井荻リサのいつも通りの人間関係-1

 ハァイ! HEY! HIGH!

 みなさん、こんにちは。

 今日もお仕事、学校、お疲れ様です。

 みんなの心の疲れを癒すDJ・ジーマです。



 みなさんは、コレ。コレですよ。

 いったい何か知っていますか?

 中身に黒いネバネバしたものが詰まっていて、栄養ゼリーかな? とも思うかもしれませんが……

 って、そんな訳無いだろってね。

 これ、実はいま巷でにわかに流行を見せている、アロマオイルなんです。

 ちょっとカメラにアップで見せますね。



 これ……

 まるで拳銃みたいな。拳銃みたいな形をしているんですけど、どうやらライターらしいんですよね。

 ここ。

 ここのスイッチを押すと、火打石みたいなもので火がついて、部屋中に匂いがほわっと広がるそうなんですよね。

 というのも、これ、一般には流通していないみたいなんですよ。

 とある職人さんがひとつひとつ手作りしているみたいなんですけど、一個千円くらいで定価販売されているらしいんですけど、僕はこれ、某オークションサイトで五千円くらいで購入しました。

(テロップ:忙しいときはホント便利です)



 というわけで、手に取って触るのも初めてです。

 意外とずっしり重たいんですよ、ホラ……画面越しに伝わらないのが残念ですね。

 疲れがふっとぶらしいので、ちょっと楽しみにしてますよ。期待大です。



 では、さっそく試してみましょうか。

 ここのスイッチを押して――――




   ○




   【Yellow】




「あれ?」



 そこでぶつっと、唐突に映像アプリが強制終了した。イヤホンからぶつっという、嫌な音が聞こえて、私は反射的にイヤホンを耳から外した。

 少し傷のついたスマホの画面には、いつも通りのホーム画面が表示されている。



「どうしたの、リサ」



 隣の席に座っていたクラスメイトが、少し笑いながら話しかけてきた。



「なんでもない。断線したかも」

「そんな安いの使ってるからだよ。何千円か出して、少し高いの買えば、そんなに断線しないし、音質も最高なのに」



 このイヤホンは確かに安物だけど、ちゃんと使っていればそうそう壊れるようなものではなかったはずだ。四回も同じやつに買い替えている私にはわかるのだ。



「また、買いなおさなくちゃいけないよ」



 私はすっかり、動画の内容なんて忘れてしまっていた。






 放課後の教室でひとり、イヤホンで音楽を聴きながら時間を潰していた。ついでに、ノートを広げて、数学の宿題なんてやりながら……窓の外から差し込んでくる夕陽が真っ赤に燃えて、とてもきれいだった。



「真面目だねえ」



 クラスメイトたちが私を見てからかう。



「リサ、放課後まで残ってわざわざ宿題?」

「家だと集中できないし、今のうちにやっちゃおうと思っただけだよ」

「ウッソ~、ウソウソ。わかってるんだから」

「なあに? なんのこと?」

駿介しゅんすけくんのこと、待ってるんでしょ」



 シャーペンの芯がぼきっと折れた。クラスメイトは周りの席に座って、



「まだ告白してないんでしょ? いい加減、言っちゃいなよ」

「やだなあ、もう。別にそんなんじゃないって、駿介とは」

「またまたぁ。リサ、隠しごと下手なんだもん。バレバレだよ、もうクラス中みんな気付いてるって」

「この間、花沢先生も言ってたよ、」その子は数学の若い先生の物まねをしながら、「『井荻いおぎ桜井さくらいって、付き合うてるんじゃないん?』ってね」

「超にてるー!」

「イントネーションとかそっくりじゃん」

「もう、からかわないでよ。ほんとうにそんなんじゃないってば!」



 さすがに私も照れ臭くなって、少し大声でそういうと、またみんなの笑い声が教室に響いた。つられて、私も思わず笑ってしまう。駆け引きや陰湿さがひとつもない、ただの、他愛もない話。



「でもさー、そろそろ夏じゃん? 彼氏とデートに行くんだとしたら、やっぱり海かなあ」



 長髪を淡い茶色に染めたクラスメイトが、おもむろにスマホをいじりながら言った。



「凛子、彼氏いたっけ?」

「あの人? あの一高のサッカー部の?」

「ソレとはもう別れたって。別のだよ、別の」

「別のって?」

「うちの三年の先輩だよ、もう推薦で大学決まってるから、夏は暇だって言って、あちこち旅行に行こうってさ」

「へー」

「うらやましいなあ。私はバイト、バイト、バイトだよ、夏休みは」

「水着なの?」

「そうそう、海に行くっていうからには水着じゃん? でも、ぜんぜん用意してなかったから正直ヤバくて……」

「リサは?」



 突然私に話の矛先が向いて、少し驚いた。

 みんな私を見ていた。



「何が?」

「夏休みだよ、夏休み。なにか予定とかないの?」

「別に……特に何も考えてないけど」

「ふうん……」



 会話が途切れた。みんな静かになって、教室が一瞬静まり返る。グラウンドから聞こえてくる運動部の掛け声が、妙にうら寂しく響いていた。

 時計は午後五時を指している。



「あのさあ」不意にひとりのクラスメイトが頬杖をつきながら、「リサは駿介くんのこと、なんでもないっていうけど、駿介くんはきっとそう思ってないよ?」

「まさか。私、駿介とは小学校に入る前からずっと一緒なんだよ?」

「だからじゃん」「なんでそれで何もないと思えるんだよ!」「とっとと告っちゃえよ!」

 突然の罵詈雑言の嵐に、さすがの私もカチンときた。

「ほっといてよ、別にそんなんじゃないってば!」

「でも、今日も駿介くんの帰り、待ってるんじゃん。だから宿題なんかやって時間潰してるんでしょ」

「別にそれは関係ないでしょ」

「関係あるよ。だって今日、数学の宿題、出されてないもん」



 咄嗟に、机に広げているノートのほうに視線がいった。



「ずっと授業中も上の空じゃん。それに、自覚無いと思うけど、最近は二言目には駿介くんのこと、しゃべってるし。それで何でもないって言って、何でもないわけないじゃん」

「つーか、リサってなんだかんだいって奥手だよね~」

「たぶん駿介くんのほうは、リサから言い出すの待ってるよ?」

「でも……」

「ほら、いいからいいから」と、クラスメイト達は勝手に私の荷物を乱暴にまとめ、あっという間に鞄に詰め込んでしまった。



「な、なに?」

「今日はバスケ部、早く終わる日だよ。そろそろ駿介くん、帰る頃だと思うから。行ってやりなって」

「な、なにそれ。言われなくても、帰るもん」

「達者でな!」

「健闘を祈る!」



 クラスメイト達の言葉に背中を押されて、私は教室を出た。でも、廊下を歩く足取りは、そんなに軽くはならない。駿介と私が、付き合うなんて。

 そんなことにはならない。






「あ」

「おっ」



 玄関先でちょうど、練習を終えたと思しき駿介と鉢合わせたとき、私は少し重たい気分が晴れた気がした。



「お疲れ。もう練習終わり?」

「ああ。そう、偶然だな。一緒に帰ろうぜ」

「いいよ」



 一緒に校門を出て、夕陽の道を歩く。

 何度となく繰り返してきたことだけど、あのクラスメイト達の冷やかしのせいで、なんだか妙に意識してしまう。



「なんかさ、また背、伸びたんじゃない?」

「そうか? 自分じゃそんな気しないけど」

「そうかもね。気のせいかもね」



 私はただでさえ背が小さい。クラスで背の順に並んだ時は絶対に一番前だ。駿介は小学三年生の頃からバスケをはじめて、それまで私より背が小さかったくせに、今じゃすっかり私を追い抜いて、そろそろ百八十センチを超えるんじゃないかという勢いで今も伸び続けている。



「暑くなってきたな、最近」

「そうだね」

「そうだ、聞いてくれよ。俺、夏の大会でレギュラーに選ばれたんだ」

「へえ、凄いじゃん。一年なのに?」

「他にも一年で選ばれてるやつはいるよ。だから、これからも気を抜かずに頑張らないといけないなって、思ってたんだ。それで……」と、そこで駿介は少し言いにくそうに、「大会とか練習で忙しいから、今年の夏は、一緒に遊びに行けないかも」

「いいよ、そんなの、気にしなくても」

「でも、なんだかんだ毎年、どこかしらに遊びに行ってただろ。去年は北海道、一昨年は宮城、その前は……」

「その前は京都」

「そうそう。だから、何となく落ち着かないだろ」

「いいでしょ、もう、高校生なんだからさ」



 信号待ちをしている時間は、ゆっくり喋れるのでとても心地が良い。

 夕陽がどんどん傾いてくる。

 私の小さな影は、背が高くて肩幅の広い駿介の影に、すっぽりと覆い隠されてしまっていた。



「大会、決まったら教えてよ。応援に行く」

「いいよ。見てて面白ものでもないだろ」

「応援って、そういうのじゃないでしょ」



 信号を渡った先、大通りに面した路地裏のほうに、少し人だかりができていた。街路樹の並ぶ広い歩道を、半ば塞ぐように人が集まっている。



「なんだろう?」



 私たちが歩み寄っていくと、そこには警察が数人立って野次馬たちを押しとどめていた。黄色いテープで非常線が張られ、細い路地の先に、ブルーシートで覆われた何かが見えた。私たちはこっそり様子をうかがいながら、見ていないようなふりをしてその場を通り過ぎた。



「最近、多いんだってな」駿介が唐突に口火を切った。

「多いって、何が?」

「通り魔だよ。男ばっかり狙った通り魔」なんてことなさそうに鞄を持ち直しながら、「つっても、財布とか鞄みたいな持ち物しか残ってなくて、現場に死体とかがあるわけじゃないんだってさ。ここ最近、急に増えてるって」

「なんか、意外」

「何が?」

「駿介がそういう、ゴシップに興味あるって知らなかった」

「ゴシップなんかじゃないよ。実際に襲われてる人がいるんだ」



 その言葉は強く口をついて出ていた。

 駿介の表情をうかがった。逆光で良く見えなかったけど、それは、小さいころ、私をいじめっ子から庇ってくれたとき、自分よりも体の大きい上級生を睨みつけるような目にそっくりだった。



「先輩が襲われたんだ」やりきれない表情だった。「ある日突然、部活に顔を出さなくなったんだ。家にも帰ってない、連絡もつかないって。そしたら警察から連絡があって、四丁目の公園で、先輩の財布と鞄が見つかったって。今も連絡がつかない」

「……、」

「許せないよ。俺に、何かできるとは思わないけどさ」



 そのまま駿介は黙ってしまった。



「変わってないんだね」私は逆に、ほっとしたような気持ちだった。「そういうところ。小さいころから、ぜんぜん」

「え?」

「なんか、安心しちゃった。不謹慎だけど……駿介は、駿介のままなんだね」

「お……おう。なんだよ、いきなり変なこと言うなよな」



 少し照れくさそうにしている駿介の顔が、嬉しかった。

 私たちは突き当たりの曲がり角で分かれた。



「じゃあね。明日も朝練かな? 頑張って」

「おう、またな」

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