鷺宮千夏のいつも通りの日常-2

 大和とは中野駅で待ち合わせることになった。

 私が朝から出かけることを伝えると、お父さんは、「じゃあ、久し振りにお父さんも遊んでこようかな」なんて、小さなガレージから大きなバイクを引っ張り出してエンジンを吹かしていた。お父さんの数少ない趣味のひとつだ。

 まだ、小さいころ――私が鷺宮家に拾われてすぐのころ。お父さんは仕事が忙しいのによく休みを取って、私をバイクにのせて、海が見えるところまでよく連れて行ってくれたものだ。それを思い出した。明日、連れて行ってもらおうかな、と、考えただけで少し楽しい気分になる。周りのクラスメイトは、お父さんが嫌い、お父さんが臭いっていうけど、こういうとき、私とお父さんは血が繋がっていないから、そういうのが少ないのかな、と思う。



「あれ?」



 何気なく道を歩いているとき、違和感をおぼえた。



「この辺りだったはずなんだけど……」

「たぶん、ご主人様が来たんだ」スカートのポケットにもぞもぞという感触と共に、クウが翼を広げながら飛び出てきた。

「どこに入ってるの!」

「あの鞄っていうのは、中がごちゃごちゃしてて、うっかりすると潰されそうなんだもん」

「だからってスカートの中に入らないでよ」



 それよりも。



「ご主人様って、なんなの」

「クウはボクだけじゃない。この街中にご主人様は、クウを放っている。昨日、メチャメチャになったこの現場を片付けるのも、ご主人様や、ほかのクウたちの仕事なんだ」

「ご主人様が怪物と戦えばいいでしょ」

「それは出来ないんだ。ご主人様は、身体が弱いからね」クウは痛ましそうな表情で、「ほんとうなら、そうできれば一番いいんだ。魔法少女なんていうものを使わなくても済むなら、ご主人様とボクたちだけで充分うまくやっていける。それが出来ないから、チナツのような協力者が必要なんだ」

「ご主人さまって言うのは、魔法使いか何かなの?」

「そうだよ」



 拍子抜けするほど、あっさりとした返事だった。



「魔法使いなんて」

「信じられないよね。みんな、そういう顔をするんだって、ご主人様に教えられた。でも、ご主人様は魔法使いだし、チナツは魔法少女だ。そして、グローパーは今も街のどこかに現れて、関係ない人間を襲ってる」

「片付けっていうのは、魔法を使って、ささとやっちゃうんだ?」



 黒いローブに身をやつした、トンガリ帽子の、箒にまたがって空を飛ぶ、そんなおとぎ話の魔女を思い浮かべていた。



「うん、まあ、そうかな」



 クウの答えは歯切れ悪かった。

 駅に着いたとき、クウはすっとどこかに飛んで行ってしまった。きっと、あいつにはあいつのやるべきこと、行きたい場所があるに違いない。



 改札をくぐって電車を待つ。

 ヘッドホンをつけると、女性ヴォーカルの歌声が流れてくる。寝起きの朝にぴったりの、アッパーチューンな曲調だ。今朝はコーヒーを一杯しか飲んでいないから、少しお腹が空いている。大和に会ったらまずは、喫茶店かファストフードでも食べようかな。






 休日だというのに、上り電車はスーツを着たサラリーマンの姿であふれかえっている。私は今日もドアにへばりつくようにして、流れる景色を眺めるばかり。上着のポケットには、あの『ライター』が入っている。

 魔法少女になるなんて、ファンタジーやアニメの世界の話みたい。でも、昨日起こったことはたぶん、現実の出来事なんだと思う。



 右手の指先。

 昨日、あの刀で裂いた指先。流れた血、指紋に斜めに入った傷跡。

 懐かしい感覚。痛み。

 反対側のドアが開いて人が降り、また乗り込んでくる。再びドアが閉じて走り出し、外の景色は移ろっていく。

 流れる曲はほんの少しだけ、悲しいバラード調の音楽へと変わっていた。いい曲だな。初めて、そう思った。






「お待たせ」



 改札を出ると、黒い上着にスキニージーンズをばっちり着こなした大和が立っていた。



「ちょっと遅刻」

「ごめん。昨日、少し、夜更かししちゃって」

「行こうか」大和は特に怒っていない風に、でも笑顔も見せずに歩き出した。「お腹空いてる? 私は空いてる、今朝、ご飯食べてないからさ」

「私も」

「喫茶店とか行こうか」



 大和は私と歩いている間、それが当然みたいに、どうでもいい話を続けていた。それが私たちの当然だったのだ。喫茶店に入って、コーヒーとサンドイッチを注文し、ふたり掛けの席に座り、今日の予定をずっと話し合っていた。



「映画か、ぶらぶらするか。それとも洋服でも買いに行こうかなって」

「いいね。すごく。洋服とか見たいかも」

「じゃあ洋服にしよう。あちこち行こう」



 大和は妙に上機嫌だ。顔には出ないけど、そんな気がする。コーヒーをもう飲みきって、セルフサービスの水をいっぱい飲んでいる。



「今日、なんか、機嫌がいいんじゃない?」

「そうかな?」

「そうだよ。千夏、今まで見たことない顔してる」



 言われるまで気が付かなかった。普段、あまり鏡を意識して見ない。寝癖だってまともに直さないのに。



「どんな顔?」

「どんなっていうか、嬉しそうな顔だよ。なにかいいことあった? ああ――そうだ、お父さんが帰って来てるんだっけ」

「そう」と、言いながら、私は常に言いよどんでいた。魔法少女のこと。大和に喋るわけにはいかないと思った。

 クウは特に口止めをしたりしなかった。やめたいときにやめていいと、そう言った。でも、私はこのことを秘密にしておきたかったのだ。



「昨日、ライブ、どうだったの?」

「すんごい盛り上がってたよ! もう、やっぱり生で聞くと違うよね。会場がもう、異様な熱気というか……物販で新しいシングル出してたから、後で貸してあげるね。今度の新曲も、凄くかっこいい」

「ありがとう」

「そろそろ行く?」

「うん」



 大和は男の子みたいな名前だけど、そのことをちっとも気にかけていない。かといって過度に女の子らしく振る舞っているわけでもない。ただの、友だち。

 喫茶店を出て、たくさんの洋服を見て回った。その間にも、他愛もない話をずっと続けていた。大和はあちこちを見て、歩き回りながら、いつも私のほうを見てくれているのが何となく、心地よかった。



「次は、どこに行こうか?」

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