第8話 雨の日
わたしは雨が好きだ。サァーッ、という無機質で涼しげな音も、水たまりに広がる波紋も、屋根からぽたぽた垂れる雫も。自然が織りなす、無造作で不可逆的な景色は、どんなに有名な芸術家の作品にも勝る魅力を纏っているんだと、わたしは思う。
だけど……。
図書委員の仕事を終えたわたしは、下駄箱前で上履きを
というか、最近シキは恥ずかしがってわたしと傘をシェアしてくれなくなった。シキも大人になっちゃったんだな、なんて、他人事に考えていたけど、置いていかれたようで少し寂しかったり寂しく無かったり。
「あれ、雪ちゃんも傘持ってないの?」
「……穂波!も、ってことは穂波も傘忘れちゃったの?」
「はは、ご名答。……一緒に待とうか、雨止むの」
待ってもう止まなくていい……。一瞬でもそう思ってしまった自分を殴りたかった。穂波が関わるだけでころころと色を変える感情がなんだか、もどかしくて仕方ない。徒花の恋なら、こんなに好きになりたくないのに。恋は思案の外、その言葉の意味がようやく分かってきたような。
よくよく穂波を見ると、彼女の黒髪からはぽたりと玉のような雫が落ちてきて、透き通るような淡い桃色の頬には雨粒がつるりと伝っていることに気がつく。
「なんで濡れてるの!?」
「学校の探検してたら急に降り出したものだから……。中庭、凄く素敵だったよ、今度一緒に行こう?」
「え、うん……?」
中庭から走って校舎に入ったらしい穂波の髪はめちゃくちゃになっていた。それに気付いた穂波が恥ずかしそうにはにかんで髪を掻き上げると、わたしの心臓はどきりと強く脈打った。前髪を上げて露わになる白い肌、走った所為で淡く染まった頬、雨の日の仄かな自然光に透き通る瞳が、わたしの温度をあげていく。視線が絡んだ刹那、時間がスローモーションに感じて、その一瞬が耳から雨音を奪い去る。
「どうしたんだァ?お前ら」
からりとしたその声で、すべての感覚が戻ってくる。我に変える、というやつだ。爽やかな雨雫の音がまた聴覚を満たす。振り返るとそこには、鮮やかな赤い髪の少年が立っていた。
「コウくん!コウくんこそなにしてるの?」
図書委員として図書室にいたわたし、探検をしていた穂波と違い、コウくんはもう寮に戻っていそうな時間である。現に、シキはとっくに帰ってしまったし。
「あー……急に降り出したからな。雪、今日図書委員の当番じゃねェのに変わって貰っちまったから気になってな」
そういえば今日はコウくんの当番だったのだが、彼のバイトと重なったから、わたしが当番を代わったのだった。頼まれたのが先週のことだったから、すっかり忘れていた。
「コウくんバイトは?」
「終わった。次のバイトまで時間あっから見にきたら、テメェらが昇降口でぼけっとしてっから驚いたんだろ。……雨傘、貸してやっからテメェらで使って帰れや」
どうやらバイトから直接学校に寄ってくれたらしいコウくんは黒い傘を差し出してくる。素っ気ないというか、口調は乱暴だけど、コウくんはやっぱり優しい。わたしがまだ残っているか、傘を持ってるのかどうかさえ分からなかったのに、わざわざ見に来てくれた。彼は不器用優しい。どうせ断っても
「あァ?使えやオラ」
とか言われて無駄かなと思って、傘を受け取る。
というか、
「コウくんはどうやって帰るの?」
「あ?走って帰るに決まってんだろ。寮なんか大して遠くもねェし。もともと雪だけかと思ってたから、もしいたら送ってやりゃあいいと思ってたし。女子ふたりいんのに俺が傘使うのもおかしいだろ。じゃあな、近いうち返してくれりゃあいいから、気をつけて帰れよ」
「ありがとう樋口くん」
「コウくんも気をつけてね!」
おうよ、なんて威勢よく言って、雨の中をぴしゃぴしゃと走って消えてしまった。流石現役男子高校生。足早い、元気。
「じゃあ、帰ろうか」
穂波が言うのを聞いて、コウくんの傘を開いた。
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