中井明日架 / 井荻リサ
「明日架ちゃん!」
しばらくして、私はクウと合流した。そいつは長く伸ばした髪をツインテールに結わえた個体で、街でもよく目立つ奇抜な、赤と青と緑でビビッドに塗装された五階建てマンション――の、屋上の給水塔で待っていた。東さんがそのように命令を出したからだ。
クウは背負ったリュックにきちんと『赤のライター』をしまっていた。傷ひとつない。
「合流できてよかった。大丈夫?」
「うん、ボクは大丈夫だよ」クウは心配そうに、私の肩の高さでくるくると回りながら、「ご主人様のいうような、魔法少女の素質を持った人を見つけることはできなかった。今日は、なんだか嫌な予感がするんだ」
「嫌な予感?」
「ボクのクウには、予感っていうものがあるのか分からないけど、そんな感じがする」
「とにかく、今日はもう大丈夫。私から離れないようにして」クウを上着のポケットに半ば押し込むようにして、私は再び駆け出した。「あなたと同じように、『黄色のライター』を運んでたクウと連絡がつかないんだ。何かあったんじゃないかって。あなたは何かわかる?」
「うーん、ごめん、わからないよ。ボクはただ『赤のライター』を運んでいただけだから」
「そう、分かった」
別に期待はしていない。私自身の力で探してみせる。
その時だった。空気がビリビリ震えるような衝撃が、髪の毛を引っ張った。すぐ近く――
「今の感じた?」
「うん……」クウの声は震えている。たぶん、まだグローパーとまともに顔を合わせていない個体なのだろう。「グローパーが近くにいるんだね」
「もしくは……」
魔法少女かもしれない。
魔力の振動は、より中心街に近い方、大通りに面したビルの、細い路地から噴水のように吹き出している。近付くたびにそれは大きくなっていく。私は新しくビルの屋上を蹴りながら、銃を展開し、両手で構える。引き金に指をかけ、銃身を抱えながら錆びついた手すりを蹴る。強烈にひしゃげる音、私の膝の動きに合わせて吹き飛ぶように破壊される手すり、その勢いのままに上空へ跳び上がる。
「そこだ――――!」
魔力の震えは、ちょうど私の真下の辺り――袋小路になっている路地から発せられているようだった。照準を合わせ、落下する勢いのまま弾丸を放つ。
その直前に私が見たものはみっつ。
ひとつは、蜘蛛のように無数の脚が生えたグローパーの姿。
もうひとつ、その赤く蠢く複眼。
そして――その身体にぐるぐると巻き付いている、無数の黄色いリボンのような……
気付いてためらったときにはもう遅かった。引き金を引いて、弾丸を放ってしまっていた。弾丸はグローパーの身体を貫き、その体組織を崩壊させていく。苦しそうに悲鳴を上げる。私はまだ落下している。
すると、グローパーの身体が突然、無数の棘のようなものに貫かれて、バラバラに砕け散った。よくみるとそれは、錐のように束ねられた黄色のリボンだ。私は分解したグローパーの破片の隙間を縫うようにして、地面へ落下、着地する。
見上げると、蜘蛛のようなグローパーの破片が降り注いでくる。その後に残ったのは、あの怪物を拘束し、貫いた黄色のリボンだけだった。白いフリルと、赤や銀色で複雑な刺繍の施された、豪奢なそれは、しゅるしゅる音を立てて、いきものみたいに渦を巻く。
からん、と私の目の前に何かが落ちてきた。それは黒いネバネバした液体の詰まったライター。それもふたつだ。おおかた、調子に乗って二個を併用したのだろう。馬鹿な連中だ。救いようがない――
「ねえ、そこのあなた!」
声は、路地の出口の方から聞こえてきた。
そこに立っていたものを見た。肩に力が入るのを感じる――山吹色のパラソル、黄色と白で縁どられた、フリルいっぱいのドレス、頭にはリボンカチューシャ、白く、肘まで覆い隠す手袋、とても戦うためのコスチュームとは思えない、高いヒールの靴。
「あなたも魔法少女なのね? そうでしょ、さっきの怪物とは似ても似つかない。それに、そのコスチューム! その武器、雰囲気もまるで違うわ。でも、左右がアンバランスで、それにアクセサリーもいっぱい。まるでロックミュージシャンみたいね。あなたは――」
「黙って。あなた、その『ライター』はどこで手に入れたの?」
「ああ、これのことね?」彼女は閉じられたパラソルを開くと、上機嫌にこちらに見せた。「さっき、クウという妖精からもらったの。こんな風に使えるものだなんて知らなかったわ。そして、魔法少女になれって言われて……初めのうちは戸惑ったけれど、」
「そのクウはどこ?」
「……、さっきの怪物に襲われて、消えちゃった」
連絡がつかない理由はそれだったのだ。ポケットの中で、もぞもぞとクウが身をよじるのを感じた。この黄色の魔法少女は、まるで宙にふわふわと落ち着きなく浮かぶ羽毛のように、軽やかに身を躍らせている。
「それより、魔法少女っていったい何なの?」でも、その口調は落ち着き払っていた。「私、クウに言われるままに変身した。あの怪物に襲われないようにって……でも、それしか教えてくれなかった。クウは怪物に食べられてしまったから。ねえ、あの怪物はいったい何? ほかにもいるの?」
そこで気が付いた。
彼女の唇は震えていた。落ち着かないその態度も、矢継ぎ早な言葉も、それに――私に同意を求めるような口調も。
「ついてきて」だから私は彼女に手を差し伸べた。私の方が先輩だから。「あなたがどういう経緯で魔法少女になったのか、詳しく聞くのは後回し。あなたに会わせたい人がいる」彼女はまだ、疑いを拭いきれない眼差しをしている。「私を魔法少女にしてくれた人。あなたの持っている『ライター』を作った人。怖い人じゃない、あなたの力になってくれる」
ようやく彼女は頷いた。
「行こう」
そう言って私が手を差し伸べ、ほとんど同時に、その子も手を差し出した。
頭上から、ぱらぱらと粉雪のように降り注ぐ、ガラス粉のようなものを感じた。
「避けて――――!」
その一瞬あと、私たちの間に三つのものが落ちてきた。土埃に霞んでいたそれらは、
「これは……」
一つは、鋭い甲冑のようなものに身をやつした男。
もう一つは、鎖で繋がれたギロチンの刃。
最後のひとつは、
「
背筋のぞっとするような冷たい声だった。表情がうかがい知れない。どうやって顔を動かせば、どんな表情を作れば、こんな声が出せるんだろう。
「やりなさい」
甲冑の男が力なくうなずいて、鋭いハサミのような両手を振り上げた。咄嗟に身をひねって躱すと、左腕に鋭い痛みが走る。
はっと、本能に訴えかける危険。
すぐに頭を伏せると、男の鋭い蹴りが私のこめかみのあった場所を貫いていた。ギリギリと、真っ赤に光る目が光る。
これまで見たグローパーとは、比較にならない俊敏さだ。またしても腰をかがめて――襲いかかってくることはない。
見ると、その身体じゅうに、黄色いリボンが何重にも巻き付いて、男の身体を雁字搦めに拘束していた。
「今のうちです!」
うん、と私がうなずいたのが見えたかどうかわからない。武器を展開し、力を込めて叩きつけた。
「そんな――」ビクともしない。ザコが相手なら体組織ごと粉々に粉砕しているところだ。なのに、首を打ち据えてもびくともしない。
ドン、と鈍い音がした。
いつの間にか巻き上げられていたギロチンの刃が、男を拘束していたリボンをすべて切り裂いた。自由になったグローパーは身体じゅうの金属片を震わせて、くるくる回る。
「きゃあっ!」
黄色の子の悲鳴が聞こえる。男に蹴飛ばされて、路地の出口へと転がっていく。男の注意は、そっちに向いていた――と、銃口を構えたとき、目の前に女の子が降ってきた。
「あなたの相手は、わたしです」
手に持ったギロチンの刃。軍服みたいな詰襟とスカート、でもあちこち鋼鉄線みたいなものが巻き付いて、まるで自分を拘束しているみたいだった。ゆっくりとギロチンの刃を振り上げると、力いっぱいにこちらに投げつけた。
銃身で受け止めると、重たい金属音がする。
右足がぐいっと持ち上げられた。いつの間にか絡みついていた鎖が、私のくるぶしを引っ張り上げたのだ。そのまま天地がひっくり返り、脇腹に衝撃が走る。魔法少女の放った鋭い蹴りで、私はビルの壁面に叩きつけられた。
骨の軋む音がする。
「随分、消耗しているみたいですね」そいつが私の前髪にそっと手を伸ばし、「都合がよいです。あなたをここで始末すれば、タスクが幾分か――いえ、とてつもなく短縮できます」
耳の端に絶叫のような悲鳴が聞こえた。
あの黄色の子だ。魔法少女になったばかりの、戦い方を知らないあの子を助けなくては。もう目の前で魔法少女が倒されるのは嫌だ。
脇腹にどすっと、ギロチンの刃が突き刺さった。喉が勝手に悲鳴を上げた。腸や骨をすべて両断して、私の身体を貫通している。そういう感触がある。身体から力が抜けていく。
指に力が入らない。
ここまでか。とうとう覚悟した。何度もこういう瞬間はあった。なのに、今まで来なかったこの気持ちをとうとう――
「なっ――!」
乱暴に刃を引き抜かれた激痛に、視界が一瞬、鮮明になった。
目の前が緑色に燃えていた。朦朧とする意識が、徐々に回復してくる――『ライター』の魔力が私の肉体の損傷を再生しているのだ。傷が埋まり、血が止まる。指先に神経が通う。
最後に見えたのは、ギロチンを引きずるようにビルの屋上へ逃げていく魔法少女の姿だった。
「待てっ……ぐ!」
立ち上がると、痛みと共に傷が開いた。同時に、身にまとったコスチュームが切れ、手元に転がっていた銃が消え、元の『ライター』へ戻る。
魔力切れだ。中身のオイルは、ほんの数滴しか残っていない。
「あらあら……明日架ったら」目の前で燃え盛る緑色の炎の中に、黒いローブと帽子で身体をすっぽりと包んだ、魔女が立っていた。彼女は私の前にひざまずいて、「あなたがここまで苦戦するとはね。でも、もう大丈夫よ」
「香苗、さん……あの子は……」
「心配ないわ」
炎が不自然な速度で消えていく。その向こう側に見えたのは、真っ黒のススになって霧散していく甲冑の男と――その四肢に絡みつき、地面に縫い針のように突き刺さっている無数のリボン。
そして、膝を折って、いまにも泣きそうな表情の、黄色の魔法少女だった。
香苗さんはその子にもそっと歩み寄って、
「怖かったわね。でも、もう大丈夫よ――」
そう言って彼女を抱擁した。
路地裏には、普通の女の子が泣き叫ぶ声と、嗚咽が漏れた。
緑色の炎は静かに消えていく。
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