第2章 第7話「引継」

 編集者ではなく、あくまでも記者として物書きをしたいということに気が付いた私は数々のフリーペーパーの編集権を後任に譲り、完全なるフリーのライターとして動き始めることにした。

 大手の出版社からの誘いは、あくまでも支援してくれるだけということでのれんを借りられるということではなかったが、これがとてつもなく大きなバックアップとなり、私の活動に大きな転機をもたらした。中小の情報誌に拾われたのがゼロから一への進歩だとすれば、大手と組むことができたのは一から百への大躍進であった。


 大手の出版社からは好きなように雑誌を作って良いと言われた。インターンでやってきている学生を使い、設備やネットワークはその出版社と同じものを使って良かったし、校閲も社内の校閲部に依頼できる。印刷も得意先の印刷屋に直接依頼することができた。取材にかかる費用も月額で十万円まで使うことができた。つまり多大なる権限を与えられ、個人には想像もつかないような財布まで握らせてもらったことになる。

 この出版社で月に二度小冊子を作り、その他十一社の中小企業からはフリーペーパーとその他いくつかのコラムを任せてもらうことができた。

 大手出版社で取り組むことができた題材は主に若者文化だ。インターンの学生たちからも情報収集をし、どんなものがこれからの時代ヒットするかを想像し、膨らませ、若者たちに新しい文化を与えるというのが私の小冊子のコンセプトだった。

 これはこれまでのフリーペーパー作りとは異なり、少額ながらもきちんと代金を頂くタイプの有料情報誌であった。個人による創作ではあったものの、表紙の裏には大手出版社が支援している旨が記載されていたし、流通についてもお願いすることができた。

 このおかげで規模の大きい書店には確実に置かせてもらえたし、関東近郊の大学近くのコンビニなんかでもちらほらと見かけることがあった。

 日常が情報収集と街歩きとインタビューの連続であり、夜は編集作業やその振り分けに追われていた。その全てが魅力的だったし、正確な読者の数はわからなかったけれど、貯金口座に振り込まれる額を確認する度に私の手がけた雑誌や記事の反響を知ることができた。こんな生活が一年続き、大学の最終学年の年にさらに大きな転機が訪れることになる。


 このまま数々の雑誌の編集長としてフリーの立場で食べて行くか、この実績を引っ提げてどこかの出版社に吸収されてしまうか、それとも全てを捨てて個人のライターとしてやっていくか、分岐点に立たされることになった。

 しかし一番最後の選択肢以外に行き当たることはなかった。私のやりたいことはそもそも記事の執筆であった。編集業もそれなりに楽しいが、自身の言葉が人々の目を通ることに何よりの快感があった。四年生の春に、少なくとも半年後までには全てのタスクを引き継げるように調整し始め、後任を決めた。後任はすぐに決まった。インターンでやってきてくれていた中でも責任感の強い学生六人と、編集やインタビューを行っていく中で知り合った編集業務に興味のある人間を五人、そして途中からマネージャーのような働きをしてくれた大手出版社アルバイトの一人には小冊子の編集を任せることにした。もちろん全ての引き継ぎは大元の許可を取った上で行った。全て即座に納得してもらうことができた。私が信じられる人間なら間違いはないし、全員私の下で良く働いてくれていて、その評判もきちんと伝わっていたから何の心配もなく全てのタスクを引き継ぐことができた。


 こうして私は独立したライターとして第二の道を歩むことになった。

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