中井明日架のいつも通りの悪夢-2

「なっ、」



 という声と、男が気絶するのは同時だった。曲がり角を駆け抜けると、そこにはスカートを翻しながら駆けていく、小柄な少女の姿があった。見ただけで分かる――現実離れした服装、巻き上がる異様な雰囲気、陸上選手も真っ青な瞬発力。

 私と同じだ。

 魔法少女――!



「待て!」



 少女は一瞬だけこちらを横目に見ると、高く跳躍して空へ逃げていく。逃がさない――背中に背負った武器を展開すると、それは対物狙撃銃アンチマテリアルライフルの形を取った。両手で握り、肩で構え、二度だけ引き金を引く。

 衝撃音。

 青く光る実体のない弾丸が、天高く逃げる魔法少女に向かって吸い込まれていく。着弾する寸前、ビルの屋上から飛びかかった黒い人影に阻まれた。爆音、一瞬遅れてバラバラと路地裏に降り注ぐ破片。遅れて、右半身を粉砕された人型のようなものが、私の目の前に落ちてきた。



 グローパー。

 胸のあたりに黒い液体の詰まった『ライター』が埋め込まれて、心臓さながら脈動している。それに気を取られているうちに、空に消えた魔法少女の姿は消えていた。

 くそ。

 銃の手元のスイッチを押し込んで折り畳む。右半身を失った状態でも、グローパーは赤く光る目をぎらつかせながら私に襲いかかってきた。両手で取り回せるほどのサイズになった武器を振り回して、脇腹を貫いてやるだけで簡単に身体が崩れる。

 歯ごたえのないやつ。こんなもののために、みすみすあの魔法少女を取り逃がすなんて。



「まだ、そう遠くへは行っていないはず……!」



 グローパーの死体から『ライター』を引きちぎり、ビルの壁を蹴って飛ぶ。だんだん大通りの喧騒が近くなっているのを感じる。騒ぎを聞きつけたもの好きなギャラリーが、あの路地裏に入ってくるのだ。



 素早く近くのビルの屋上へ身を乗り出す。すると、そこには身体を巨大な鉄の棒に貫かれたような人型のグローパーが、五体ほど、こちらを睨んでいた。

 狭いビルの屋上。一歩間違えば、地面に真っ逆さまだ。魔法少女は不死身じゃない。



 でもやらなきゃ。

 私は魔法少女だから。銃は折りたたまれて変形し、嫌というほど見なれた形を取る。

 大きく息を吸い込む。グローパーたちは無秩序に、私へ襲いかかってくる。吸い込んだ息を一気に、叫ぶ。



「Ahhhhhhhhhhhhhhh――――――――」



 大気が震える。グローパーたちは雷に打たれたように硬直し、身体の外側から粉々に砕け散っていく。残ったのはガラスの粉末のような残骸と、黒い『ライター』が五つ。もれなく回収し、懐にしまい込む。

 空気の震えが、身体に伝わってくる。私のものではない、大きな魔力がふたつ……いや、みっつ。どれもここから近い。



「絶対に逃がさない」



 ビルの屋上から、隣のビルの屋上へ飛び移る。商店街のアーチを飛び越えて、柱から柱へ。

 逃がさない。

 どこにいるんだ。魔法少女め。






   ○






   【White】




「いま、何か聞こえなかった?」

「何かって?」

「なんか……女の人の叫び声みたいなもの」



 大和はきょとんとした顔で、私を見ている。



「別に聞こえなかったけど……気のせいなんじゃない?」



 確かに聞こえた。

 気のせいなんていう音量じゃなかった。耳や身体どころじゃない、髪の毛の一本一本に至るまでまんべんなく震えるような、とんでもなく綺麗な――どこか、聞き覚えのあるシャウト。

 すぐ頭上から降りかかってくるような。

 でも、頭上には商店街のガラス張りのアーチしかない。



「気のせいか」

「休日だし、この辺うるさいし」

「うん、気のせいだと思う。ごめんね」



 大和はふと立ち止まり、通行の邪魔にならないように道の脇に逸れた。



「ひととおり見たんじゃないかな。この後どうする?」

「大和に任せるよ。解散でもいいし、どこかでランチでも良いし……」

「うーん、私も決めかねてるんだよね」



 今まで歩いてきた道を逆に戻っていく。駅前の広場のベンチに腰かけて、少し休憩。通り過ぎる人たちが、ちらちらと、こっちを見ている。なんだか視線が痛い。



「行きたいお店はひと通り、回ったし。ここで解散でもいいかな、今日は」



 大和はちょっと上の空だ。



「欲しい洋服があったんだよね。たまたま雑誌の表紙でモデルさんが来てたやつ。色が凄く、好きだったんだよね」

「どんな服?」

「白い、セーラー服みたいな襟のついてるやつで……明るい緑色のタイがついてるの。所々、黒のラインが入ってて……でも、似てるやつも見つからなかった。ずいぶん珍しい服みたいでさ。なんか、いっぱい連れ回しちゃってごめんね。わざわざ来てもらったのに」

「ううん。楽しいよ、大和と一緒にいるだけで」

「うれしい」



 大和は立ち上がって、駅の改札のほうへ歩を進めた。



「じゃあ、今日はここで。また明後日かな? 学校で会おうね」

「またね」






 大和の姿が見えなくなったところで、私は踵を返し、早足でアーケードのほうへ戻っていく。人の波をすり抜け、元来た道を戻っていく。路地を曲がり、狭い道へ入っていく。そこに散乱していたのは、昨日見たばかりのあの怪物の身体の破片にそっくりだった。

 予感があったのだ。



「きみは?」



 蜜に誘われる蝶のように、ふわふわとクウが現れた。けれど、それは私が見たことのあるクウとは少し、違っている。髪形、服装、顔の形。



「わたしが見えてるの?」

「あなた、クウでしょ」

「そうだけど」

「これ」私は懐から白い『ライター』を取り出して、見せた。「私、魔法少女だよ」

「ああ~、そうなんだ」



 このクウはなんだかやけにのんびりした口調で、甘ったるい声で喋るクウだった。



「また、あの怪物が出たの?」

「そうみたいだね。わたしはいま来たところだから、よく分からないけど」

「まだ近くにいる?」

「どうかな~」クウはいそいそとその破片のほうへ飛んで行き、不思議な力でそれらを一か所にまとめ始めた。「ご主人様が言ってた魔法少女があなたのことなら、気を付けたほうがいいよ。この辺りは『わるい魔女』の縄張りだから」

「わるい魔女?」

「そ。わるい魔女だよ。その手先の魔法少女が、この辺りをうろついているらしいの。あなたも気を付けて」



 手先の魔法少女。



「つまり……私のほかにも魔法少女がいるの?」

「たぶんね~。わたしはこの間生まれたばかりで、直接見たり聞いたりしたわけじゃないから。ごめんね~」

 いまいち要領を得なかった。溜息が自然と口から漏れて出た。

 ふと、私は疑問に思った。なんで私はここにいるんだろう。大和と別れてから、特にここに用事はないはずなのに。まるで、何かに導かれるように、この路地に迷いこんで、グローパーの破片を見つけた。



「そうだ……破片になってるってことは、誰かがこの怪物をやっつけたんだ。それが、『わるい魔女』の手先の魔法少女ってことだ」

「そうかもね」



 頼りないクウの態度に溜息をついた時だった。背後から、ズシン、という重たい足音が聞こえた。ふり返ったのと、身を屈めて拳から身を守るのは、ほとんど同時だった。



「……ゥゥ……ウ、オオォ……!」



 身をよじるたび、罅割れていく身体。真っ赤に光る目。身長二メートルはありそうな、スキンヘッドの大男の身体が、目の前で作り替えられていくのが分かった。

 バキバキ。ベキベキ。

 CDが粉砕されていく音によく似ていた。とても聞いていたくない音だった。男は全身をかきむしりながら、壁や地面に頭を打ち付け、もだえ苦しんでいた。呻きをあげるその口から、先のとがった杭のようなものが出てきた。吹き出す血液に混じって、黒く濁った、コールタールのような液体が周囲に飛び散った。



「グローパーだぁ」



 クウが呑気に言う間に、私は高鳴る胸の鼓動を抑えながら、落ち着いて、『ライター』のスイッチに指をかけた。男の身体の中から、何本も何本も金属の杭が皮膚を突き破って出てくるのを眺めながら、



「変身」



 スイッチを押した。

 体がかっと熱くなる。血液がびりびり震える。右手に握った『ライター』は光に包まれて、一瞬のうちに刀と鞘に姿を変えた。男はより一層、大きな叫び声をあげて、こちらに襲いかかってくる。昨日の奴とは違って、人間らしい背丈と姿で、その分俊敏な動きでこちらに襲いかかってきた。



 左手で柄を握り、刀を引き抜く。やることは同じだ。大きく振りかぶられた腕を根元からすっぱり切り落とす。真っ黒なネバネバと、真っ赤な鮮血があちこちに飛び散った。男は悲鳴を上げてもだえ苦しんでいる。



「オオ……ゥ、ウデ、ガァアア……アアアアアアアア――――!」

「うるさいよ」



 口に剣先を突っ込むと、それは杭を突き破って男の脳を貫いた。



「化け物が、人間の言葉、喋んないでよ」



 だらりと手足がぶら下がる。男はその場に倒れ伏した。

 剣にべったりついた汚い油を、振り回して払う。――時代劇でよく見た光景だ。こういう意味があったんだ。男の身体はビル風に吹かれて、ガラスの粉末のようになって消えていった。後に残ったのは、半透明の容器だけ。中に入ったコールタール状のねばねばした黒い液体が、半分くらい入っている。ひび割れて、中身がどろどろあふれ出ていた。

 血やらネバネバやらにまみれたそれを手に取ると、鞘にしまった刀が金属音を立てて震えた。――よく見ると、刀の「つば」のあたりに、あの白い『ライター』の蓋のようなものが取りつけられているのが分かった。それは勝手に開いて、黒い液体を勝手に吸い込み始める。

 不思議だった。吸い込まれたそばから、黒いネバネバはさらさらしたきれいな油のようなものに変わっていく。



「こうやって、中身を補充していくわけね」



 中身が一杯になった。その時には男の身体は霧散して、どこかに消えてしまっていた。残ったのは、割れたガラスのような残骸だけだ。



「ひょっとして」私はクウに尋ねた。「あれって、元は人間なの?」

「そうみたいだね」

「どうして怪物に? それにあの容器――まるで、私の持ってる『ライター』みたい」



 返事はなかった。激しい衝撃音だけがあった。風でも爆発でもない、なにか別の衝撃だった。思わず目を伏せる――周囲に土煙が巻き上がった。目を上げたとき、さっきまですぐそこを飛んでいたはずのクウの姿が消えている。



 代わりに、目の前には見知らぬ少女がいた――私より少し年上、たぶん高校生くらい。青と黒を基調にした、指輪やチェーンといったメタルアクセサリーのついた左右非対称な格好。ロックミュージシャンみたいだと思った。右手には、折り畳まれたライフルのような武器を握っている。



「見つけた」とてもきれいな声でその人は言った。「あなた――魔法少女ね」

「そうだけど」

「もう逃がさない。その『ライター』を返してもらう」



 素早く銃を変形させ、こちらに銃口を向けて引き金を引くまでの挙動はほとんど一瞬だった。気が付いた時には既に、発砲音が私の耳を打っていた。身体が勝手に動いていた。左手で刀を鞘から引き抜いて、目で追うこともできなかった光り輝く弾丸を切り落としていた。

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