中井明日架と『東の魔女』

   【Blue】




 東さんは、フルネームとして祐天寺ゆうてんじあずまと名乗っている。

 でもそれは、彼女が生まれ持った名前じゃない。たまたま東に向かって旅をしていたらついた場所だから東と名乗り、たまたま目についた地名である祐天寺を苗字とした。この国では、土地や場所の名前をファミリーネームにすることは決して珍しくないから、らしい。私の「中井」という苗字だってそうだ。



 東さんは『魔女』だ。

 最初はとても信じられない話だけど、私はそれが真実だということを知っている。私は魔法少女で、東さんは魔女。見た目は若々しいけれど、もう何百年も姿を変えていないらしい。



 私はビルからビルへ、なるべく人目を避けて飛び移りながら、奴らを――グローパーを探していた。ここ最近数が増えているといっても、こうして探してみると、なかなか見つからないものだ。

 オイルの残量は、だいたい四分の一くらい。

 変身していられる時間は残り少ない。東さんが大事に保管していた、数少ない予備の魔力抽出液まで使っているのだから、せめてちゃんと成果を挙げなくては。

「まずは、クウを探さないと」






「外に遣わせたクウから連絡がこないんだ」



 私が工房に立ち寄ったとき、彼女はにわかに焦っていた。私はその言葉を聞いて、背中がさっと冷たくなるのを感じた。



「私、捜してきます」

「慌てるな。もう少しでオイルが出来上がる――たった少しだけど、明日架の『ライター』の残量も残り少ないだろう?」



 少し浮いた腰を、もう一度座布団に落ちつけた。

 東さん――というか魔女と呼ばれる人たちは、魔法を使えるようになる代償として、その身に「呪い」を受ける宿命にあるのだそうだ。それは、東さんだって例外ではない。



『直射日光を浴びられない』。『靴を履けない』。『子どもを作ることができない』。『犬に触れられない』。『地面に落ちたカラスの羽を拾うことができない』……いろいろな呪いを東さんは背負っている。



 ともかく彼女は、少なくとも日中の間は、骨董品店を模したこの工房から外に出ることができない。代わりに彼女の脚変わりとなっているのが、クウと呼ばれる「使い魔」たちだ。クウたちはあちこちを飛び回り、時には雑用をこなしたり、時にはグローパーの活動を報告したりする。もちろん、私のような魔法少女のサポートをしてくれることも、多々ある。

 使い魔として街に放ったクウから、連絡がこない。

 それはつまり、クウたちの身に何かが起こったことを意味している。使い魔は主人である魔女を裏切ることができないからだ。



「連絡の取れないクウたちは、いったい何を?」

「連絡がつかないのは二体だ。一方は『黄色』を持たせたやつ。もう一方は――香苗かなえの様子を見に行かせたやつだ」



 香苗。

 その名前を聞くたび、少し胃の奥の方がきりきりする。



「『赤』のクウはどうですか?」

「そっちとはコンタクトがとれている。一応、こっちに戻らせているところだ。明日架には『赤』を持ったやつと合流しつつ、『黄色』の奴がどうなったか、捜してほしい」

「香苗さんの方は、どうするの?」

「たぶん、行ったところでもう手遅れだよ」



 ため息が漏れた。あの人の周囲では、いつもなにかトラブルが起きている。同じ魔法少女ではあるけれど、私もあの人と同類なんだと思うと、途端に肩が重くなる気分だ。

 奥の方で和風な内装に似つかわしくない、ピピピピという電子的なタイマーの音が鳴った。東さんはおもむろに立ち上がって奥に引っ込むと、やがて鉄瓶のような容器を持って来た。



「ライター、出して」言われたとおりに懐から青いライターを取り出すと、東さんは慎重にフタを空け、「随分減ったな。明日架がここまで消耗させられるとは――」鉄瓶から透き通る液体を、そっと、慎重に注ぎ込みながら、「それほどの強敵だったのかい、その、白い魔法少女というのは」

「影を操る力を持っていました。それに、頭を潰してもすぐに再生した」

「ひばりを襲ったのと同じ人物の可能性は高いね。例えそうでないとしても、関係者である可能性もある。ただ、明日架に深手を負わせるような強力な魔法少女なら、万が一遭遇したとしても、戦闘を避けるのが適当な判断だろう」やがて鉄瓶の中身は空になり、青いライターの中には七割ほど、魔力のオイルが満たされていた。「これが精いっぱいだ。急ごしらえだからね。生きものを使えば、もう少し効率よくできるんだが……」

「充分です。これで」



 ライターを手にそそくさと立ち上がる私に、東さんが芯の通った声で言った。



「冷静にな。ひばりの敵討ちも勿論大事なことだが、それに執着してはいけないよ」

「大丈夫です。いってきます」






 工房を出たとき、真っ赤に染まる夕陽がとてもきれいだけど、それを拝んでいる暇はない。住宅街のはずれにひっそりと佇む廃墟――元は銭湯だった場所で、既に取り壊しも決まっているが、「取り壊し工事予定」の看板は既に十年前の日付を示している。裏口からこっそり忍び込む。光の入り込まない、黴臭い空間。



「変身」



 いつもの合図。たちまち身体が青いコスチュームに包まれ、ライターを握っていた手には、折り畳まれた対物銃が握られている。しっかりと握りなおし、穴の開いた天井から屋根の上へ、そして隣の屋根へ飛び移っていく。

 この辺りで一番高い屋根へ。

 一番音が響く場所へ。

 住宅街を飛び越え、空を横切るカラスの群れとすれ違い、電線をくぐって高架下へ潜り、路地裏に入ったところでビルの壁面を駆けのぼり、ビルの屋上へ。



 手にした武器を広げる。この武器はただの銃ではない――私の力が結んだ像、私がもっとも力を振るうことのできる、魔法のアイテムなのだ。



「Uhhhhh――――…………」



 口笛を吹くような音は、空に響き渡り、私の耳に規則正しいさざ波となって反響する。この対物狙撃銃のような武器の本来の用途はこれだ。私の声を響かせる拡声器であり、周囲の震えを捉える集音器でもある。真っ直ぐに突き立てた武器に伝わるかすかな振動に耳を澄ます。冷たく静かで、透き通った音の中に、ほんの少しだけ異なる音がいくつかある。



「あっちか」



 位置と方向を把握。再び武器を折り畳み、ビルの屋上から飛び降りるようにして次のビルへ飛び移る。それの繰り返し。

 まかり間違っても誰かに見られて、余計なトラブルを起こすことは避けたい。

 今日は七時からバンドの練習もある。遅れるわけにはいかないのだ。

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