鷺宮千夏のいつもとちょっと違う放課後-1

   【White】




 ようやく大和と一緒に帰る日が来た。その日は特に仕事や部活もないというので、大和の方から私を誘ってくれた。私ももちろん、一緒に帰ることに賛成した。



「忙しそうだね」

「千夏こそ」大和は私の顔を見た。「なんか、最近忙しそうじゃない?」

「まあね。いろいろ」

「お互い、どんどん忙しくなっていくね。これがトシを取るってことなのかなあ」大袈裟に腰を叩く大和に、私は適当にうなずいた。私は歳を取ってないからよく分からない。「千夏のお父さん、警察官なんでしょ? やっぱりお仕事、大変そうなの?」

「うん、まあね。帰ってこない日もしょっちゅうあるし」

「ねえ、今度、千夏のうちに泊まりに行っていいかな?」



 影を踏まれたような気がして私は振り返る。

 あの日以来、なんとなく影を踏まれると、背中に冷たいものを流し込まれたみたいな気分になる。今がそれだった。でもそこには誰もいない。



「どうしたの?」

「なんでもない。泊まりに来るのは、ちょっと」

「どうして?」

「とにかく、駄目。いろいろ」

「そうなんだ。残念だな――じゃあ、千夏が私の家に泊まりに来るのは?」

「それなら大丈夫。大和のお父さんとお母さんが、何も言わないなら」

「大丈夫だよ、うちの両親だったら喜んで迎えてくれるって」



 大和はいつも自分の話しかしない。大和にきょうだいがいるとか、お父さんは何の仕事をしていて、お母さんはどんな人なのかとか、そういう話は聞いたことがない。私はお父さんのことが大好きだから、お父さんがどんな人なのか聞かれた時は、差し支えのない範囲で答えるようにしている。

 でも周りの子たちはそうではない。

 夕陽は赤く、雲が低い。



「そういえば」赤信号で立ち止まったとき、大和が私にスマートフォンの画面を見せながらいった。それはメールの画面のようだ。「千夏、三週間後って暇? ちょうどお盆の前あたりなんだけど」

「たぶん」

「この日、『Pisces』のライブがあるんだよね。とりあえず予約しておいたんだけど、私、その日は合宿でライブに行けないからさ、よかったら千夏、私の代わりに行ってみない?」



 青信号に変わる。スーツのサラリーマン、ランドセルの小学生、薄い色のブレザーを着た高校生、みんな歩き出す。

 私はスマートフォンの画面に浮かぶメールの文面を見ながら、



「本当にいいの?」

「ごめんね、押し付ける感じで――チケット代はぜんぶ私が持つから。せめて楽しんできてよ。ついでに、他のバンドの曲も一緒に聞いてきたらいいよ。あとでこのメール、転送しておくね」



 あまりライブというものを想像することができない。『Pisces』の曲は、別に聴いていて不快になることはないし、むしろ私の普段の生活には無くてはならないBGMと化している。でも、ただ曲を聴くだけなら、このヘッドホンさえあればできる。

 どうしてお金を払って、狭いライブハウスで、他の人間の体温を感じながら、わざわざ曲を聴かなくてはいけないんだろう。



「千夏の考えていること、なんとなくわかるよ」



 大和が私の頬を指で小突いた。ふふん、と鼻を鳴らす。

 なんでも見透かしたような表情。

 私が信頼できる、いつもの大和だった。



「無理に行けとは言わないけど、行ってみるときっと、違った発見があるよ」

「大和がそう言うなら、行ってみようかな」

「うん、うん。それで、次はふたりで一緒に行こう」



 駅の近くまで来た時、大和はいつもの改札とは逆方向にある、地下鉄へ降りる階段へ足を踏み入れた。



「あれ、今日はそっちなの」

「ちょっと買い物しなくちゃいけなくて。けっこう、遠くのお店まで行くんだよね」



 ついてくる?

 とは、言わない。たぶん水泳部のことか、何かなのだ。大和が私を誘わないのは、きっと千夏は興味がないだろうなあ、とか、そういうことじゃない。大和の方が、ひとりで買い物をしたいのだ。



「うん、じゃあここで」

「またね」






「おうい、チナツ」



 大和の姿を見送り、自分の家のある方向へ帰っていると、聞いたことのあるような声に振り返った。



「久しぶり。ボクのこと、覚えているかな」

「覚えてる」



 それは、私に白いライターを手渡したクウだった。あのときと同じ姿のまま――あれからいくつかのクウと出会ったから分かるけれど、よく見ると、こいつとほかのクウは微妙に違う。こいつは髪や服が少しだけくすんでいて、目尻にちょっと緑色っぽく光る長い睫毛がある。ボクなんて言っているけれど前髪をいじったりする仕草はちょっと女の子っぽい。



「どうだい、少しは戦いにもこなれてきたころかな? 自分の魔法をちゃんと使えるようになった?」

「どうかな」きっとこのクウは、影を自由に操るあのことを言っているのだと思った。「まだ慣れてないような気がするよ。難しいし」

「その調子でグローパーを倒し続けて。それがみんなのためになる。ご主人様のためにもね」

「わかってる」



 クウは私のセーラー服の襟の辺りに身を潜めながら、耳元でささやくように私に話しかけている。ちょっとこそばゆい。私も同じように、周りに怪しまれない程度の小声でクウと話す。



「クウは、ふだんは何をしているの?」

「ん――いろいろだよ。ご主人様に頼まれたことをやってる。今日は、街のどこかにグローパーがいないかどうかを見回っているんだ。それと、他の魔法少女の様子を見るようにとも」

「他の魔法少女――」私はあの青い銃の魔法少女を思い出した。「その、他の魔法少女も私と同じように、グローパーを倒しているの?」

「そうだよ」

「それじゃあ、魔法少女どうしは」



 いい表現が見つからず、一瞬黙ってしまう。クウが心配そうに襟から顔を出した。やがて私は、ようやく絞り出した答えを口に出してみた。



「食料を奪い合う、ライオンみたいなもの?」

「え?」

「魔法を使ったら、ライターの中身が減る。ライターの中身を補充するには、怪物を倒すしかない。でも、グローパーが一体、魔法少女が二人だと、分け前が減るでしょ?」

「まあ、そうとも言えなくもないけどね」

「ライターオイルが無くなったら、魔法少女ではいられない」

「他の魔法少女と会ったの?」



 私はクウにその時のことを話した。クウは深刻そうな顔をして、その話を聞いていた。眉をひそめて、うんうん、と相槌を打つ。



「きっと、それはアスカだね」

「アスカ?」

「中井明日架――その子の名前だよ。大きな銃を振り回す、っていうなら、間違いないと思う。君に襲いかかってきたのは、きっと勘違いだ。彼女はとある魔法少女を探してる」

「とある魔法少女って?」

「アスカには昔、仲間の魔法少女がいたんだ。すごく強かった。ふたりで街じゅうのグローパーを次々に倒していた。けれど、あるとき、ヒバリ――その魔法少女が襲撃され、ライターを奪われた。そして、その奪ったライターを使って魔法少女になり、いまもあちこちで暴れている。アスカが探しているのは、そのライターを奪った魔法少女さ」

「暴れている、って?」

「つまり人殺しだよ」



 思わず立ち止まった。



「魔法少女が人を殺して、なにかメリットがあるの?」

「チナツにもライターを渡したとき言ったでしょ。魔力って言うのは、生きものの血や体液なんかでも代用できるんだ。魔法少女の力をいいように振るって、好き勝手にやりたい放題ってこと。グローパーとなにも変わらないよ」



 十字路を曲がり、右側に折れて住宅街に入っていく。車一台分くらいの、狭い道だ。周りを石垣に囲まれ、一軒家の屋根がでこぼこに私を見下ろしている。



「こっちに何かあるの?」

「わからない」帰り道とは逆の方向だ。「なんとなく」

「あっ」



 クウが声を上げるのと同時に私も気が付いた。奥の家の角からぬっとあらわれたそいつは、背は小さいけれど――小学生くらいの子どものよう――見ただけで感じる。あれは人間じゃない。

 表面を、赤と緑と青と黒のステンドグラスのようなもので覆われたそれは、よろよろと重心の定まらない身体で歩いてくると、私を見て立ち止まる。腰の辺りから、太く黒い電気コードのような尻尾が生えている。

 目は赤い。

 もう片方の目は緑色だ。



「グローパーにしては、様子がおかしいね」

「関係ないよ」ポケットからライターを取り出し、スイッチを押しながら私は息を吐いた。「どうせやっつけるのは一緒なんだから」



 周りの視線がないことを確かめて、変身する。

 右手に刀が現れる。地面を蹴るとき、一瞬の浮揚感。体育の授業で跳び箱を飛ぶ前に踏み込む、踏み切り版のような感触――影に押し上げてもらいながら刀を抜き、瞬きをする前にグローパーの肩に刃がめり込んでいる。

 そのまま斜めに切り裂く。金属質の背骨も、細い針金みたいな血管も、太いけれど脆い氷柱みたいな腕もぜんぶ真っ二つにして、そいつは倒れ、風に消えていく。

 あっけない。



「見掛け倒し?」

「いや――」



 クウの言葉が続く前にそれは起こった。斜めに切り裂いた身体の、それぞれの断面からなにかが這い出てくる。緑色の骨、真鍮の基盤のような血管。

 あっという間にそれらは生きものの形を取った。

 四本脚で地面をついて、長い尻尾を揺らす。まるで猫のまねをする子どものようなものがふたつ。赤と緑のそれぞれ色の違う瞳で、私を見ていた。



「どういうこと?」

「やっぱり、おかしい。気を付けて」クウの声色には警戒が顕になっている。「こんなグローパーは見たことがない。いったいどんな――」

「あっ」



 思わず私の方が声をあげた。そいつらはふたり揃って私にくるりと背を向けると、一目散に駆け出してしまったのだ。そのまま後ろ足で地面を蹴り、家々を囲む石垣の上へ。

 少し遅かった。



「MYGYAッ」



 地面から伸びた影の剣でとらえることができたのは、少し出遅れたほうだけだった。もうひとりは既に深緑色の屋根の上に飛び乗り、次の家に飛び移ろうと走っていく。



「待て!」



 霧散していく猫の片方を追いぬいて、私も屋根へ飛び乗った。瓦に足を取られそうになりながら、また屋根から屋根へ。

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