第11話 居眠り

 お昼ご飯を食べた後の、古典の授業のことだった。古典の先生はC組の、わたしと穂波のクラスの担任の凪沢先生だ。私立凪沢高校の理事長の御子息らしいが、採用試験を頑張ったと言っていて、親のコネで入ったのでは無いのだそうだ。背が低くていつもにこにこして、元気で若くて一生懸命でちょっとかわいい。可愛らしい見た目から、最初は女の人かと思ったけど、


「僕はゴリゴリの男ですよっ!」


 と、自己紹介で言っていたし、男性だった。声は少年っぽくて、あまり二十歳を超えてるようにも見えないけど、教え方も上手いし授業も分かりやすくて面白い上にフレンドリーでいい先生だ。


 カッコよくて大人びた雰囲気を纏う穂波とは真逆かなぁ。



 そんな凪沢先生の授業は大好きなのだが、今日はそんな彼の授業が全く頭に入ってこない。微睡の向こう側の黒板はレースカーテンを通したみたいに霞んで見えて、凪沢先生の少年じみた、少し掠れた声は夢の狭間に途切れ途切れにしか聞こえなかった。


 所謂、超眠いのだ。


 今日のお昼休みは穂波に連れられて、ほなみが見つけたという、例の"凄く素敵な中庭"でふたりでお弁当を食べたのだ。そこは、中庭の隅の、植物が垂れ下がってできた緑のすだれの先に隠れるようにある小さなお庭で、パティオというのか、校舎の外壁に囲われていた。緑の中に小さなベンチがあって、陽の光が優しく差し込んで、風がよく通るぽかぽかとした気持ちのいい空間だった。ベンチの綺麗さからして、定期的に人の出入りがあるんだろうと思った。


 そんな、小さなドアの先の別世界みたいな、"秘密の花園"みたいなところで、わたしと穂波はお弁当を食べた。卵焼きを半分交換こして食べたのだが、今日は自分でお弁当を作ってきたと穂波に言われた時は少しびっくりして叫びそうになった。出汁の味がして美味しかったその卵焼きが、穂波と結婚したら毎日食べられるのにな、なんて。


「わたしはお料理苦手だから、羨ましいな」


 と言うと、


「自分で良ければ教えるよ、今度うちにおいでよ」


 と、どこまでも優しくてスパダリな穂波にときめいた。


 あぁ、好きだなあ……考えているうちに、わたしの思考は夢との境界をいつの間にか見失っていたみたいだった。


 はっ、と顔を上げると、時計の針があからさまに回っていて、黒板は白いチョークの文字で埋まっていた。すきっと覚めた頭で焦りを感じて、慌ててチョークの文字を自分のノートに書き写す。授業中に寝るなんて、いつぶりだろう……、カリカリとシャーペンの芯を削るようにノートに書きつける音が聞こえたのか、前の席に座る穂波の髪がしゃらっと揺れてこちらに振り向いた。


「おはよう」


 穂波が口パクでそう言う。柔らかく目を細めた彼女の微笑がそこはかとなくセクシーだったのでドキッとしてしまう。


「寝ちゃった」


 と口パクで伝えて、照れ隠しに笑った。


 授業が終わる前に写し終わらせないと、と少し文字を乱しながらも急いで黒板の文字を写し取った。


 ***


 授業後、凪沢先生と穂波が話しているような声が聞こえた気がしたけど、わたしは6時間目が始まる前に眠気を覚まそうと机に突っ伏して寝ていた。


「藍染さん、今日はいつもよりさらに姿勢が良かったね!」


「ありがとうございます、先生。今日はそういう気分だったので」


 微かに聞こえた会話。確かに今日はいつもより、少しだけ穂波の背中が大きく見えたような……。


「でも、藍染さん身長高いから、あんまり背筋伸ばすと淡谷さん黒板見えないかもな。近いうちに席替えすっかぁ」


「席替えですか……」


 穂波が席替えという言葉にに残念そうな反応をしていたことは、眠ってしまったわたしは知らなかった。

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