鷺宮千夏の友だち-2
陽が沈み、すっかり暗くなったころでも、東京はいつも明るい。
ネオンや電光掲示板、パブリック・ビューイングの画面、車のライト、駅の蛍光灯。みんな光ってる。でも、地面に私の影は映らない。
あれから少し、街を駆け回ってみたけれど、グローパーも、魔法少女も見つからなかった。こんな日もあるだろう。それとも、ここ数日で倒し過ぎてしまったのだろうか。
悪いことをした気分になりながら、私は廃墟になっている雑居ビルの中で変身を解き、表通りへ出た。テナントの表示がでかでかと出ているのに、中はもぬけのからだ。こういう場所があるなんて、知らなかった。
大人しく帰ろうと思って駅へ向かって歩いていく。
夜の繁華街ではいろんなものがある。いろんな人がいる。
数人で固まって立っているスーツの男の人。みすぼらしい格好のホームレス。サイケデリックな髪色の大学生たち。怒号。罵声。歌声。喧嘩。あちこちに煙草の吸い殻や空き缶が捨てられている。
私の目の前を歩いていた男の人が、何気ない手つきで、火のついた煙草を投げ捨てた。それはちょうど、後ろを歩いていた私の足元に落ちて、寂しく煙を立ちのぼらせている。彼はふらふらとおぼつかない足取りで、信号へ向かって歩いていく。スーツ姿の女性が声をかける。彼女と二、三言、会話を交わすと、路地裏のほうへ歩いていく。
まだ、火の消えていない煙草を拾い上げ、なんとなく匂いを嗅いでみた。お父さんは煙草を吸わない。私はあまり嗅いだことのない匂いだ。こんなものをくわえて煙を吸い込んで、いったい何が楽しいんだろう。
「こら、君」
警察官に声を掛けられて振り返る。ああ、前もこんなことがあったな。彼は私の持っていた煙草を指さして、
「それ、どうしたの?」
「ここに落ちてたんです。だから拾ったの」
「拾ってどうするつもりだったんだ?」
「どうって……別に、どうもしませんけど……」
「さっき、匂いを嗅いでたよね?」彼は私のことをじろじろ見た。「中学生だろ、その制服。煙草なんて吸っちゃだめだろ」
???
何が言いたいんだろう。戸惑っていると、彼は私の手から乱暴に煙草を取り上げると、そのまま地面に捨てて、綺麗な革靴で火をにじり消してしまった。
「さっさと帰りなさい。中学生があまり夜遅くまでふらふらしているんじゃない」
警察官は私に背を向けて歩き去り、そのまま路地裏へ入っていった。さっきの男の人が入っていったところだ。きっと、あの人が煙草をその辺に捨てたから、それを咎めるのだろう。
白い石畳の道の上に、ゴミがどんどん増えていく。
男の悲鳴が聞こえる。苦しくて苦しくてたまらないというような、そんな声だった。すぐそこで、別の若い男が、へたくそなダンスのような動きで地面を這いずり回っている。
私の暮らす街は、こんな所だったっけ。
ああそっか、と私は思った。私は今、きっとイライラしている。あまり実感はないけれど、こういう感じ……分からない。こういう時、どうすればいいんだろう。
とりあえず私はヘッドホンを耳に戻した。喧騒に掻き消されないように音量を上げて、その中に身を委ねる。大きな横断歩道を渡り、駅の改札をくぐって、また帰宅ラッシュの満員電車に乗る。
何気ないけど、ちょっと、不完全燃焼なこの感じ。
いったい何だろう?
うちに帰ってすぐ、私は大和に言われたとおりのことを実践することにした。
自分の過去のこと。思い出したくないこと、嫌なこと、トラウマ。とりあえず思いつく限り、ルーズリーフに書き連ねてみる。
といっても最初はあまり思いつかなかった。生まれてすぐのことはあまり覚えてないし、小学生だった頃の暮らしにも、別に特別、嫌なことはなかった。
最初に思いついたことを書いてみる。
『タバコのポイ捨て』
そこから次々に、シャーペンがゆっくりだけど走る。
『空き缶のポイ捨て』
『ごみのポイ捨て』
『うるさい人たち』
『話を聞いてくれない警官』
『街がうるさい』
『街がまぶしい』
このくらいだろうか。ペンを置き、びりびりに破いて、文字が読めないくらい細かく千切って、ごみ箱に捨てた。
確かにちょっとだけいい気分にはなる。
「なにか、変わったのかなあ」
でも、あまり劇的な変化がない。
もしかして、やり方を間違っているのだろうか?
「明日、もう一回大和に聞いてみよう」
○
「ねえ、あなたはどうして私の影になったの?」
「好きでなってるわけじゃない。そうしないとここにいられないから」
「どうしてもここにいなくちゃいけないの?」
「そうよ」
「私は、影が無くなったからって別にあんまり困らないと思う」
「わたしは困るわ。あなたが、わたしの光でなくなったら」
ここ数日はこうやって、自分の影と、なにやら哲学めいたことを話すことが増えてきた。どうせ帰り道はひとりだし、グローパーや魔法少女と遭遇することも減ってきた。暇で仕方がない。我が影ながら、いい話し相手だと思う。
「あなたは何なの?」私は思い切って尋ねてみた。「私の影なのはわかるけど、つまり、私の影であるということは――どういうこと? 私のことを光って呼ぶけど、私は別に光ってない。あなたを作っているのは太陽でしょう」
「そう……あなたは、ほんとうに分からないのね」
「教えてくれないの?」
「教えるも、教えないもないわ。あなたはもう知ってる」
「なにを?」
「わたしのことを、よ」
そう言われても見当もつかない。
困った。私は自分の影のことが分かっていない。でも彼女から――私の影だから多分女の子だと思う――すれば、それは大きな間違いだというのだ。
数学の授業で分からない問題に出くわした時のような、嫌な感じがした。
「ヒントを頂戴」
「あなたの影よ」
「知ってるよ」
「そうじゃない――あなたにとって、暗くて、後ろめたくて、嫌で、思い出したくもないこと。それが、わたし。あなたの影」
「ううん……?」
ますますわからない。
首をかしげていると、影は一緒に首をかしげて溜息をついた。こういうところは、影だけにそっくりだ。私はなんだろう、影はなんでわからないんだろう、そう思っているのだろう。
「あなた、わたしのことを自由に操れるでしょう」
「それって、魔法少女になったときのこと?」
影は頷いた。
あの青い魔法少女と戦った時のことを、この影は言っているのだろう。あの時――あの武器から放たれた輝く弾丸を防いだのは、地面からせり上がった私の影だ。ある時は影が勝手に地面から鋭い棘になって、あの魔法少女の腕を刺し貫いたことだってある。
「でも、どうやったかなんて、もう覚えてないよ。あの時は必死で……」
「それが分からないと、わたしはあなたに力を貸すことが出来ない」
悲しそうな声だった。
それで私は分かった。つまり、この影は私の味方でいたいのだ。
私がここにいないと影はいられない。影がいないということは、私はここにいない。
影は私を責めたいのではなく、私に、もっと自分自身のことを知ってほしいと、そう言ったのだ。
「もう一度、自分を一から見つめなおしてみよう。そうすれば、あなたのことがちゃんと分かるかもしれない」
「ようやく、ね」
「ごめんね、私の影なのに、私はあなたのことをちっとも見ていなかった」
うんうん、と影は激しくうなずいた。
でもその前に――と、私は立ち止まった。
「やらなきゃいけないことがある」
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