第20話「初心者」
演劇の経験が殆どない大学一年生の二人組に一体誰が付いてきてくれるというのだろうか。俺だけでなく折口も演劇初心者だと言う。二人揃ってサークルでの公演を一度経験し、それが演劇経験の全てだ。それも共にスタッフとしては補佐として関わっただけで、役者としてはちょっと評価を上げただけであり、そんな大学生に一体何ができると言うのか。
しかし俺には俺の制作プランがあり、円にはやりたい演出があった。それでも円は脚本を書くことができなかった。そこで俺が円の希望を聞き出して、それらを全て詰め込んだ脚本を書き上げた。チラシなどの公演情報には脚本と演出を明記することが通例となっているが、この時から演出だけでなく脚本も円が手がけたことにしている。その方が何となく箔が付いている感じがするためだ。
劇団の名前を「プレイング」に決めたのはどちらだったか覚えていない。演じることを英語で表すとプレイングということになる。俺と円二人だけの劇団で、役者は所属していない。役者やその他のスタッフは公演ごとに集うことになる。だからこそ俺たちがモーターになり劇団全体で演技をし、舞台を立ち上げて行く。そんな他愛もない会話が命名の由来だった。
俺たちはサークルの脱退者ということもあったので古巣のメンバーを集めることはできなかったが、他の演劇サークルの人間や大学の語学のクラスメイトに声をかけたらあっと言う間に役者が集まった。スタッフは外部から呼ぶとお金がかかるものだということをその時知ったが、お金さえ払えば他のサークルの先輩たちも喜んで力を貸してくれたし、何なら後輩からお金を受け取ることはできないと手弁当で参加してくれた先輩も大勢いた。
そんな経緯を踏まえて、プレイングとしての活動は俺が制作を務め、円が演出を手掛ける一本目の公演に結びついた。他大学の演劇人が学年問わず大勢集まってくれている座組ということもあって関係者だけで席は満席になり、公演の内容自体の評判も良く、第二段を望む声も多く聞かれた。
次の公演も可能な限り同じスタッフを集めた。人によっては自分たちのサークルの本公演と準備期間が被ってしまうということもあり全く同じ人間を集めるということはできなかったが、参加できない前回のスタッフたちが手の空いているスタッフに声を掛けてくれたのでスタッフ集めに困ることはなかった。
役者も同様に口コミで集まってくれたのだが、想像以上に多くの募集が来たために規模が大きくなり、一作目とは異なる雰囲気の舞台を生み出すことができた。
今回もまた関係者だけで相当な観客が集まりそうだった上に評判が評判を呼び前回以上の動員が見込めたので一席五百円の有料制にし、さらにステージの数も増やした。
学内公演なので小屋代はかからないし、照明や音響などの装備も劇場のものを借りることができるので実質舞台美術と音響とわずかな衣装にしかお金がかからないという強みがある。その為に前回の赤字を十分に補填することができた。
これが俺たちプレイングにとってのプロ意識が芽生えた初の公演となった。今回も無事に全ステージが満席になり大学一年生にとっては考えられない程の利益を出すことになった。
この利益を出演者と前回の関係者に分配したことにより、プレイングは羽振りの良い劇団だという評価に繋がり、今後の公演も今まで以上に協力を仰ぎやすくなった。やればやるほど観客が入り、毎回高評価を得る。それは身内で固められている以上に円の演出と俺のブランディングが上手くかみ合った結果なのだろう。実際に初回の動員こそ関係者が圧倒的多数を占めていたが、二回目については有料なのにも関わらず関係者ではない人も多く来場された。
このことで弾みをつけた俺たちは学外へ目を向けることになる。学外での公演は小屋代から音響や照明の機材レンタル費用までかかってくる。こうなるとチケット代も学内の時以上の金額設定で臨まないとただの思い出で終わってしまう。しかしその時の俺たちの目標は劇団の継続であったので金額も強気に付けざるを得ない。徐々に演劇というものに商売の気配を感じることになって行った。
作品作りに対してはこれまで以上の緊張感が漂ったし、絶対に失敗が許されない状況に置かれはしたものの、各所における矜持については何も変わらなかったし、そのことには比較的早い段階で気づくことができたので飾らない気持ちで本番を迎えることができた。
一般的な小劇団と同じくらいの金額を頂くということもあって客入りは確実に減ると予想されたが、口コミが十分に機能したお蔭で各回満席で楽日まで駆け抜けることができた。このことでさらに勢いを付けた俺たちはメディアに取り上げられたり、学生演劇祭に出場して作品賞、演出賞、そして前代未聞の制作賞を受章する程までに成り上がった。ブランディングと宣伝戦略と、舞台のクオリティの追求の勝利である。全ては俺と円の業績に付随するものであった。
大学三年生の秋の時期に就職かプレイングの継続かを迫られる局面が訪れた。俺の家庭も円の家庭もそういった事情には厳しく、自分たちの足だけで社会に出られる状態であれば続行を許してもらえるが、学生演劇の範疇を抜けずにプロとしての自覚がないまま演劇を続けるくらいであれば、演劇の道を諦めて就職をするという約束があった。
四年生の夏が就職活動を考慮した上での実質的なリミットであったのでそこまで全力で駆け抜けた。これまでも定期的に公演を打っていたが、これからはプロにならなければ劇団を継続できないという危機感から毎月のように新しい演目を上演し、動員数を極限まで増やした。
木金土日の四日間で八回の公演を行い、全ての公演において百パーセント以上の動員を達成した。満席の為に増席が必須の公演が殆どであったし、チケット自体も中々取れないことで有名となっていた。もっとステージを増やしたいという希望はあったが、学業と折り合いをつける為にもこの数が限界であった。演劇活動に精を出しているからこそ無駄な所で評判を落としたくない気持ちもあったので、本番でどうしても大学の講義に行けない時以外は毎回出席をしたし、遅れを取らないように細心の注意を払った。
劇場については毎回同じ劇場を押さえることができなかったので、様々な劇場を転々とすることになった。一つの公演が終わる前には次の公演の本番までの段取りを決めておかなければならないので、同時進行で異なる公演の企画を練ったり打ち合わせを行うことも多々あった。そうなると劇場決めも直前にしか行うことができず、そうなるとある程度大きな規模の劇場を抑えるのは難しかったが、ピンキリにはなってしまうものの都内には山のように劇場がある。その中から最も公演規模に適う場所を見つけ出していた。稽古場は学内のものを利用できたのでその都度大学事務に申請を出して無償の稽古場を確保していた。役者やスタッフについてはその都度声を掛けていたが、公演の頻度が高く短期間での稽古と本番のサイクルを繰り返していたこともあり、特に頻度を意識的に上げてからは役者志望の人も減りはしたものの、これだけの人気を誇る劇団だからこそ一定の志望数があり、またある程度のクオリティを保つこともできた。
能動的に動いた以上の実りがあった。これらの公演の成功のお蔭で大学三年生の十月から大学四年の八月にかけての収入は一般的なサラリーマンの収入を遙かに上回る数字になっていた。しかもそれが劇団としてのものではなく俺と円の一人当たりの数字だというのだから、この事実がある以上はそれぞれの親も反対するわけにはいかなかった。
こうして無事に大学を卒業し、プレイングはプロの演劇ユニットとしての道を進むことになった。劇団員は俺と円の二人だけだが公演を通じて準レギュラーと呼んでも良い程の役者やスタッフもついてくれるようになり、組織として安定した道を進むようになった。しかし準レギュラーの彼らも決して将来安泰の生活が保障されたわけではない。何人かは演劇の世界から足を洗い、世の中で働くサラリーマンの一員になっていった。
夢や目標から離れて行く人を内外問わず嫌と言う程見てきた。その点、俺たちは紙一重の差であっただろうが幸運な環境で過ごすことができている。
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