第16話 夜の学校 後編

「えっと……どう走ったんだっけ?」


 ざりざりと頭を掻いて目を逸らすコウくん、青ざめた顔をふるふると横に振る穂波。つまりは、ここがどの校舎のどこなのか、誰一人としてよく分かっていないということだ。階段は使っていないので、三階なのは間違いないだろう。見覚えが無いから、一年生の教室がある南校舎ではない。だとしたら北校舎だろうか。しかし、私立校である凪高の中でも北校舎は最も広い。


 歩き回るが、階段が見当たらない。穂波は怖いのか、黙り込んでしまった。


「藍染、平気かよ?もしかしてホラーとか苦手なのか?」


「う……あんまり得意じゃないかな……」


「穂波、怖いなら、手、繋ぐ?」


「えっ……でも自分手汗かいてるし」


「いいよ、気にしないもんわたし」


 わたしの手が、ひとまわり大きな穂波の手に遠慮がちにきゅっと握られる。汗で少し湿った柔らかくて滑らかな手、しなやかで細長い指が触れていると思うと、鼓動が高鳴る。穂波の顔を見ると、怯えた瞳が柔らかい光を帯びて、安心したように目元が少し緩み、怖がっているのを見られて恥ずかしいのか、さっき走ったせいなのか、頬が仄かに赤い。見惚れるくらい、きれい。


「お前ら、いいからさっさといくぞ。速くしねェと置いてくぜ?」


「あ、待ってよコウくん!歩くの速いって」


 コウくんがせかせかと歩き出してしまう。穂波に見惚れているとき、偶然だけど、いつもコウくんに現実に引き戻されてる気がする。わたしたちが追いつくと、コウくんはいつもみたいにかははと笑った。


「冗談だっつの。にしても階段ってこんなに見つからねェモンか?」


「ただでさえ暗いし……。あ、でも、使い方に気をつけないといけない薬品がある化学室とかがあるエリアは、夜間は人が入れないようにシャッターを下ろすって、加賀先生が言ってた」


 加賀かが胡桃くるみ先生は、化学や生物の先生だ。フレンドリーでミステリアスで、昔は研究員としてカンボジアに滞在して熱帯植物の研究をしていたとか、その前は占い師をしていたとか、珍しい経歴を持っているらしい。どこまでが噂でどこまでが本当なのかはわからないが、今も学校内でおかしな実験をしているとかいないとか……。


「シャッター……ってさっき見たヤツか。いつも俺らが通ってるのってシャッターの向こう側の二階じゃねェか?ここが北校舎の三階ならだけどよ」


「……迷子だね」


「ごめん、本当に……」


「はぁぁ……全く、ヤンチャな生徒は困る」


 暫し沈黙。


「うわ!?な、な、凪沢先生!?」


 どこから現れたのか、さっきからずっといたみたいな顔で横に立っているのは、わたしと穂波の担任の凪沢零先生だった。ニヤッと笑って、


「どう?吃驚びっくりした?」


 なんて面白そうに言ってくる。すぐもうひとつの足音が聞こえて、それは綴先生だった。図書室に明かりが点いている上、わたしたちの荷物が置いたままだったのでふたりで探してくれていたのだそうだ。


「えっと……夜は危ないし、下校時刻には帰らないとだめですよ」


「そうそう!ただでさえこの学校からさ!」


「あのなぁ、レイ、そんなのあるわけないだろ!?」


アキラが見たことないだけだって」


「次からは気をつけます」


「そ、そうですね、それがいいですよ……」


 綴先生、凪沢先生と一緒だとよく喋るな……ふたり集まると話(小競り合い?)が止まらない。うるさいくらいに。なんだか、年上かつ先生に言うことではないけど、可愛いというか微笑ましいというか。


 昇降口に来ると、コウくんも何故かわたしたちの横に並んでついてきた。学生寮は反対方向のはずだ。


「コウくんどうしたの?」


「暗ェし危ねェし、送ってやろうかと」


「樋口君はジェントルマンですね!」


「生徒の会話に流れるように加わるの止めろ!……俺たちも帰るぞ、レイ。じゃあ、藍染さん、淡谷さん、樋口くんは気をつけてくださいね」


 コウくんはわたしと穂波を家まで送ってくれた。穂波と手を繋げたのは嬉しかったけれど、夜の学校なんて暫くは遠慮したい。

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