第2章 第19話「作戦」
アジアの小国での成功は俺たちを勇気づけた。それどころか日本からの応援の声も多く頂いた。どんな活動をするのかと思っていたらまさか国際的な劇団を作っているとは・・・という驚きにも似た声が多かったが、実際のところ俺たちはアジア圏を脱していない。現地の人たちを引き連れて全国公演を行えたこと自体は大きな話題にはなったが、俺たちにとって話題性なんてどうでも良いものであった。ここで勝ち得た看板が次に繋がるのであればそれに越したことはないが、恐らくこの看板は国を超えては行かない。このまま活動を続けてもただのイロモノとしてしか見られないだろうし、それは俺たちの目標ではなかった。
だからこそ次のステージに進むために気持ちを新たにする必要があった。それだけではなく現地から力を貸してくれた人たちとはここでお別れをすることになるので、彼らにはそのメソッドを伝授し、独り立ちできるように施しをする必要があった。
現地の人たちに対して三週間のワークショップを開き、いかにして舞台を盛り上げるかということを教え伝えた。演劇の素人でも気持ちが篭っていれば本番は絶対に成功する。本番までの道中で投げ出したくなる瞬間だったり、勝手に重責を感じたりしてナーバスになったりすることもあるがそんなのは全てまやかしで、何においても楽しい舞台にするという気持ちを強く持ち、くじけたりしなければ舞台のクオリティを保つことができる。設営に手間取ったり、思うような仕上がりにならなくても、そんなことは観客にはまずバレない。俺たちが培ってきたものを全て渡してきた。そうでもしなければ彼らが露頭に迷う可能性もあったからこそ、舞台の本番に臨むくらい強い気持ちでワークショップを完遂した。
そして次に向かう国については円と良く話し合った。俺たちの前には三つの選択肢があった。もう一度アジアの国で活動をしてみるか、アフリカや南米を目指すか、ヨーロッパの国に行ってみるかのの三択だ。最終目標がイギリスかアメリカなので遠回りをするかまっすぐ進むかで悩んだ。
いきなり最終目標を目指すというのも選択肢にはあったものの、そこでしか通用のしない演劇はしたくなかったので少し遠回りをすることにした。それに伴い敢えてし本格的な遠回りをするか段階を踏んで近付くかを話し合った。
アフリカに行けば一番の遠回りができるが、アジアでの活動を踏まえにくいということで候補から外れた。南米についても同じ意見で却下となった。アジアでの活動については中国や韓国で一度動いてみるという案も出たが、ここの辺りは既に活動をしている他の劇団が複数あったので、イギリスやアメリカでの活動を終えた後、もしくは同時並行で進める方が良いという考えに至った。そこでヨーロッパとアジアの中間圏を目指すことになった。
ヨーロッパに行ってしまうとイギリスと被ってくる部分が出てくるし、アジアに寄るとこれまでとそう変わらないことになるというのが、東部ヨーロッパを活動の場に選んだ理由だ。
その国は演劇の文化がある程度根付いていて、ヨーロッパの流れとアジアの流れを共に汲んでいる。既に日本の劇団も活動をしているようだが、現地でメジャーなのはあくまでもバレエや日本舞踊などで、我々の目指すストレートプレイの系統の劇団は未上陸であった。
この国でもアジアの国と同じく下見の期間と具体的な準備期間を経て公演の成功を無事に収めることができた。
現地では言語を習得し、需要を測り、また人々の関心事も聴き集めた。世相を表した方が集客を見込むことができる。演劇の担う要素は人々の関心を具現化するというところにある。病気が流行ればその患者を登場人物の中心に据えた作品を作り、政治に対して不満があるようであればそれを風刺するような作風で攻める。こうした点に敏感でなければ演劇は成立しえない。問題提起の側面が強いのだ。
アジアの国の場合は、そうした世相を組む流れの中に住民たちが根源的に持つ賑やかさを組み込むことで成功した。その公演を日本に持ち込む際は、宣伝を賑やかなものにし、そこに演者たちの背景にある暗さのようなものをスパイスとして加えてやり、またこれが現地の逞しさでありオリジナルの活気であるということを練り込めば自然と人々の関心を引くことができる。注目した人に百パーセント受ける仕組みを作らなくとも、宣伝を観た人の十パーセントが気になるようにしておけば良い。これまでにない価値観のものが人々の趣味に合うかどうかはわからないけれど、その魅力を存分に伝えるという意気込みを持ち、それをまっとうに伝えることができればその十パーセントの人の心にしっかりと訴えかけることができる。
今回の国でも同じ手法を用いた。住民に訴えかけ、日本で開催する際にはそのパワーを明示した。ただしアジアの国と異なるのはそのパワフルさのベクトルだ。
アジアの国の場合は強烈なパワーを前面に出したが、今回の国にそういうイメージはなく、現にそういった熱さは殆ど秘めていなかった。文明が進めば進む程人は冷静に振る舞うようになる。そうなると今度はその冷徹さをきちんと組み込まなくてはならない。その冷徹さは日本人も十分に持ち合わせているので日本人の感覚は近いぞということも宣伝に盛り込んだ。
現地ではこの国に近いものがあると謳い、日本では日本人向けだという風に伝える。そうすることで見た人がどこかしら親近感を抱くようになり、最初から親しみの目で見てもらえる。
そこまでできれば後はアジアの時と同じ手法を用いれば良い。演劇に興味があり、かつ時間に余裕のある若者を捕まえつつ、会場になりそうな場所を探す。演劇というのは案外どこでもできるものだ。前回のようにテントを構えることもできるし、そのテントを劇場内に設置することもできる。サイズも空間も自由に変えることができる。場所がないというのはただの言い訳に過ぎない。もちろんお金をかけさえすればどこまででも良いものを作ることができるし、信用関係や人間関係が構築されていることで選択肢は増える。商業演劇であれば専用の稽古場を借りることができるし、劇団や公演の規模がある程度の大きさになるとより多くの劇場をこちら側から選べるようになる。
現に俺たちの本拠地は都内にある好立地の専用稽古場で、それはこれまでの経歴と信頼によって与えられたものだった。大学を卒業して学外に出ることが決まった際に、演劇好きの不動産所有の方がご厚意で稽古場兼事務所をお貸ししてくれることになった。無償で提供すると言ってはくれたものの、そういった善意に甘えているようでは一生プロになることができないと悟った俺たちはそこの家賃を自分たちで払うことにした。一時休止するとなった際に引き払うことにはしたが、「いつでも戻っておいで」と優しく声を掛けてくれた。もっと言うと、「それでも二人とも別々の道で演劇には携わるんだろう? だったらどちらかにはこの場所をそのまま貸すし、出て行く方には新し稽古場を見つけてやるよ」とまで言ってもらえたが、その稽古場は二人の打ち合わせ場所としての側面が強かったので、きちんと独立する為にも丁重にお断りすることにした。
俺は基本的に作業自体を自宅で行っていたし、稽古場はその時々で借りていたの決まった空間は必要なかった。円についてもその都度関わる劇団の稽古場に足を運んでいたので定位置みたいなものはそもそもなかったとのことだ。
プレイングの活動の再開が決まった際はまたしても稽古場兼事務所をお借りすることになった。これまでの打ち合わせ以上に、活動拠点としての定位置を確保しないと目的がいつか空中分解する恐れがあったためだ。これから海外に移動することになり、都内で動くことは殆どなくなる。海外から戻って来てもすぐに全国ツアーを回ることは当初から想定できていたので、必ずしも都内の拠点を構えておく必要はなかったのだが、そういったこととは別に物理的な場がなくなってしまえばリスタートがしにくくなると踏んだ。一つの公演を終えた後に新たな国を目指すとなった際、拠点がないとバラバラになる。そんな気がした。
現に俺たちはそれぞれの道を単独で進むことができた。つまり拠点がなくても何とかなるわけだ。だからこそ公演の間に新しい考え事が浮かんだりしたら初心とはかけ離れた場所で物事を考え出す可能性がある。そういった可能性を排除する為に俺たちは活動の拠点を構えることにした。
拠点さえぶれなければ後の場所についてはどうとでもなる。アジアの国では屋外で稽古を行ったが、この国の設備はもう少し近代的なので屋内の稽古場を確保することができたし、むしろそういった場所を確保しないと役者陣が納得をしない。それに稽古場が屋外だと風の強い日や雨が降った日は稽古が休みになってしまう。壁と天井があってこその稽古場だ。スタッフ陣については元々バレエやミュージカルが現地に存在していたのでその方面のスタッフに依頼することにした。あまり保守的な土地柄ではないことも幸いして、役者もスタッフも問題なく集めることができた。
脚本も言語中心の芝居にするのは少し不安があったが、シンプルなセンテンスを多用しつつも歌のような調子にすることでまとまりのあるものを書き上げることができた。現地の音の感覚については音楽と詩から学んだ。もちろん後々に日本でも公演を打つことになるので日本人の心にも響くような調子を取った。
アジアの国はとにかくパワーで乗り切ることができたが、この国はもう少し繊細なものが好まれる傾向にある。日本人程うるさくはなさそうだが、ある種の影のようなものをはっきりと付けておかないと観客に受ける芝居には仕上がらない。今回は特に陰影を意識した。
前述の通り、きちんと成功を収めることができ、自然と俺たちの評価も高まった。
アジアと東欧での成功者ということで取材の依頼も殺到した。もちろん最初に取材を引き受けたのは鴨間である。鴨間は俺たちのことを強く意識してくれている。とりわけ俺の方に力が入っているようだが、影の存在を気にしているというのが主な理由だろう。それでも円の方こそ注目に値するのではないかと思うことがある。影の存在はともかくとして、円には他に類を見ないカリスマ性がある。時折、影が着く相手を間違えたのではないかと思うことすらある。何度鴨間にこのことを言おうと思ったかわからないが、この手の情報は他人に漏らすべきではないということもわかってはいる。
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