第15話「大胆」
稽古が始まり一週間が経過した。打診が来てからは早かった。承諾してから三日目で脚本が出来上がり、五日目には公演場所が抑えられ、七日目にはポスターとチラシが各劇場に配布された。この勢いこそが本居の最大の強みだ。制作出身であることに加えてフットワークの軽さが彼の今の地位を築き上げたと言っても過言ではない。十日目からは稽古が開始した。本番までは残り一ヶ月程度だ。夏休み真っ盛りに目玉の公演として持ってくるという心づもりらしい。ターゲット層は二十代後半~三十代中盤なので夏休みのある学生とは関係がないように思えるが、不思議と学生の夏季休暇期間と演劇の動員数増加には密接な関係がある。梅雨の時期なのでじめじめとはしているものの、雨が降る日は意外と少ない。
稽古をしながらも土日は本居の現行の公演の本番が行われる。行動力に加えて体力まで人間離れしているので舌を巻く他ない。それでいて次の我々の芝居の稽古時には(自らが書いた脚本ということを差し引いても)台詞がきちんと入っていて、その演技自体も堂に入ったものであった。
「いつか誰かと舞台に立つときの為に温めていたプロットなんですよね」稽古終わりに本居が言う。
「その誰かと言うのは折口のことじゃないのか。良いのか、そんな大事そうな脚本をこの公演に使ってしまって」思い切って聞いてみる。
「違いますよ。あいつと舞台に立つとして、その時の作品もまた別に考えているんです。だからこの作品は円以外と二人芝居をする時のための脚本なんです」
「やっぱり折口とはもう一度チームを組む意志があるということなのかな?」
「今は小規模の公演を打つことに集中したい時期だからそれ以外のことを考えている余裕はないんですけど、そういったあれこれを差し引いても多分あいつと組むことは暫くないと思っています。でもいつかお互いが成長したらどこかのタイミングで組んでみるのも面白いと思っていますよ」本居が面映ゆそうに話す。
「もしかして今回、私たちが立つ舞台の構想も取材の時から考えていたのかな?」
「もちろん、考えていましたよ。でも気を悪くしないんでほしいんですけど、いつどんな時も新しい舞台の構想は考えています。鴨間さんだから考えた、円だから考えたっていうわけじゃなくて、もし仮にこのスタッフと組むならこうした方が面白いんじゃないか。敢えて自分が前に出て行かずにこの人たちだけを舞台に上げるにはどういう仕掛が必要になるか。出来る限りたくさんの人をいつもの舞台に上げるとしたら何人まで役を出せるか。そんなことを日々考えています。だから今回の企画もその日常の発想の中の一つなんです。その突発的な思い付きをどれだけ具体的に成立させるかを考えた結果が今なんです」
良く練られている。あらゆる可能性にきちんと対応できるように事前の準備があらゆる方面でできている。だからこそ突然一人芝居を始められたのだろうし、私の取材を受け、今回のような二人舞台にも即座に取り掛かれたのだろう。
「そうは言っても私が承諾してからの動きも早かった。舞台のことだけじゃなくて劇場決めから宣伝についてまで事前にきちんと決めていたかのような動きだったし、脚本の上がりも相当速かった。おまけに稽古期間もきちんと考えてくれた」 まだ不透明である部分を突いてみる。いじわるをするつもりではないが、この回答には本居の根底のようなものが見えてくるはずだ。
「鴨間さんと俺のモチベーションや気力的にこの期間が一番良いと直感で思ったんです。準備期間が短いと稽古不足のまま舞台に立たないといけませんし、逆に長すぎるとピークが本番期間にやって来ないんですよ。俺一人の時はお客さんの様子や舞台全体に気を配っていればその場その場でなんとでもなるんですけど、二人以上の芝居にはコミュニケーションが生まれますからね。コミュニケーションの緊張感を密なものにしつつ台詞をきちんと解釈するのに必要な時間は舞台慣れしている人は一ヶ月、初舞台の人は二ヶ月は必要だと言うのが持論なんですけど、鴨間さんは一ヶ月で十分だと踏んだんです」
「実に大胆だ。私には舞台の経験がない。仕事柄舞台は良く見るし舞台裏も見学させてもらうけれど文字数の長い台詞を覚えたり人前でたくさん喋ったりするなんて言うことは殆どないんだ。ドラマに出演することもあるけれど台詞は極々わずかだ。それでも私を信じてくれたってことなんだね?」思い切って聞いてみる。
「信じる信じない以前に、この人は大丈夫だっていう安心感がありました。責任感がきちんとあって、記憶力も凄まじい。俺の言った何気ない言葉をどれだけ時間が経っていてもきちんと拾ってくれるからきっと舞台にも真摯に取り組んでもらえるだろうし、万が一俺が舞台上でやらかしてもきちんとフォローしてくれるだろうという確信があったんです。台詞の掛け合いっていうのはフォローをしあって成り立つものですからね。それに鴨間さんは舞台人だという前提で稽古から取り組みたかったし、そういったことも取材内容に取り入れて欲しいという願望もあったんです。外からだけじゃなくて内側からも読者さんたちに届けてほしいって。鴨間さんに協力して頂きたいだけじゃなくて、こちらもできる限り協力をしたいんです。俺は文化の担い手だなんて言える程の大きなことはできないけれど、この演劇という世界の一端を外に向けて発信するお手伝いくらいはできると思っています。そうしたらそこに全力を注ぎ込むしかないじゃないですか。後はテレビドラマに良く出演もされていますよね。人前に立つことに対してなんだかんだで実は抵抗がないことを知っていたと言うのも大きな理由です」
私のことをきちんと調べてくれている。分析自体も鋭い。私の評価自体は置いておいても、ここまでポジティブかつ落ち着いた感じで受け止めてくれているのは素直に嬉しい。
そして本居の熱い思いが伝わってくる。ここまで思ってくれているのな私も本居翔を丸ごと受け止めて世の中に発信していくしかない。その為には彼と同じ目線で舞台に立つ必要がある。
今回の舞台は対話が基礎になるのだと言う。脚本はあるにせよ、そこに入れ込む思いというのは観客と舞台の間に生まれる熱量によって変化させなければならない。舞台の上と下とのキャッチボール、本居とのキャッチボール、この二つを両立させることで活きてくる脚本だという説明を受けた。だからこそ自然体でいることが大切で、脚本に載っている文字はあくまでも副次的なものなのだという。
現に本居は今回の稽古の際の雰囲気が他の公演の時と異なる。もちろん稽古内外の雰囲気はオンオフがしっかり切り替わっていているのだが、一人芝居の時の彼と稽古で私の前にいる時の彼とでまるっきり別人のようなのだ。この雰囲気は以前、プレイングの役者として舞台に立っていた時の彼と似通っている気がする。まだコンビを組んでいた頃に初めて出演したこの舞台がきっかけで彼らは解散することになったのだと言われている。本人たちはあくまでも否定してはいるものの、これまで噛み合っていた歯車が合わなくなってしまったようにも見えた。人と芝居をする時はどうしても癖が出てきてしまうのだろうか。目の前にいる本居がどことなく別人のようにも見えるのであった。そしてそこにこそ本居を追い求めている真の理由があった。雑誌掲載、記事の執筆、情報の収集。実はそんなものは今となっては全て副次的なものであって、私が真に追い求めているものはまた別のステージにある。
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