中井明日架のいつも通りの音楽-2
次の日の放課後、私は東さんの工房へ向かった。
頭痛がする。脳の内側の内側から、じわじわ漏れ出してくるようなこの頭痛は、とにかく不快で仕方がない。でも、今日はバンドの練習は休みだ。重いギターケースを背負って歩かないだけでも、ずいぶん楽だった。
夕焼けに染まる雲は低い。
明日は雨の予報だ。気圧が低いのだ。
工房へ入ると、そこには東さんと話をする小さなクウの姿があった。ちょうど、話を切り上げたばかりのようで、私にどうも、と軽い挨拶をすると、すいっと外へ飛んでいった。
「さっき、『赤』いのが見つかったようでね」
「新しい魔法少女?」
「そうだ。もう挨拶も済ませた。あのクウには、しばらくその子といっしょに行動をしてもらおうと思うんだ」
「どうして、わざわざ」
「歳がね」東さんはやれやれ、といった風で、「まだ十歳か、そこらなんだそうだ、その子は」
「小学生を魔法少女に?」
「だが、素質はすさまじい。この際、なりふり構っていられないからね」
そう言って東さんは、ぼろぼろの箪笥から、白いオブラートのような紙に包まれた何かを取り出し、私の前で広げて見せた。
「クウに拾いに行かせたものだ。たったこれしか残っていなかったが」それは真っ黒に光る石炭みたいな金属粉だった。「明日架が遭遇したらしい、他のグローパーとは明らかに異なった様子を見せるやつの体組織だ。仮に『強化型グローパー』とでも呼ぶことにするが――そいつらは随分強い。これまでのグローパーは、魔法少女がひとりで充分に対処できる存在だった。だが、強化型グローパーは、魔法少女複数でも倒すことが難しい場合もある。しかも、ここ最近になって急に現れはじめたものだ。つまり――」
「誰かが後ろで糸を引いてるってこと?」
「その通り。強化型と呼ぶのもそれがゆえんだ。明らかに、何者かによって不自然に造られたような違和感がある。それは『ライター』によるものとは、また違う」
東さんはそれを丁寧に包みなおしながら、私に向き直った。
「明日架の思うように、もっとも怪しいのは、ひばりのライターを奪った魔法少女だ。しかし、ここにきて、私は別の可能性も感じ始めている――」
「別の可能性?」
「あの少女は何の目的があって、そのような活動を繰り返すのか、ということだ」
そのような活動――
グローパーを生み出す。その為に、『黒いライター』を一般市民に配布して回る。それを駆除する私たちの前に現れて、妨害を繰り返す。あまつさえ、魔法少女からライターを奪い、自分自身も魔法少女になって、更に活動を繰り返している。
「明日架にとっての私のように、誰かがあの少女の後ろにいるのかもしれない。それにしたって、わざわざ市民を虐殺せずにグローパーに変えているところを見ると、目的は分からないが……」
「じゃあ、私は一体どうすれば?」
「いや、いつもとやることは変わらない。グローパーを見つけたら即座に倒して、人々への被害を最小限に食い止めること。それと、できるだけ香苗やリサ、そして翼――あの『赤い』のとは協力しあうことだ。強化型に出会った時に、君たちがやられてしまったら元も子もないからね」東さんは私の肩に手を置いて、「頼んだよ」
「はい、わかりました」
「私はクウたちを使って、例の魔法少女の裏を探ってみることにするよ」
私が工房を出て行こうとすると、東さんが「そうだ、ひとつ言い忘れていた」と声をかけた。
「明日架。君が出会ったという、白い刀の魔法少女についてだが――」
「はい?」
「彼女を見つけたら、まず――話をしてみてほしい。そして、可能ならば、ここに連れてきてくれないか。話をしてみたい」
驚いて、思わぬ声が漏れた。
「どういうことですか?」
「あの子は恐らく、ひばりのライターを奪った魔法少女とは繋がっていない。そして、その背後の何者かとも。彼女はグローパーを倒し、君たちと同じように街を守っている」
「私に襲い掛かってきました」
「それは君が攻撃したからだろう?」
そう言われると、そうだ。しかし、あまり乗り気はしなかった。東さんはあくまで真剣な眼差しで続ける。
「彼女がどうやって魔法少女になったのか、それは分からない。そのことまで含めて知りたいんだ。頼んだよ――リサや香苗に会ったら、同じように伝えておいてくれ」
「……、わかりました」
海音の気持ちが少しだけわかる気がした。
理屈は分かる。でも、納得は出来ない。ともかく、その白い魔法少女と会ってみないことには、何も始まらなさそうだった。
いつものように人気のない路地に潜り込み、ライターを握りしめて、「変身」する。そのまま廃ビルの壁を駆けのぼり、広告看板の足元へ。
表の面にでかでかと、カードローンの広告が浮かぶこの看板も、裏から見るとただの大きな板だ。それを背にして、銃を変形させた拡声器を構える。
「La……」
声は小さくていい。あの時、切りつけられた場所がちくっと痛む――声は空気を震わせて、低い雲のすぐ下を、まるで這うように伝わっていく。
「あっちにいる」
すぐ近く。集合住宅地のなかで群を抜いて背も肩幅も大きい、あのマンションの辺りからだ。拡声器を折り畳んで背負ったとき、すぐ肩のあたりから声がした。
「どこかにいくの、明日架」
それは見たことのないクウだ。髪を長く伸ばし、羽が三対六枚もある。
「白い魔法少女を探すの。ついてくる?」
「ご主人様にそう言われたからね」
「東さんが?」
「あたしは反対だったんだ。でも、クウはご主人様の命令には逆らえない――イヤよね、まったく、あたしたちは戦う力が無いから、戦いに巻き込まれるのはごめんだってのに」
「出来るだけ、巻き込まないようにするよ」
「頼むわよ」
クウは私の肩のあたりにしっかりしがみついている。私はそれを横目に見て、ビルの屋上を駆け出した。
地面を見ると、高校生たちがわらわらと、蟻みたいに群がって、列を成して、歩いていく。
憂鬱な気分だ。でも、私と同じ境遇のひとたちの頭上を、軽快に飛んでいくのかと思えば、ちょっぴり気が晴れないでもない。
けれど、すぐにその気分は掻き消えてしまった。
「近くにいる」
「えっ、さっそくなの?」クウが耳元でそう不満を漏らした。
「ポケットの中に入ってて」
クウは言われた通り、ポケットの中に入り込んだ。私はとあるアパートの屋上で立ち止まると、すぐさま拡声銃をその下の路地に向けた。
いる。
すぐそこだった。銃に変形させ、そのまま飛び降りた。路地は深く、暗く、狭い。人がふたり、肩をすぼめ合ってようやくすれ違えるくらい――そこにいた。
大きく膨らんだ金属質の身体を、アパートと、その隣の民家の壁とに挟まれて身動きができないグローパー。赤い目は弱々しく点滅し、胸の辺りに埋め込まれた黒いライターの鼓動もまた、それに呼応するように小さい。
銃を構え、引き金を一度引くだけで、そいつは粉々に砕け散った。後に残ったのは、中身がたっぷり詰まったライターだけ。
「もしかして――」私のライターへ中身を移し替えながら、「近くに、あいつもいるかも」
「あいつって?」
クウはうんざりと、ポケットから顔を出した。
「あのギロチンの魔法少女――」私のライターはいっぱいになった。反対に、黒い方の中身は空になって、勝手にひび割れ、霧散する。「これまでのグローパーは、ライターの中身を消費して動いていた。人間を襲うのは、そうやって生命力――魔力を奪って、自分の糧にするため」
「そうなのね?」
「でも、こいつは中身がいっぱいだ。近くで人が襲われている気配もない。それに――こいつは自力で動けない状態だった。この場でライターを使って、グローパーになったんだ」
私は駆けあがり、またアパートの屋上へ。拡声銃を構え、周囲の魔力の振動を拾い集める。集中すると感度も上がる。私の心臓の音が響くほど――
「あの魔法少女はどこだろう?」
すさまじい振動が身体を叩いた。
それは私の目指していた、白い魔法少女のいるであろう方角からだった。朦朧とする意識に鞭打って、私は駆け出した。
もしかして、そこにいるの。
今度こそ逃がさない。風が頬を撫で、神経が研ぎ澄まされていくようだ。ライターの中身は満タン、傷もすっかり癒えている。頭痛を振り払うように首を振った。意識は明瞭、感度は良好。
ひばりの力を、返してもらう。
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