第一話 貧乏勇者は誰よりも強い (後編)
†
「俺を怒らせた代償は大きいぜ……」
ローガンは、杖を抜き去り、アトラスを睨みつける。
教室の誰もが、アトラスの学園生活は終了したと思った。
命があれば僥倖。
怪我は避けられないだろう。
だが、アトラス本人は、どういうわけか平然としていた。
自分の置かれている状況さえもわからない、本物バカなのかと周囲は蔑みの視線さえ送った。
「さぁ、いくぜ!」
ローガンが、腰から短杖を引き抜いて、アトラスへと向けた。
それに対して、アトラスも木剣を構える。
「ファイアーランス・レイン!!」
いきなりローガンが上級魔法を放った。
炎が空中に現れ、それが無数の槍となる。
この広範囲攻撃の前に、避けるなどという選択肢はない。
――瞬殺だ。
アトラスは木剣もろとも消し炭となる。
誰もがそう思った。
微動だにしないアトラスに、炎の槍が降り注ぐ。
――爆発音。勢いよく煙が巻き起こり、生徒たちの視界を奪う。
瞬殺だったな。ローガンは笑みを浮かべる。
――だが、煙が晴れると、そこにはありえない光景が広がっていた。
「バ、バカな!?」
何が起きたのか、理解できなかった。
煙の中から、木剣を構えたアトラスが現れたのだ。決闘が始まった時と全く同じ位置で、一歩も動かず、その場に立っている。
その周囲を取り囲むように土がえぐれていた。
なぜ生きている。
俺のファイアーランス・レインは、レベル20の冒険者でもまず防げない破壊力を持っている。
それなのに、レベル1の奴が、なぜ生きているんだ!?
ローガンには状況が理解できなかった。
見るに、奴は炎の槍を撃ち落としたようだ。だが木剣でそんなことできるわけない。魔法もあえりない。レベル1の魔力では、ファイアーランス一本だって防げないはずだ。
ローガンの額に汗が浮かんだ。
「ファイアーランス・トルネード!!」
ローガンは、別の上級魔法を放つ。
今度は前方に向けた集中魔法。範囲は狭いが、威力と速度は最高級の大技だ。
その炎の渦は、秒速でアトラスに向かって行く。
――と、アトラスは――地面を蹴って、ローガンの魔法へと突っ込んでいった。
そして、次の瞬間、ふりかぶられたアトラスの木剣が炎の魔法を、真っ二つに斬り裂いた。
突然ひらけたローガンの視界。
そこから木剣が飛んでくる。
「な――」
勢いよく振り下ろされる木剣。ローガンは反射的に目をつぶった。
――だが、衝撃はなかった。
恐る恐る目を開けると、木剣は自分の鼻の前で止まっていた。
寸止め。
だが、確実にローガンを殺すことができたそのヤイバの勢いに、彼は腰を抜かして、地面にへたり込んだ。
勝負を見ていた周囲の者たちは、絶句していた。
静寂があたりを包み込む。
「僕の勝ちってことで、いいかな?」
誰も口を開かないので、アトラスは自らそう宣言した。
――完勝。
まさにそういうにふさわしい。
レベル1の少年が、レベル30の貴族の魔法使いに圧勝したのだ。
現実離れした出来事に、しばらく周囲は驚きすぎて言葉を紡ぐことができなかった。
そんななか悠々とギャラリーたちの方へと戻ってきたアトラス。
と、先ほどまでアトラスをバカにしていたローガンの取り巻きの一人が、ようやく口を開いた。
「れ、レベル1なのに、なんで上級魔法を剣で跳ね返せるんだよ!?」
必ずしもレベルの上下が勝敗を分けるわけではない。
だが、ステータスはレベルに比例するのは間違いない。
レベル1の能力ちで上級魔法を打ち破るなど、不可能だ――
「ああ、レベルか。僕、認定所に行ったことないんだよね」
アトラスは平然とそう答えた。
「認定所に行ったことが……ないだと!?」
つまり――この少年は、上級魔法を木刀で跳ね返すほどの実力がありながら、一度もレベルアップをしなかったがゆえに、レベル1というわけか。
認定所は、経験値が溜まった時にレベルアップを認めて、刻んでくれる場所だ。専門の魔法使いに経験値を確認してもらうことで、レベルアップが可能になる。
戦いを生業にするものなら足しげく通って、その都度レベルアップを認めてもらうのが普通だ。
「な、なぜレベルアップしてもらわないんだ!?」
誰かが尋ねる。
レベルは冒険者にとってとって何よりの勲章。
冒険者たるもの「まだレベルアップしないかな?」と、たして経験値を積んでいなくても認定所に足を運んでしまうのが普通だ。
自分が強いという証明を、欲っしないものがいるはずがない。
だが、アトラスは違った。
「だって、認定所って、手数料取られるんでしょ? もったいないじゃん」
その言葉に、周りはあっけにとられた。
確かに、認定所ではレベルアップの際に手数料をとられる。
だが、それはパン一つの値段にも及ばないほど――せいぜい銅貨1枚の値段だ。
それを惜しんで、これまで一度もレベルアップをしなかったというは、普通の感覚では信じられないことだった。
「たった銅貨1枚をケチってきたのか?」
誰かがそうたずねると、アトラスは真剣な声で答える。
「銅貨1枚は“たった”じゃないよ! 別にレベルアップしないと、強くなれないわけじゃないし、見栄だけのために払う銅貨は1枚も持ってないよ」
アトラスのいう通り、レベルアップは、あくまで強くなったことの証明であって、ステータスなどはレベルアップによらず上がっていく。
だから、強くなるという目的においては、レベルアップは必須ではない。確かに、見栄と言えば見栄でもある。
だが、だからと言って、たった銅貨1枚さえケチる人間がこの世の中にいることが、誰も信じられなかった。
「それに……そんなに強いのに、なんで武器が木剣なんだよ。鉄の剣と言わず、竜の剣でも、エクスカリバーでも、なんでも買えるだろ!?」
そう、クラスメイトたちがアトラスを“雑魚”だと誤認したのは、その装備が木剣だったからだ。
強いものが、木剣など持っているはずがないと。
「いやぁ、鉄の剣なんて高くて、もったいないよ」
だが、レベルアップの銅貨一枚をケチった少年である。剣を買うお金もケチるのは当然だった。
「それに、岩だって魔法だって木剣で斬れるんだから、わざわざ鉄の剣なんて買う必要ないかな」
――その発言は、あまりに現実離れした話だった。だが、先ほど現にローガンの魔法を剣で斬り裂く様子を目の当たりにした生徒たちは、その言葉を認めるしかなかった。
「そ、それに、なんでそんな強いのに、成績最下位なんだよ? 絶対お前より弱いやついっぱいいるだろ!?」
そして、その質問に対する答えもやはり、貧乏性が所以だった。
「いやぁ、試験って、鉛筆がもったいないから、途中で答えるのやめたんだのよね。だいたい70点くらいで受かるかな〜みたいな」
――とんでもない貧乏性。
あまりにも度が過ぎている。
きっと、世界中の貧民を集めたって、こんな貧乏性なものはいないだろう。
「――貧乏勇者ってわけ」
と、あるクラスメイトが言った。
それほど、アトラスを評する言葉としてふさわしいものはなかった。
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