第23話
皮肉にも今日は梨花が帰って来れない日になってしまった。
この日は二十三区で収録、それが長引いたからマネージャーの家に泊まるという話だった。
梨花の分も作ってしまわないように、夕飯前に連絡を入れる約束だ。頑張るのはいい事だと、母親は満足げな表情をしていた。
誰か独りに言えば良いにも関わらず、梨花はオレやソラにまでメッセージを入れる。
マメなのか、構ってちゃんなのか。いつもなら適当にする返事だが、後ろめたさのせいで丁寧に返してしまった。そうすると、梨花が調子に乗るのを忘れていた。
時刻は二十三時。そろそろ寝ようかと思い、灯りのスイッチへと手を伸ばす。それと同時に携帯電話から着信音が流れ出す。
デフォルトの黒電話のけたたましい音だから、ソラに迷惑がかかってしまう。オレは即座に手に取って、誰からかも確認しないで電話に出た。
「誰じゃい」
「あ、クロ。起きてた」
オレは声を聴いただけで、電話の主が梨花だと分かった。この番号を知っている奴で、ブルースハープのような声を持っているのは一人しか居ない。
「どうした?」
何か緊急事態でもあったのだろうか、オレは電話を片手に部屋を出る。ソラを起こさないように、背中で静かに戸を閉める。
「ちょっと、もうビッグニュース!」
弾んだ声を聴いて、悪い方の連絡ではないと判断した。オレはリビングに入って、電気も点けずにソファへと腰かける。
「何だ。いいことでもあったのか?」
「うん。俳優の中原ムサシさん、結婚するんだって!」
「ちょっと、何言ってるか分からん」
ビッグニュースとかいうもんだから、新曲発表とかドラマ出演だとか。梨花本人のニュースかと思ったのに、全く知らない俳優の名前を出されてしまった。
「ムサシさん。今、乗りに乗ってる時期なのに、凄いよね」
「だから、誰なんだっての」
これが彼女の面倒な所だ。こっちが芸能界に興味が無いのを分かっていて、そちらの裏事情を暴露してくる時がある。
後で調べると、出鱈目だというのが判明する。分かっていてやっているんだろうが、そういうのって良くないと思う。
「それで? 何の用だ?」
「別に、クロの声が聴きたかっただけ」
やっぱりなと思い、オレは後頭部を掻いた。
のっけから与太話をしてくる時は、決まって梨花はそう答える。本当は中原ムサシなんて俳優も居ないかもしれない。
「はあーぁ」と梨花は電話口で、ワザとらしい溜息を喋った。
呼吸の音ではない、台詞としてため息に一番近い言葉だ。口元にマイクがある仕事をしているので、汚い音を拾わないようにする職業病らしい。
「こっちに来れば。……クロと一緒に住めば、毎日一緒って思ったんだけど」
電話なのが口惜しいと思ったのは、別に梨花と触れ合いたい訳でも、顔が見たい訳でも無かった。
彼女が疲れてないか、参ってないかを色を見て判断したかった。
オレの魔法は直接、対象を目の当たりにしないと効果が無い。モニター通話で試した時もあったが、それでも駄目なものは駄目なのだ。
「東京でも、ここは神奈川寄りの東京だしな」
慰めの言葉が出て来なかったので、オレは仕方ない事実を述べてみる。梨花は再び、溜息の台詞を吐いた。
「ねぇ、クロ。ダテリカと梨花って、どっちがあたしなんだろうね」
「オレはオレだけど」
「うん。クロはどうか聞いてない」
「でも梨花は梨花だろ」
「………」
梨花は少し黙った後、クスリと小さな微笑みを零した。台詞ではない音が、彼女が本当に笑った証拠となった。
「ありがと、おやすみ」
「ん、おやすみ」
電話を切った後、オレは梨花の状況を少し考えてみた。
小さい時から知っているから、オレの中の梨花は梨花のまま。だけど、本人は違うのかもしれない。
テレビの中の梨花もオレにとってはただの従妹だけど、知らない人から見ればダテリカである。
ダテリカと自分とのギャップに対する苦悩やら、何かがあるのかもしれない。
普段の自分とは違う自分が居る状況に、自分が置かれたらどうなるのだろう。
そう考えた時、真っ先に浮かんで来たのは剣士ギムレットだった。
あれは、自分の中で夢。および前世の出来事、と考えて分別をしている。今のオレがギムレットと同じ魔法を使えたとしても、押立クロは剣士じゃない。
だが、あり得ないことだが。仮に向こうの世界とこっちが行き来出来たとしたら、オレは押立クロとして生きていられるんだろうか。
もしも、ギムレットの世界のゲームがあって、そこで主人公になれるんなら、現実世界なんてどうでも良くなってしまうんだろうか。
そこまで考えてみると、梨花の置かれた状況が他人事ではないような気がしてきた。
「……もう少し、梨花に優しくしたげねえとな」
オレは産まれた時からこの街に住んでいて、友達も居るし知り合いも多い。
でも、梨花は違う。こっちに来て、まだ一週間も経ってない。ソラと違って、学校で友達を作る好機も少ない。
梨花がオレやソラに甘えてしまうのって、もしかして当然なのかもしれないな。
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