鷺宮千夏の友だち-1

   【White】




 最近よく奇妙な夢を見る。小さい頃はよくあったことだ。夢を見る時間はいつも憂鬱で、良くないことばかり思い浮かべてしまう。

 自分がよく知っている顔ばかり。

 でも最近見るやつは、より一層奇妙だ。



 私はどこか広い、廃病院のような、ドーム状のガラスの天井に覆われた施設の中に立っている。床のリノリウムはぼろぼろに剥げていて、元のきれいな純白さは見る影もない。非常口がぶら下がっている。緑色のランプがちかちかっと点滅している。



 私の前に立っているのは、わたしだ。

 私と同じ顔、同じ髪、同じような服と同じような目。でも、その子は黒い。薄めた黒いペンキを頭から浴びたように、真っ黒の血みたいなものが滴っている。



 ポケットからナイフのようなものを取り出すと、突然私に振り上げて襲い掛かってくる。

 それは私の行動と鏡合わせで、私が右手を振り上げれば、わたしも右手を振り上げる。

 そういうことを延々続けて、お互いに傷つけ合い、傷つき合う。そう言う夢だ。



 ただ一つ、違うのは――

 わたしは笑っている。白い歯を見せて、口が裂けたように笑顔を浮かべている。

 私はこんなに痛いのに。

 痛いのに。

 痛くて、痛くて痛くて、泣いてしまいたいくらいなのに。




   ○




 そうして目が覚めたとき、私はだいたい、布団の中で身を丸めて、ひどく冷たい身体に震えている。起きるのも憂鬱だ。

 目覚ましが鳴っている。



 お父さんはいない。週末のツーリングは楽しかった。でも、私は学校に行かなければいけない。お父さんも、仕事が忙しい。

 パジャマを脱いで、セーラー服に袖を通す。

 朝ご飯を食べるような気分じゃない。コップ一杯の水を飲んで、家を出る。

 通勤ラッシュの電車に揺られ、ドアから景色をぼんやり眺める。

 ひどい顔だった。

 一晩中泣きはらしたような目元と、三日も徹夜しているかのようなクマ。



「うわ、ひどい顔」



 案の定、朝の教室で大和が心配そうに声をかけた。



「大丈夫? ちゃんと寝てる?」

「大丈夫」

「うそ」

「ちょっと、変な夢、見るようになって。最近」

「変な夢?」



 私はその夢のことを、ありのままに大和に話した。

 彼女はどこからか取り出した、分厚い夢占いの本をぺらぺらめくりながら、時には質問を交えて親身になって話を聞いてくれた。



「それ、たぶん昔の嫌なことを思い出しているからだと思うよ」

「そうなんだ?」

「この夢占いの本によると」漢字やら、朱印やら、見るからに胡散臭い本だ。「自分や、自分にそっくりな人が現れる夢って言うのは、脳が過去を思い返しているからなんだって。ある程度時間を経て、昔あった出来事やトラウマを客観的に見ている、と」

「なるほど」

「それが自分にとって攻撃的な行動をとるときは、その過去が思い出したくないものや、秘密にしておきたいことだという暗示なんだって」

「ふうん」

「対策としては、落ち着いて、その思い出したくない出来事をメモ帳に書きなぐったあと、びりびりに手で破いて捨てること。ハサミやカッターじゃ駄目。手で、ちゃんとびりびりに破くんだって」

「そうなんだ」

 大和はさっそく私に無骨なルーズリーフを一枚、差し出してきた。

「あげるよ。今日、帰ったら試してみたら」

「ありがとう。ところで、どうしてそんな分厚い本を持ち歩いているの?」

「ん、たまたまだよ」



 見透かしたふうな言い方に、私は少しどきっとした。

 大和に隠し事は出来ない。

 なんでも私のことを知っている。私よりも知っているかもしれない。



「本当にたまたま?」

「そうだよ。たまたまに理由なんてないよ」

「そうなんだ」

「最近、機嫌がいいよね。千夏って」



 機嫌がいい。



「それって、どういう意味?」

「全体的に。こう、明るいというか、エネルギーが満ちているというか。なにか新しい趣味でも持ったの? スポーツとか」



 ほら――

 こういう風に、すぐに勘付いてしまう。

 表情が硬い方なのはわかってる。不愛想で、人見知りなのも。大和にそういうキャラ付けはぜんぜん、通用しないのだ。



「まあね」だから正直に、嘘なく答えるしかない。

「なに、なに?」

「別に、なにっていうほどのことじゃないよ。ただの散歩」

「散歩?」

「そう。ちょっと一駅分歩いてみようとか、なんとなく、用はないけどここの駅で降りてみようとか、そういう気まぐれ」

「ひとりで?」

「まあ、そうだね。だいたいひとり」

「なんか、いいじゃん。そういうの」



 大和は嬉しそうな表情を浮かべていた。鞄に夢占いの本をしまいながら、



「今度、またどこかに遊びに行こう。映画とか、美術館とかが良いかな」

「思い切って?」

「そう。思い切って」






 最近、大和はちょっぴり忙しそうにしている。

 休み時間や放課後は、そそくさと教室を出て行って、授業が始まるぎりぎりの時間まで戻ってこない。ぐうぐうお腹を鳴らしながら虚ろな目をしているところを見ると、あまり食事をゆっくりとっているわけでもなさそうだ。



「なにか、委員会とか入ってたっけ。大和って」



 放課後、ちょっとぼんやりしていた彼女に思い切って聞いてみると、ああ、という上の空な声が返ってきた。



「もうすぐ夏休みでしょ。いちおう私、水泳部だから。これからシーズンなんだよね」

「そうだったんだ」

「うちの学校って、プールがないでしょ? それで、外のプールを借りるとか、大会にはどうやって出るとか、合宿とか……顧問がほとんど仕事しないから、私たちで回すしかないんだ。いちおう、副部長だから」

「そうだったんだ?」

「そうなんだよ。だから、最近はあまり遊べなくて、ごめんね」

「ううん、それは、別に」

「大会が終わったら、思い切ってちょっと遠くまで行こうよ。熱海とか。温泉、入ろう」大和は携帯を取り出すと、「ごめん、また先輩からだ。じゃあ、またね」

「うん。頑張って」



 そそくさと教室を出ていく大和を見送ってから、私も教室を出た。

 玄関で靴を履き、正門をくぐって出る。ここしばらく――というか、大和と同じクラスになってからは、だいたいふたりで帰るのが当たり前だったから、不思議な違和感がある。ひとりで家に帰るなんて、当たり前のことだったはずなのに。

 でも真っ直ぐ帰らない。



 高架下のアーケードを抜け、線路沿いの人目につかない路地をわざわざ歩く。一駅分、調子のいい時は二駅、三駅分と長くなる。

 だいたいこの辺にいる。

 呼吸をするように分かる。例えば、すぐそこの路地――居酒屋の赤い看板と提灯の明かり、雑居ビルの看板には、どんな仕事をしているのかよく分からないテナントの名前が連ねてある、そんな場所の影から、



「ウオオォォオオ!」

「ほら、やっぱり」グローパーの絶叫は、すぐ近くを通り過ぎる特急の音に掻き消えてしまう。ポケットからライターを取りだして、スイッチを入れる。

「変身」



 すぐに身体がかっと熱くなって、次の瞬間、私は魔法少女になっている。

 グローパーは身長二メートルくらい。割合に四肢のバランスがとれた、人間の形をしている。赤い目はふたつ。身体は鉄紺色。

 両腕を使って繰り出してくるパンチは鋭い。ボクサーみたい。お父さんがよく格闘技の番組を見てる。大学生の頃は自分でも格闘技をやっていて、ずいぶん活躍したらしい。



 刀を抜くまでもない。

 パンチを避ける。躱す。叩き落す。

 胸の辺りで鼓動する、黒い液体の埋め込まれた、ガラス瓶のライターが見えた。まだ刀を抜かない。まだ、まだ――まだ……



「今!」



 右腕の拳の勢いにふらついたところで、ようやく鞘から剣を引き抜く。両腕と首が同時に切り落とされ、それに気付いた時、既に切先が心臓を射抜いている。

 悲鳴を上げて身体が崩壊していく。

 あとに残ったのは、黒い液体のガラス瓶だけ。取り上げてふたを開き、刀の鍔の辺りに埋め込まれた私の白いライターへ、中身を移し替える。白い煙と、熱い石に水をかけたような音。見る見るうちに満タンになり、半分以上も余ってしまった。



「これ、どうしよう」

「ねえ、こっちにおいで」



 路地裏からクウの声がした。私はその声に従って、半端に余った黒のライターを持ったままでそいつについていく。

 そのクウはリュックサックのような鞄を背負って、翼を窮屈そうに広げていた。



「それは?」

「これはライターです。ね、お願いがあるんだ。その余った黒いやつを分けてください」



 いいよ、と私はそれを手渡すと、クウは受け取る代わりに鞄からいそいそと中身を取り出した。それは鮮やかな赤色のライターだった。中身のオイルが、半分くらい減っている。



「どうしたの? そのライター?」

「ボクは、ご主人様に頼まれて、このライターを渡すのにふさわしい、魔法少女になる人を探しているんだ。でも、この間、ちょっとしたトラブルがあって、中身を半分くらいなくしちゃったの。ボクたちは戦えないから、困っていたんだ」

「そう。わかった。中身を移し替えればいいんだね」



 言われたとおりにすると、赤のライターはあっという間にいっぱいになり、代わりに、黒のライターの中身がちょうど空になった。力も込めていないのにビキっとひび割れ、それは風と共に消えてしまった。



「ありがとう。助かりました」

「いえ、いえ」

「ねえ、キミも魔法少女なの?」そうだよ、と答える。「さっき、ここからキミの戦うのを見てた。すごく強いね」

「ありがとう」

「じゃあ、ボクはこれで。ありがとう、白い魔法少女さん」



 クウはリュックに赤いライターを大切な宝物のようにしまい込むと、ふらふらと飛び去って行った。

 あの子たちもいろいろ大変なのだろう。



 私はこの間のことを思い出していた。あの路地裏で出会った魔法少女――背が高くて、青い、ロックスターみたいなあの人のことを。

 この街には、まだ私の知らない魔法少女がいる。

 どのくらい?

 ビルの壁面を駆け上がる。八階建ての屋上から街を眺めた。でも、捜してみる限り魔法少女はいなさそうだ。夕陽は真っ赤に燃えている。

 あの魔法少女は、このライターを渡せと、そう言って来た。私が嫌だというと、突然襲いかかってきた。大きな銃みたいなもので私を撃った。私の頭を掴んで、なにか、した。



 あの時は、無我夢中だった。

 ひょっとして魔法少女は、魔法少女どうし、争うのだろうか。それとも、あの人がたまたま、ちょっと血の気の多い人だったのか。



「次に会ったら、どうしよう」






 気配を感じて振り返る。

 誰もいない。でも、後ろで誰かがクスクス笑っているような気がした。いや、実際に笑っていたのだ。

 私の影――真っ黒に染まったそれが、ゆらゆら不自然に揺れている。まるで笑っているみたい。その声といっしょに震えて、身をよじり、腕を勝手に動かしていた。



「こら」鞘の先で影を叩くと、一瞬、自分の後頭部を小突かれたような気がした。影はもう勝手に動いていなかった。「影が勝手に動いちゃだめ。あなたは私の影でしょ」

「そっちこそ、わたしの光じゃない」



 影がしゃべった。



「そうよ」

「わたしはあなたがいないと、ここにはいられないけれど、ここにわたしがいないことになったら、あなたもここにはいられない」

「何言ってるの?」

「わたしはずっとあなたの足元にいる。あなたが前に進もうとするたび、後ろからあなたのことをじっと見ている。どこまでもついていく――」

「気味が悪い」

「なら、もっとわたしのことを見てよ」



 それきり影は、元通りになった。

 私の影がしゃべる。

 まるであの夢みたいだった。



 ビルからビルへ、高い所から高い所へ。時どき看板をくぐって、電線の間をすり抜けて。そうして街を駆け回りながら、次のグローパーを探す。



 影を見る。

 それよりも、私にはもっとやりたいことがあった。今日、お父さんは帰ってこない。

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