる“これ”が「世界」なのだということを、この上なく唐突に理解したのだった。

ポーズが固定のミニチュアを並べ、インチメジャーで距離を測り、ダイスを振る。文字にしてしまうとどうということもない行為なのに、まるで本当にミニチュアたちが戦場を駆け回り、命懸けで戦っているのだと感じられた。

私のキャプテンが命を懸けて吹けば飛ぶような平和を守ろうとしているのは、あらかじめ用意された「物語」などではなく、いま「起きている」ことなのだ。

 テーブルの上で起きていることを目撃する、それは神話で語られる英雄譚に耳を傾けるのと本質的に同じことなのだろう。

大叔父が見た世界を、私も垣間見たのだと、今はそう思えた。


 ゲームは最後のターンを迎え、私のキャプテンは残る一体となったポクスウォーカーを、手に携えたハルバードで切り伏せた。キャプテンが課せられた困難な職務を完遂した瞬間だった。惑星ヌーマーズの危機は、私のキャプテンによって退けられたのだ。私のキャプテンが勝った。私のキャプテンが勝ったんだ……!


「どうだった?」”1号”さんが私に尋ねる。

「楽し……かった……です……」

 テーブルの上を見つめながら私は絞り出す様に答えた。無意識のことだった。

「これこそが君の叔父さんが愛したゲームさ」

 そう言うと少々間を置いて、“1号”さんは続けた。

「でもこれはあくまで“さわり”でしかない。次はもっとすごいゲーム、出来ますよ」

 私はその言葉の意味を少し想像してみる。それはどんなゲームになるのだろう? キャプテン一人きりではない、多くの味方と共に更に強大な敵に立ち向かうのだろうか。

 今しがた垣間見たと思った「世界」はテーブルの上だけでなく広大無辺に広がっている。その入口から覗き込んだ私にはそう感じられた。そして私はそれをもっと知りたいと考えていた。大叔父の見た世界もきっとそこにはあるのだ。


「また、遊びに来てもいいですか?」私は“1号”さんに尋ねていた。

 彼はにこやかにほほ笑むと一言「もちろん」とだけ答えた。


 その夜、心地よい疲れの中で私はゲームの記憶を反芻していた。

 楽しかった。

 大叔父が亡くなって、こんなにも早くそう思うことに、うしろめたさはあった。だが大叔父の愛したものを私も好きになれそうなことへの期待感が、私の中の大きな部分を満たしていた。そして私は眠りに落ちる寸前、はたと思い至った。


 ゲームの話ばっかりで叔父さんの話、結局あんまりしてもらってない!!


 これでは明日も店に行ってあの中年どもを締めあげなくては。そう考える私の口角は、少し上がっていたかもしれない。

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