第29話


 オレん家は駅から公園を突っ切って歩道橋を降りた所にあるが、上谷戸きのみの家はそこから少しだけ先にあった。


 よく行くレンタルビデオ屋の裏手に、我が母校である小学校。その真横の住宅地の一つに彼女の家があった。


 レンガっぽい塀、屋根のある駐車場には車は止まっていなかった。


 小さな格子のような戸を開けて、家のドアを解錠する。よくある普通の一軒家なのに、何故かそんな様が新鮮に思えた。


 何故だろうと考えてみれば、あまりこういう普通の一軒家に入った経験が無いのだ。


 玄関には靴が一つも無かった。父親はともかく、母親も不在なのか。家に一人きりの状況で、男を入れるって大丈夫なんだろうか。


「そりゃ、押立くん一人なら問題かもだけど、稲田くん居るし」


 上谷戸きのみは笑顔で言った。オレが問題で、ツツミチ居れば問題ない。って、どういうことだ。この普通の男が駄目で、下ネタ大好き男はいいのか。普通、逆だろう。


 そんなこんなで、上谷戸きのみの予行練習とやらは始まった。


 基本的にやる事は粉を溶いて具を入れるだけ、と思っていたオレは甘かった。味付けもするし、隠し味も入れるし、具だって一種類ではなかった。


 あくまでも予行練習だから、やったのは一回だけだった。


 何度もやろうと思えば出来るけど、夕飯が入らなくなってしまう。味も食感も悪くなかったのは、上谷戸きのみに殆どやらせてしまったお陰だ。男二人は何もしていない。


 それでも一回はやっておいて正解だった。流れは把握出来たから、お陰で明日は大きく失敗するというのは無さそうだ。


 専用の道具を上谷戸きのみが持っていたのは意外だったので、普段からそういうものを家で作ったりするのか聞いてみた。


「ううん。しないよ? ちゃんとした使い方したのも、初めて」


「ちゃんとしてない使い方って何だ」


 同じ事を思ったオレの代わりに、ツツミチが先に疑問を上げてくれた。


「んと、カステラとか焼きおにぎりとか」


「何言ってんだお前」とツツミチが呆れた顔で言った。


 オレは特殊な形状のカステラと焼きおにぎりを考えてみた。常識が邪魔をして上手く想像が出来なかった。


「お姉ちゃんとよく作ってたんだよね」


 何故か上谷戸きのみは苦笑いで言った。


 彼女を見ると、身体には困惑の色が纏わりついていた。自分で言っておいて、何で困惑しているんだろうかと思った。もしかしたら、姉妹仲が良くないのかもしれない。


「お前、上谷戸先輩と仲悪いの?」


 いきなりのツツミチの台詞で、上谷戸きのみの色が驚愕に変わった。


「そんな事ないって!」


 慌てたように上谷戸きのみは否定した。彼女が大声を上げるの、なんだか珍しいって思った。


 嘘をついている色じゃなかったので、そんな事ないというのは本当のようだった。


 困惑の色が消えてしまったのを見て、さっきまでの彼女の精神状態は何だったのかと思った。意味が分からなくて、無意識にオレは腕を組んでしまった。


「どした?」


 その様子に気づいたツツミチが、オレに問いかける。


 オレの仕草は、思考中の人間そのものだった。いや、さっきまで上谷戸きのみのエーテルが。なんて言えるわけがないので、適当に誤魔化そう。


「…………」


 どう、誤魔化そうか。オレは状態可視のせいで、今みたいに妙な行動を取ってしまった事は幾度かあった。


 こういう時は下手に慌てないで、不自然にならない程度にするのが一番いい。思い付かなければ、思いつくまで黙っていればいい。沈黙は力だ。


「……お前も上谷戸に負けず劣らず、変な奴だよな」


 黙っているオレを見て、ツツミチが苦笑いを浮かべた。どう言い返そうかと思ったが、何も浮かばないので黙ってる。黙っていたので、思い付いた。


「……上谷戸先輩って?」


「そっちかよ!」


 驚いた声色でツツミチが突っ込んだ。状態も驚愕の色をしていた。上谷戸きのみもクスクス笑っていた。


「っていうか、上谷戸茂実乃先輩知らないのか? こいつの姉。中学ん時、有名人だったじゃん」


「有名人は無双先輩しか知らない」


 無双先輩とは中学の時に喧嘩番長的な立ち位置に居て、校内で知らない人は居ないと言われているくらいの存在だった。


 ちなみに無双先輩は高校も同じで、どうにか顔を合わせないように今までやってきている。


「その無双先輩と同じ学年だったんだが」


「無双先輩くらい喧嘩強かったのか?」


「そっちじゃねえよ」


 そりゃそうか、女子で無双先輩くらい強い人間なんてあり得ないよな。男でも無双先輩と渡り合える奴なんて、なかなか居るもんじゃない。


「美人で有名だったんだが」


 ツツミチが引きつった顔で言うと、上谷戸きのみが口を挟んだ。


「押立くん、女子苦手だったもんね」


「ホモじゃねえって言ってんだろ」


 オレが言うと、上谷戸きのみとツツミチが同時に腹を抱えて笑った。


 そんな二人の色を見て、なんだかおかしくなったオレも大声で笑った。こんな笑ったのはいつぶりなんだろうか。一通り笑い終えると、喉のつかえが取れたような気分になった。


 さっきまでオレは梨花の為や、アオさんの為に成功させよう。


 だとか思っていたが、結局の所は楽しくなければ全く意味が無いのだ。重要な物を教えてくれた上谷戸きのみには、感謝しないといけないなと思った。


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