3.網井目麗奈

 四階の廊下に少女が立っていた。

 ……といっても、あの小学生の女の子ではない。

 網井目あみいめ麗奈れいな

 僕や蟹岩と同じく、この高校の二年生。クラスも一緒だ。

 網井目は、スラッとした長い手足に程よく発達した胸と腰を持った端正な顔立ちの美少女で、『この学校の女子で誰が一番可愛いか?』という男子高校生あるある話題では、ほぼ必ず彼女がクイーンの座に収まった。

 ただ、正直言って、僕個人は彼女が苦手だった。

 彼女には何処どこかしら世の中の全てを嫌悪しているか見下みくだしているような感じがあって、どうしても敬遠してしまう。

 その網井目が、夜中の学校に……第一校舎四階の廊下に居た。

(確か、彼女って帰宅部だったよな……こんな時間に、こんな所で何やってんだ?)

 奇妙な場所でバッタリ出会でくわした僕らは、数メートルの距離を空けて、ほんの一秒か二秒、互いの顔を見つめた。

「なんだ、網井目じゃないか」直後、四階に昇って来た蟹岩が、僕の横に立って言った。「こんな所で何やってんだ?」

 その質問には答えず、網井目が僕を見て言った。「柱飛はしらとくん……なんで……?」

「ええと、女の子を追いかけて……」と答える。

「女の子?」網井目の眉間に、不審げなしわが寄った。

「ああ、いや、女の子って言っても小学三年生くらいの……赤いスカートを履いた……」

「小学生? 赤いスカート?」彼女が、ますます不審そうな目で僕を見る。

 そのとき、僕は奇妙な事に気づいた。

(なんか、制服が変だな……)

 何処どこがどう、とは言えないけど……何となく、網井目の制服が『着くずれ』しているように感じられたんだ。髪も何処どことなく乱れているように見える。

 彼女は、真っ暗な教室の引き戸の前に立っていた。

 たった今、この教室から出て来たように思えた。

(電灯の消えた暗い夜の教室に、学校一の美少女?)何とも奇妙な取り合わせだ。

 突然、教室の引き戸が開いて、中から意外な人物が現れた。

「どうした網井目? そんな所に立ってたら怪しまれるだろ。さっさと帰れよ」

 何故なぜかベルトのバックルをカチャカチャ言わせながら真っ暗な教室から出てきたのは、木曜日の見回り当番……葛沼くずぬま先生だ。

 僕らを見た先生が「あっ」と驚きの声を上げる。

「お、お前ら、こんな所で何をやってるんだ?」動揺した様子で急いでズボンのベルトを締めながら、葛沼先生が言う。

(そりゃ、こっちの台詞せりふだよ……真っ暗な教室に教え子と二人きりで、何してたんスか、先生?)

 中年男性教師と女子生徒が夜の教室でしていた行為に関しては僕なりに察するものがあったけど、気まずくなるのも嫌だったからえてそれには触れず、小学生を追ってここまで来た経緯を話した。

「それって、ひょっとして」網井目が僕を見て問う。「ショクシュさん、って事?」

「うん……まあ、似てるっちゃ似てるな」と答える。「夜の校舎で『おいで、おいで』をした事とか、赤いスカートとか」

「でも、まさか、そんな……」

「偶然だよ。理由はわからないけど、この学校に小学生の女の子が迷い込んだんだと思う。幽霊でも何でもない、実在の女の子さ。たまたま怪談に似てたってだけ」

「おい、お前ら」突然、葛沼先生が僕らの会話をさえぎる。「その女の子ってのは、か?」

 言いながら、先生が僕の後ろを指さす。

 僕と蟹岩は、振り返ってその方向を見た。

 廊下の奥に、赤いスカートの少女が居た。

 少女の周囲に、ひときわ濃い闇がわだかまっていた。

 空間そのものが、光を吸い込んでいるようだ。

 明らかに自然界の法則に反する現象だった。

 何か分からないけれど……これはヤバい……そう直感した。

 本能が、今すぐ逃げろと警告を発する。

 しかし一方、常識に囚われた理性が「彼女はただの小学生だ」と言い、今ここで逃げ出したら恥をかくぞと言う。

 この瞬間、本能の導きに従って一目散に逃げていれば助かったのだろうか……と時々思う。そうすれば平和な日本で平凡な高校生としての生活を続けられたのか。

 しかし、僕は本能と理性の間で迷い、危機から逃れるチャンスを失ってしまった。

 少女が両手を僕らに向けた。

 十本の指が蛇のように長く伸びて、そのうちの一本が僕の首に、一本が足首に巻きついた。あっという間の出来事だった。

 足を取られ、尻餅をつく。

 首に巻きついた紐状の指が、僕の気管をギリギリと締め上げていく。

 息ができない。

 目を動かして、蟹岩を見た。

 蟹岩も廊下に転がされ、首を締め上げられていた。

 網井目と葛沼先生は視界の外だったけれど、彼らも、蛇のように伸びた少女の指に絡めとられているのだろうと想像できた。

 再び少女を見て、その手から長く伸びて僕の首に巻きついている指を綱引きの要領で引っ張る。

 ……ピクリともしない。

 高校生の僕が全力で引いても、少女の体を動かせない。

(力が、入らない)

 気管だけでなく頸動脈も締められているのだろう……頭がボーッとして来た。

 少女が、口から何か白いフワフワしたものを吐き出す。

 その白い物質が空中を漂い、僕の顔にまとわり付く。

 綿ボコリのような、白い繊維の塊だった。

 その白い繊維質の物質が少女の口から次々に吐き出され、僕の顔全体を覆う。

 いや、顔だけじゃなく、体全体が綿毛のような物質に覆われていく感覚があった。

(蜘蛛に囚われた獲物の虫だ)

 白い繊維に全身を雁字搦がんじがらめにされ、呼吸も身動きも出来ず、最後にそんなことを思って、僕は気を失った。

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異世界の地底都市【因果変質領域2】 青葉台旭 @aobadai_akira

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