井荻リサのいつも通りの人間関係-2

 家に帰ってから、私はなんとなく脳裏に残っていた、「通り魔」のことを調べてみることにした。と言っても、ネットやSNSで検索をかけるくらいのものだ。

 表立ってネットのニュースになったりしているわけではないし、新聞の隅っこに小さく書かれるような、その程度の扱いを受けているようだ。駿介の言う「通り魔」というよりは、連続失踪事件として、報道されていた。



 被害者はみんな男性。年齢は、十代から五十代後半。

 ここ数か月で頻発しているらしい。都内の主要な鉄道駅付近で、特に多い。

 財布や鍵、クレジットカードといった貴重品には手が付けられておらず、現場に残されていることが多く、それをきっかけに事件が発覚することが多い。逆に言えば、明るみに出ていない事件を予想すると、被害者の数は現在判明している分の数倍に及ぶ可能性がある。



 そんなところだった。

 ぜんぜん現実味のない話に思える。例えば同じ街、同じ区内で殺人事件が起こって、犯人が未だ逃走中だとしても、私はぜんぜん警戒しないだろう。

 東京は広い。

 姿も分からない他人を警戒してばかりいたら、ここでは生活していけない。

 でも、素直に他人事として、遠くの世界のニュースとしてそのことを割り切れないでいるのは、あの駿介の表情だった。あの横顔がずっと、脳裏に焼き付いていた。



「もう!」



 クラスメイトがからかうせいで、変に意識してしまう。幼馴染の顔を思い浮かべているだけなのに、どうしてこんなに落ち着かないんだろう。




   ○




 私と駿介の家は、両方の親同士が学生時代からの大親友ということもあって、小さいころから家族ぐるみで付き合いがある。毎年、夏と冬には、両方の家族を連れ立って、あるいはどっちかの家族にくっついて、旅行に出かけるのが定番だった。



「駿介くんと、何か話してるの?」



 朝ご飯を食べているとき、お母さんが急にそんなことを言いだした。



「話してるって?」

「いつも、どこかに旅行に行ってるでしょ? 今年はどこかに行ったりしないの?」

「なんか、部活の大会があるから忙しいかもって。そう言ってたよ」

「そう、残念ね」

「そんなもんだよ、高校生だもん」

「そうよね?」お母さんはてきぱきと皿を洗いながら、「高校生になると、一緒に旅行なんていう歳でもないわよね。あ、でもお盆が近くなったら、おばあちゃんの家には行くつもりだからね。ついてくる?」

「どうしようかな」

「早めに決めておくのよ。アルバイトでも、なんならひとりで旅行に行くのでもいいんだから。無理してお墓参りについてくることないのよ」



 お母さんはこういうところ、けっこうドライだ。最も私も、顔も見たことないおじいちゃんやおばあちゃんのお墓に、特別な思い入れがあるわけでもない。



「じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。気を付けてね」






 学校に行く間の道にある、昨日の非常線はとっくになくなっていた。もう、野次馬がそこに集まることもない。道行く人はみんな、何事もなかったかのようにその場所を通り過ぎていく。

 私はふと気になって、その事件現場だという路地裏を覗き込んでみた。



 ビルとビルの隙間、室外機が回っていて、突き当たりで行き止まりになっているようだ。薄暗く、ここに誰かが入るとは思えない。見ると、すぐ近くにダンボールが敷いてある。ホームレスの人が寝床にして

いるのだろうか。



「どうしてこんなところで、通り魔に遭うんだろう?」



 耳元でバサバサという音がした。振り返ると、何羽ものハトが、私のすぐ後ろを大きな翼を振りながら飛んでいくところだった。

 なんだか朝から嫌な気分だ。ハトはあんまり好きじゃないから。






「ね、リサ、聞いてよ~」



 クラスメイトが私を見るなり、急に駆け寄ってくる。私は自分の席に座りながら、



「なに?」

「昨日、彼氏と喧嘩しちゃってさぁ。なんでだと思う? 向こうが、『お前、男と付き合うの、俺が最初じゃなかったのかよ!』って、急に言いがかりつけてきてさ」

「うんうん」

「私としては別に、隠してたつもりはなかったし、かといって話すことでもなかったから黙ってただけなんだけど、向こうが勝手に怒っちゃって、なんていうか、手が付けられないんだよね! どう思う?」

「それは、その彼氏が勝手だと思うけど」

「そうだよね! やっぱり、リサもそう思うよね?」

「でも、ちゃんと話し合った方がいいんじゃない? もしかしたら、なにか向こうが誤解していることがあるかもしれないし」

「でも、ぜんぜん取り合ってくれないんだもん。メッセージにも既読つかないし……」

「じゃあ、直接電話するとか。それで何も反応なかったら、きっと別れるしかないよ」

「でも~……」



 こんな風に、クラスメイトの女の子たちの愚痴の「聞き役」が、私の立ち位置だった。

 別に不満はない。むしろ、こういう風に話を聞くのは、楽しいことだと思う。



「リサに愚痴ってると、なんとなく、安心するんだよね」



 そう言われると、こっちも聞いている甲斐があるというものだ。と言っても、特にこれといってアドバイスをしているわけでもないんだけれど、女子というのは愚痴を吐き出しただけで割合、気持ちが楽になるものなのだ。

 朝のチャイムが鳴って、教室がにわかに慌ただしくなる。

 担任がドアを開けて入ってくる。

 いつも通りの風景。なのに、脳裏にまだ駿介の言葉と、あの表情がちらついていた。

「通り魔」という言葉も。






 あっという間に放課後になった。今日の授業のこと、休み時間のこと、お昼にいったい何を買ったのかも、記憶がおぼろげだ。代わりに、ぜんぜん違うことをたくさん考えていた気がする。

 何気なくスマホを開くと、駿介からメッセージが届いていた。



『今日は練習遅くなりそうだから、無理して待ってなくてもいいからな』



 別に、無理して待ってるわけじゃないのに、と思ったけど、駿介に余計な心配をかけるのも嫌だった。



「じゃあね」と、クラスメイトに声をかけると、「今日は駿介くんのこと待たないの?」「ケンカ?」「ふられたとか」みたいな、からかい文句に当たり障りない言葉を返しながら、教室を出た。



 ひとりで歩く通学路は退屈だ。車のエンジンや人の足音が、話し声がうるさい。すぐわきを、黄色い帽子をかぶった小学生たちが、はしゃぎながら通り過ぎていく。今は、女の子だから赤、男の子だから黒っていうランドセルの区別はつかない。さっき通り過ぎた子だって、スカートをはいていなかったら男の子だって言われてもきっと気付かない。

 昨日の事故現場に通りかかった。すっかり片付いていて、何も残っていない。



「あれ?」



 でも、それは勘違いだった。

 ふと歩みを進める。路地の奥の方で、何かがきらっと光ったような気がしたのだ。気のせいかもしれないけど、私は路地に入り込んだ。

 半分くらい進んだところで、急に心細くなってきた。

 おぞけがする。上を見上げると、廃ビルの今にも落ちてきそうな室外機と手すり。なんで引っかかっているのか分からない、黒くて太いワイヤー。細い線みたいに切り取られた夕焼けの空。少し曇って見えた。



 背後でこそこそ喋り声が聞こえるような気がして振り返っても、そこには誰もいない。大通りを歩く人々は、私の方を――路地の中をわざわざのぞき込んだりはしない。

 ちょうど路地の突き当たり、袋小路になっているところにそれはあった。



「なんだろう、コレ……」



 それは黄色い、ライターのような入れ物だった。

 爪で弾いてみる。金属のような、ガラスのような……黄色い透明な容器に、なみなみとオイルのような液体が注がれている。てっぺんには金属の装飾と、引鉄のような形のスイッチ。まるで銃身のない拳銃みたいだった。

 どこかで見たな、と思った。これによく似たものをどこかで見たような。



「ああっ!」



 という声は頭上から聞こえた。見ると、白くきらきら光る妖精のようないきものが、私のことを指さしていた。その眉は怒りにつり上がっている。



「返せ! それはおいらのものだ! 触るんじゃない!」



 なんだ、この生きもの……!

 どうして喋っているんだろう?



「おい、聞こえないのか?」

「き、聞こえるけど……」それどころじゃない。まるで――絵本のなかの世界だ。手のひらにちょうど乗っかるような大きさ、背中に生えた羽、きらきら光る身体。「あなた、いったい何?」

「それをこっちに寄越したら、教えてやるよ」

「これ?」

「そうだ! それはすんげぇ、危ないものなんだから! ほら、早くこっちに渡せ!」



 言われたとおりにする。彼は両手いっぱいにそれを抱えると、背中に負ったリュックサックのようなものにそれを入れて、器用にもう一度背負いなおした。ほっとしたような表情だ。

 私は不思議の国の住人になった気分だった。でもここは現実で、路地裏の突き当たりだ。



「約束は守らなくっちゃな」と、そいつは咳払いをして、「おいらは、クウ。ご主人様の小間使いとして働いてる」

「それ、いったい何?」

「それは言えない。でも、とにかくすごく危ないものだって、ご主人様に言われてるんだ。だから、あんたにも触らせないよ。でも……」

「でも、そんな大事なものをどうしてここに置いておいたの?」

「そ、それは……」



 しどろもどろにクウは身をよじった。



「……もしかして、落としちゃった……とか?」

「う、うるせーな! それは関係ないだろ! でも……ひ、拾ってくれて、ありがとよ」



 照れくさそうにクウはそっぽを向いて、じゃあな! と言い残し、ひゅんっと飛び去ってしまった。何だったんだろう、今の。

 そのとき私は思い出した。あのライターみたいなものを、どこで見たのか――



「そうだ、DJジーマ」



 彼が動画投稿サイトにアップロードした、黒いどろどろした液体の詰まったもの。アロマオイルとか、お香とか彼は言っていた。その動画を見ている途中で、アプリが強制終了して……

 彼が持っていた、あれだ。色は違うけど、拳銃のグリップ部のようなあの形。そっくりだ。



 私はふと気になって、その動画を検索してみた。するとそんな動画は見つからず、削除されている。さらに奇妙なのは、毎日動画をアップロードすることをモットーにしているはずのDJジーマが、ここ数日は動画を投稿していない。彼のSNSも、だいたい同じくらいの時期から更新が途絶えている。動画のコメント欄やSNSは、彼の安否を心配する声であふれていた。



 思考はそこで途切れた。

 ギチギチギチギチ。錆びついたドアをゆっくりこじ開けるような音は、またしても頭上から聞こえてきた。見上げると、真っ赤な目を五、六個も輝かせた、巨大なクモのような、人間のような、よく分からないものが、細くて錆びついた足をせわしく動かしながら、私のことをじっと、にらみつけていた。

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