中井明日架 / 鷺宮千夏-1

   【Blue】




 すぐに銃を折り畳み、同時に飛びかかる。銃のストックがバチバチと、魔力の電気を帯びる。目の前の白い魔法少女は軽い身のこなしでそれを躱し、手にした刀で切り払う。



「なんなの、クウ」その少女は戸惑いつつも、呼吸は落ち着いていた。「魔法少女は、魔法少女どうしで戦うものなの? クウ、どこ?」

「『ライター』を渡して。そうすれば――痛い目を見ないで済むよ」



 一応、放った言葉はまるで、相手を説得するような、脅すような言い回しだった。こんなことを言って聞く相手じゃないだろうけど――と、意外にも相手は迷うようなそぶりを見せた。



「嫌だ。渡さない」

「じゃあ、力尽くでいくだけ」



 引き金を引くと、銃口から放たれた衝撃が地面を叩く。もう目と鼻の先に白い少女はいた。大きく銃を振り払うとストックが強かに少女の脇腹を叩いた。「く」の字に身体が一瞬折れ曲がって、路地の向こう側に吹きとばされていく。ごろごろ無様に転がっていく彼女の身体を目がけて――折り畳んだ銃をまた広げ、即座に照準を定め、引き金を引いた。

 光る弾丸が吸い込まれていく。

 少女の目が見開かれた。



 着弾。衝撃。閃光。クウにギターケースを預けてから、もう十分ほど経っている。魔力は充分。でも、もうこれ以上戦うのはごめんだった。



 今度は私が驚く番だった。

 少女の目の前――地面から、光を通さないほど真っ黒な岩のようなものがせり上がって、私の弾丸を防いでいる。



「影……?」



 それは、熱湯をかけられた氷のようにドロドロと融けて、地面に吸い込まれ、少女の影の形になってへばりついた。ゆっくりと立ち上がる。口がわずかに動いた。「痛いな」か、「やったな」とか、「なにこれ」……とにかく短い一言だった。

 私を睨む。

 笑っていた。口元がわずかに歪んでいる。



 引き金をもう一度引いた。今度は刀で切り払われる。煙の中、私に駆け寄ってくる動きは素早く、人間離れしているけれど――素人の戦い方だ。

 銃を折り畳んで投げつける。

 さすがに面食らったのか、わずかに身体のバランスが崩れた。同時に飛びかかり、左手の刀を蹴り落とす。私の左手は、少女のこめかみに食い込んでがっちりと動かなかった。



「――――ァ!」






 雷が落ちたような轟音が鳴り響いた――ような気がした。

 閃光が晴れたとき、白い少女は完全に気を失って膝から崩れ落ちた。身体中、髪の毛に至るまで、淡く帯電している。ところどころ、白い煙をぶすぶす吹き出して焦げているようだ。



 一瞬の後悔が襲って来た、魔法少女とはいえ――人間相手にこの技を使ったのは、初めてだ。うっかり殺していたらどうしよう。



「とりあえず……」



 傍らに転がった日本刀に目をやった。「つば」の辺りに埋め込まれた『ライター』を回収しようと手に取った時だった。

 おかしい。これじゃない。






 二の腕を何か、鋭いものが貫いた。血が吹き出し、うめき声が漏れる。見ると、地面から真っ黒な棘のようなものが突き出て、私の腕に突き刺さっていた。ぬらっと、倒れていた白い少女が立ち上がった。私が取り落とした刀を手に取って、よろよろと。眼球から、口から、鼻の穴から、耳から、髪の毛から、白煙を巻き上げながら――真っ黒に焦げ爛れた顔は、映像の逆再生のように修復されていく。

 黒い棘は地面に吸い込まれていく。その傷口もまた、同じように戻っていくけれど、痛みの鈍い感触は消えなかった。



「よくも……」少女がぽつぽつとつぶやいた。「やったな。痛かった。今のは、いったい何?」



 動けなかった。白い少女はきっさきを私に向けて、身を深く沈めた。素人目にも、「構え」としてはまったく、なってないことが分かったけれど、それよりも――

 怖かった。この子は一体なんだ?



 腹部に鋭い痛みが走った。刀が深々と突き刺さって、少女が懐に飛び込んでいた。その後、お腹に突き刺さった冷たいものが、脇腹を通り抜けて身体の外に出ていく感触――とてつもない激痛と、熱い出血を伴って。バランスを崩して倒れた私のこめかみを、少女は鋭いつま先で蹴り飛ばした。今度は私が地面を無様に転がる番だった。

 これだけすさまじい痛みと苦しさの中で、不思議と意識は鮮明だった。傷口はもう塞がり始めている。でも――握りしめていた銃のグリップの辺り、『ライター』に貯蔵された魔力残量を確認した。もう、五分の一も残っていない。

 まずい。

 少女が向かってくる足元に、最後の弾丸を放った。少女はつまらなそうな顔をしてそれを切り払った瞬間に、激しい閃光と、女の子の嬌声のような爆音が響き渡った。

 その隙に、ビルの屋上へ跳ぶ。

 ここまで無様な撤退を強いられるとは。はじめてのことだった。




   ○



   【White】




 もう、あの青い魔法少女はいない。

 まだ目がちかちかする。頭を掴まれたとき――こめかみからこめかみに電気が流れたような感覚と共に、一瞬で脳味噌が沸騰した。眼球が内側から爆発するような痛みと共に視界が一瞬暗転し、真っ赤に染まった。でも、今は身体に傷はひとつもついていない。



 何だったんだろう。

 変身を解くと、刀だったものは『ライター』に戻っていた。さっき中身を充填したばかりだったのに、もう半分くらいまで減っている。



「また、補充しないと。そのためには……」



 グローパーを倒さなければならない。それで『ライター』の中身を手に入れないと。



「おい、きみ!」



 ふと見ると、路地に入ってきた警察官のような格好をした男の人がふたり、こちらに駆け寄ってきていた。



「いま、この辺りで大きな爆発のような音がしたという通報があったんだ。きみ、何か知らないか?」

「爆発?」



 思い当たる節はあった。私は路地裏の風景を見通し、そして思い出しながら、



「わかりません。私もさっき、ここに来たところですから」

「どうしてこんなところに?」

「道に迷ってしまって。この辺り、初めてなので」



 警察官はふたりで顔を見合わせた。私のことをあからさまに怪しんでいる様子だった。そのうちひとりが、ふと、路地裏に散乱したガラス片に気が付いて身を屈めた。それは、さっき私が倒したグローパーの残骸だった。



「これ、何かな?」

「わかりません」まさか人間の死体ですとは言えない。

「ちょっと君、交番まで来て貰える? お話、聞かせてもらえないかな」






 顔がかっと熱くなった。



「……、分かりました」



 でも、おとなしく従った。お父さんを悲しませるようなことはしたくなかった。でも、いざとなれば――






「すみません、ちょっといいですか」



 そこに現れたのは、スーツ姿の背の高い女の人だった。路地の反対側、私の背中の方から、警官たちに声をかけたようだった。



「こっちで、喧嘩が。大学生どうしの。ちょっと手に負えないので、来て貰っていいですか」

「おい、行ってこい」



 先輩らしい警察官が、若いもうひとりに小さく耳打ちした。スーツ姿の女性の方へ向かって、二三、言葉を交わすと、そのまま角を折れて路地を出ていった。

 私は残ったもうひとりに連れられて、商店街の真ん中あたりにある交番に連れていかれた。いろいろな話をされた。出身はどこ、学校は、住所は、電話番号は――根掘り葉掘り聞かれたけれど、書類を作るためには必要なことなんだそうだ。ただ、私が鷺宮政人の養女だと知ると、



「鷺宮さんの?」と明らかに声色と態度を変えた。何だこの警官。「俺、新人の頃、君のお父さんにお世話になったんだよ。ずっと独身で家族もいないって聞いていたけれど――そうか、養女か。そんな風には見えなかったけどな。それにしても、あいつ、遅いな」



 少し待ってなさい。と言い残して警官は交番を後にした。たぶん、喧嘩を止めに行ったもう一人の若い警官がなかなか帰ってこないので、様子を見に行ったんだろう。

 交番の中で退屈な時間を過ごした。鞄の中から何か、暇潰しになりそうなものを取り出したり、かといって勝手に帰ったりするのもなんだか違う気がして、妙に落ち着かなかった。時折、商店街を行き交う人たちが、ガラス張りの交番の中にひとりでいる私のことをじろじろ眺めながら通り過ぎていく。



 凄く嫌な気持ちだった。

 この感じ。誰も私に話しかけたり、私のことを何も知らないくせに、一方的に私の感情やプロフィールを決めつけて、思い込んで、でも遠巻きに中途半端な距離を取って、こっちの態度や顔色を窺ってくる、この感じ。凄く嫌だ。

 こんな時――

 こんな時、大和が一緒だったら。






「ねえ」



 なので、不意に話しかけられたときは驚いた。あのスーツ姿の女性がそこにいた。



「お嬢さん、もう帰っていいそうよ」

「え?」

「もう帰っていいんですって。爆発事故は勘違いだってことが分かったから。でも、警察官のおじさんたちは、喧嘩の仲裁で忙しいらしいから、私が伝言を頼まれたの」



 拍子抜けするような話だけど、それなら帰らない理由はない。女性は手慣れた手つきで「パトロール中」の看板を掲げると、交番から出ていく私の方にやわらかく手を置いて、



「もう、大丈夫よ」



 と、ひとこと告げた。

 それから私は家に帰る道々で、路地裏を覗き込み、グローパーがいないかと探し回った。でも、そんなのはどこにもいなかった。ヘッドホンから流れてくる歌声、ガールズバンド『Pisces』のロックチューン。



 なんだか、今日はいつもと違って聴こえた。

 電車のガラスに映る自分の顔。まだ、ひとりでお化粧もしたことのない顔。

 少し嬉しそうだった。

 どうして? かな。

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