第16話「突然」
「二年前よりも上手くなったと思わないか?」影が自信満々に語り掛けてくる。
「鴨間の反応からすると今でこそ殆ど違和感を抱いていないということだけはわかる。それでも最初は心なしか別人と稽古をしているかのような雰囲気を出していたな。敏感な人はすぐに気付くだろう。お前の演技も所詮はその程度なんだよ」影を攻めてみる。
「お前、そんなに厳しかったか? 俺のオリジナルにならないように、なるべくお前の演技に寄せるようにしているんだけど、やっぱり気付くやつは気付くか。本番まであと三日もあるのに俺たちの芝居は十分ピークと呼べる領域に達していると思う」影が得意そうに言う。
本番の一週間前になって突然影が現れた。梅雨が明けて一週間が経過した頃だった。
稽古が終わり帰宅をして部屋に入った瞬間、影が語り掛けてきた。
「よう、久しぶりだな」突然影が言う。
「やっと出てきたか。お前には随分大変な目に合された」
「まぁそう言うなよ。俺にも俺の事情ってものがあるんだ。それに寂しかったんじゃないのか」痛い所を突いてくる。
本番の直前に突然いなくなられたらこっちも困ると影に言い返す。
「お前が俺と一緒に稽古に参加していたことも、俺がいなくてもお前だったら上手くやりきることもわかっていた。だから安心してお前から離れることができたんだ」影がひょうひょうと話す。
「それでも俺とお前の演技の質はどこか異なるものだった。同じ台詞を同じ顔をした人間が発するのに随分妙な話だけどな。共演者たちは最初こそ戸惑っていたものの、流石は円が選んだ役者だけのことはある。俺が一人浮かないように俺以外の役者を場慣れした人間で固めていたと言うのが円の真意だろう。幸い演技の差はメディアはもちろん観客にも伝わっていないし、その後共演者たちも舞台上での出来事をあれこれ他所で言いふらしていないみたいだから、俺は何とかこの世界に残ることができている。まぁそもそも俺は役者ではないし、あれ以来誰かと共演をしていないんだからそんな噂が立ったところであまり関係ないんだけどな」
「それで今回は解散後、初の舞台上に相手がいる芝居をすることになったわけだ」
「全部わかってるんだろう。俺の考えから、今どういう気持ちでいるのかも。一々説明しなくても俺のことは手に取るように理解しているんだろう」攻めるように影に話す。
「新しい世界に出たいんだったっけか。だったらいっそのこと俺にやらせてみないか、その対談芝居の本居翔役を」突然影が切り出してくる。
「お前に任せられるわけがないだろう。この前の公演だって俺が何も台詞を入れていないままだったらとんでもないことになっていた。台詞を喋れない主役が一人舞台に取り残されたらいくら実力のある脇で固めていたとしてもどうやってもリカバリーできなかった」
「さっきも言った通り、お前がぼーっとしているだけの人間だったら全部を託してどこかに消えるなんていうことはしていない。それに実際の舞台は成功に終わってるんだから今更あれこれ言うことはないじゃないか。幸いなことに今から本番まで一週間ある。そもそもお前は既に台詞が入っているし、何なら今回は半分以上がフリートークみたいな芝居だからな。観客どころか鴨間にすら気付かれないんじゃないか」
影が調子を変えて続ける。
「俺に任せればそれはそれで新たな試みになるんじゃないか。演技が変わる点については鴨間に対して予め適当な言い訳でもしておいてくれれば十分に成立するだろう。また俺を舞台に立たせてくれよ」
「人の話を聞いているのか? お前に任せられることなんて何一つとしてない。それに舞台から一方的に逃げ出したのはお前だ。大体、俺はお前がいなくなった理由すら聞いていない」
「それじゃあ、いなくなった理由が正当なものであったら俺に今回の舞台を任せてくれるのか?」
「それなりの理由があれば別に良い。俺自身、今回はしっかり稽古を積んできたからな。今から残り一週間と本番期間をお前に丸々任せて、途中でいなくなられても台詞も演技も全て身に付いているから問題はない。残された問題はお前の心がけ一つだ」
影の表情は見えないが、不敵な笑みを浮かべた気がした。
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