第4話 大事件

「お……は……わやゆ……んかな!」


 男子が話しているみたいで、8時前のこの時間でも、教室は騒がしいみたいだ。


「僕は藍染さんだな。めっちゃ美人」


「わかるわ〜、藍染穂波ちゃんだろ?でも田中アカリちゃんとかもさぁ……」



 恋バナってやつだろうか。でもこんな朝っぱらからそんなのするものなのか、と驚いて、ふと気付いた。


 今、藍染穂波ちゃん、って……。


 耳を疑った。教科書の重みに引っ張られるスクールバッグの紐をぎゅっと握って、教室のドアの前で立ち竦んでしまう。まさか、穂波は女の子だったのか?ショックなような、納得してしまうような……ごちゃ混ぜの感情が胸で渦巻いて、教室に入るタイミングを逃してしまった。穂波って名前はあんまり一般的じゃないし、男の子でも、女の子でも名乗ってもおかしくはならないと思う。風に靡く、波みたいな稲穂……そんな意味のはずだ。


 どうしよう、と磨りガラスの窓のドアを見つめてじっとしていると、後ろから、大好きな澄んだ声がした。


「おはよう雪ちゃん。……入らないの?」


「うえ、あ……はよ。入るっ」


 ガラッとドアを開けると、恋話(?)をしていたであろう3人の男子は一瞬黙って、ぎこちなく違う話を始めた。


 数学が終わって休み時間が来た。わたしは見てしまった。穂波が女子トイレに入るところを。


 彼は……彼女だった。


 まだ信じられずにもやもやしたまま、次の授業のために体育着に着替える。穂波は普通の顔で女子更衣室に入ってきて、着替え始めた。クラスメイトの女の子が目を丸くして、


「藍染くんって女の子なの!?」


 と聞く。わたしもできるものならそうしたい気分だ。否定して欲しいと思いながら穂波を遠巻きに眺める。穂波の形のいい唇が


「ごめんね、紛らわしい格好して……。わたしは一応、女の子だよ」


 そう発した瞬間、鈍器でガツンと殴られたような鈍い衝撃が頭に走った。


「えー!ごぉめん普通に男子だと思ってた!穂波ちゃんめっちゃイケメンだからさぁ!」


「はは、ありがとう……かな?」


 人懐っこくけらけら笑うその子の声も、凛と響く、低いような気も高いような気もする穂波の声も、右から左に耳を擦り抜けていく。頭が真っ白で、名前が分からないこの気持ちは……。


 困惑?


 納得?


 それとも、落胆?


 渦中の穂波は、何も知らない穂波はわたしの顔を心配そうに覗き込む。とくん、と心臓が高鳴るのを感じる。


「雪ちゃん、体調悪い?保健室連れて行こうか、顔色悪いよ」


「平気……全っ然、なんでもないよ!体育行こ、遅れちゃう!」


 わたしは穂波の細くてしっかりした腕を引っ張って廊下を走り出す。彼も、いや、彼女も待って待って、なんて笑って、走ってついてくる。穂波の声が通るだけで耳が熱い。穂波の笑顔に胸がきゅっと痛む。穂波の体温が伝わってくる手がじっとり汗ばんでくるような気がして、そっと手を離す。



 穂波は女の子。


 穂波は、女の子だってば。


 なんで、ドキドキしてんの、わたし。



 淡谷雪、十五歳。高校一年生にして初めて恋を知りました。


 初恋の相手は_________




 女の子です……。

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