第9話 生姜紅茶

「雨が止まないね」


 一瞬呼吸が止まった。その後すぐ、深い意味は無いのだと気づく。一瞬期待してしまった自分を殴りたい。


「……一緒に虹が見たいな」


「そうだね、自分も雪ちゃんと見てみたい」



 知らないでいてくれることがただただありがたい。言葉に隠した「好き」は伝わらないで良いんだ。


 傘は穂波が持ってくれた。穂波のほうが背高だからだ。わたしは肩が少し濡れてるけど、穂波に近づき過ぎると恥ずかしくて心臓が苦しくなるから……。ちょっと寒いけど、我慢我慢。なんて思っていると、


「もっとこっちおいで。濡れちゃうよ」


 肩に優しい温もりが触れて、やんわりと抱き寄せられる。細くて白くて柔らかい、綺麗な手が触れたところから、わたしの体は熱を帯びて、なんだか全身がぽかぽかしてくる。穂波はわたしの肩を触って、濡れていることに気付いたらしい。申し訳なさそうに眉をへの字に下げて、黒い雨傘をわたしを守るように傾けてくる。


「け、結構濡れちゃってる、ごめん、自分がもっと早く気づけば……」


「ううん!わたしは平気!穂波が濡れなきゃ大丈夫だから……」


 慌てて言うけど、穂波はまだ申し訳無さそうで、穂波の家が近いから、という理由で、彼女の家に寄らせて貰うことになった。雨が強くなってきたから、雨宿りさせてくれるそうだ。こっちが申し訳無いし!と一応断ったのだが、風邪ひいたら大変でしょ、と優しく微笑まれて何も言えなくなった。緊張してドキドキしてしまうけど、彼女の家に行けるのは嬉しいような……。おうちデートって言うのかな、いや、言わないか……。


 穂波のお母さんは仕事で居ないらしい。お父さんは穂波が小さいうちに亡くなってしまったと言っていた。穂波のおうちに、彼女とふたりきり。なにも緊張する必要も無い。普通なら、友達のお母さんがいるほうが緊張するものなのに、わたしは寧ろ、に緊張してしまっていた。


 穂波の家はマンションの3階で、中には木目調の家具が多い。片付いていて、穂波の匂いがする。ひとりで興奮していると、穂波はパーカーを持ってくる。



「濡れちゃったでしょ?風邪ひいたら辛いから、これ着ていいよ。自分の私服なんだけど、嫌じゃなければ……」


「い、いいい嫌なわけない!です……!ありがとう、ごめんね、気を遣わせて……」


「気にしないで、雪ちゃん」



 穂波は人に世話を焼くのが好きだと言った。そして、わたしが着替え始めると慌てて後ろを向く。それが可愛くて、頬が緩む。体育のときは一緒に着替えるのにな、本当にウブな男の子みたい。



「自分っ、あったかいもの持ってくるね!」



 穂波はぎこちなく走って、キッチンに行ってしまった。貸して貰ったパーカーを着ると、彼女の優しい匂いに包まれてるみたいで、心地よかった。今、わたし最高に変態チックだ。数分すると、熱々の紅茶の入ったガラスのティーポットとマグカップをふたつお盆に乗せた穂波がキッチンから戻ってきた。



「生姜紅茶、飲める?」


「飲んだことないけど飲んでみたい!ありがとう!」



 彼女が紅茶を淹れてくれたのが嬉しくて、マグカップに注いでもらってすぐに飲んだせいで、舌を火傷しそうになる。穂波は



「ふふ、紅茶は逃げないからゆっくり飲みなね」



 と、綺麗に笑った。生まれて初めての生姜紅茶は生姜の爽やかで刺激的な匂いがして、とても美味しかった。体もぽかぽかだ。そのまま暫く取り留めもない、他愛のない話に花を咲かせて穂波と過ごした。女子会みたいでも、デートみたいでもあって、楽しかった。もっともっと、雨が好きになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る