第174話 真理の探究者に挑戦す。⑨

 世界が震える。世界が変わる――。


 大竹丸の剣が空振り、神の拳が当たる度に、世界の様相が一変していく。


 白と黒に彩られた世界が現実に割って入り、現実に見える世界が白と黒に侵食されていく。


 葛葉の治療を受けていたアスカは、そんな白と黒の世界に侵食された闘技場の中央を睨みながら、呻き声にも似た言葉を吐き出していた。


「このままでは、マスターは負けます……」


 遥か上空からでも獲物を探し出す事が出来る竜の目であれば、遠く闘技場の中央で闘う大竹丸と神との戦いが見えるらしい。


 その瞳には、神の変則的な戦い方に苦戦する大竹丸の姿が映し出されていた。


「マスターはあらゆる格闘技や武術に精通していますが、その技術は全てを相手に築き上げられてきたものです。ですが、今の神の肉体は……」


 ――人ではない。


 そう言いたいのだろう。


 確かに、今の神の体は光で出来ている。


 形こそ人を象っているが、その特性は光に近い。それ故に、大竹丸も捉えきれずに苦戦しているのだろう。


 人にはあり得ない軌道の攻撃、人として曲がってはいけない角度での回避、全てが未知となり、それが大竹丸を苦しめているのだ。


「だからといって、諦めるわけにもいかないだろう」


 近くで、脚の折れた状態の桐子が額に脂汗を浮かべながらも呟くのを聞いて、アスカも頷く。


 とはいえ、だ。


 今からアスカが助太刀に駆け付けた所で何が出来るというのか。


 相手は光の体だ。


 光を捕まえるなんて芸当は、アスカには出来はしない。


 むしろ、それを平然とやってのける大竹丸がおかしいのである。


 だが、こうしている間にも世界の侵食はドンドンと進んでいく。それを横目に眺めるだけしかないという状況がアスカに虚無感を植え付ける。


「分かっている。分かっているが、私たちにはどうしようも――」


「ニャヒー、何か大変な事になってるニャ……。だから、もっと遅れて来た方が安全だって言ったニャ! なのに、この馬鹿鳥は途中でスピード上げるとか裏切り行為だニャ!」


「クケー!」


 脱力していた体を更に脱力させるようなやり取り。その声に視線を向けてみれば、そこにはようやく闘技場の中に入ってきたらしいミケと不死鳥の姿があるではないか。


 どうやら、大竹丸の無茶苦茶な戦闘に巻き込まれるのを恐れて遅参したらしい。


 本来なら怒られたり、詰られたりする立場の二匹?なのだが、アスカにはその存在が救世主のように見えた。


「……ミケ! 良く来てくれた!」


「何か嫌な予感がするニャ……」


 満面の笑みで出迎えるアスカに、ミケは動物としての直感を最大限に活かして警戒するのであった。


 ★


 ――当たらない。掠りもしない。


 大竹丸の鋭く、そして変幻自在な攻撃を微笑を浮かべながら躱す神。


 その動きは捉えどころがなく、まるで液体を相手しているようだと大竹丸は思っていた。


 大竹丸の突き放った大通連だいとうれんにまるで蛇のようにして巻き付いて躱す神。


 大竹丸がその神を切り裂こうとした瞬間には、神は光となって弾け、大竹丸の背後にいつの間にか存在していた。


 そして、無音のままに光の速度で貫き手を放つ。


 大竹丸はそれを経験則で予測しつつ、振り向きながら軸をずらして、後ろ回し蹴りを放つが神の貫き手が大竹丸の頬を浅く切り裂く方が早い。


 躱したはず、と思った大竹丸の目に映るのは、五指を開き、その指を地平線の彼方にまで伸ばした神の姿だ。


 常識が通じない。


 五指をまるで鞭のように横薙ぎに払うのを、大竹丸は宙を蹴って躱す。


 常識が通じないのは大竹丸も一緒のはずだが、常識に囚われていないのは神の方だ。


 人ではない、無形の戦い方を熟知している。


 そして、その戦い方が板についていた。


 元々、神は別の次元に存在する時は人の形を象っているわけではない。


 つまり、これが神本来の実力というわけなのだろう。


 一方の大竹丸は対人戦闘の経験だけで言えば、全世界でも追随を許さない程の猛者である。それは、大竹丸の分身の経験値も彼女の中に蓄積されるからに他ならない。


 だが、その戦い方は『相手が人である』という事を想定している。


 光であり、無形である相手を想定して編み出されている技術ではないのだ。


 ならば、世界の真理を学習した身として、その場で戦い方を調整していけば良いと考えるだろう。


 だが、光の速さで動く相手に考えながら動いて対処していくのは存外に難しい。


 ましてや、動きに対する正答が無いような相手だ。


 むしろ、ここまで一方的にやられながらも、五体満足である大竹丸だって十分なバケモノである。


「大きな口を叩いておきながら、その程度かね」


 人の形を象った光が嗤う。


 致命傷こそ受けずに粘る大竹丸ではあったが、既に世界の九割は白と黒の世界に侵食されつつあった。


 陣取り合戦を受け入れたのは、大竹丸であったが、ここまで一方的になるとは予想していなかったに違いない。


 だが、大竹丸は口元に浮かぶ笑みを消さない。


「たかだか世界の九割を得た程度で、もう勝った気でおるのか? ここからじゃぞ、妾は!」


 大竹丸が走る。


 いや、走ったと見せ掛けた姿が消えて、遅れて大竹丸が改めて現れる。


 残像の応用である一人時間差攻撃。


 だが、神はそれすらも見知っていたかのように、冷静に距離を離して光の体を拡散させ、大竹丸に放つ。


 小さな、そして膨大な数の光の雨が大竹丸に降り注ぎ、大竹丸は慌ててそれを切り落としていくが、流石に数が多い。


 大通連を小通連に持ち替えている間にも何発か被弾してしまい、その分、世界が白と黒の世界に侵食されていく。


「ぬっ、くっ、小癪な!」


「大竹丸よ、のんびりしているようだが良いのか? もう、世界の九割七分は私の領域に変わってしまっているぞ?」


「手数で攻めるなんて狡いんじゃ! やり方が!」


 白と黒の世界に侵食された波はうねりを止め、同じく真っ黒になった風は凪ぎ、大気が動かなくなった世界は空模様を失くしていた。


 世界中の生物や植物は、太陽光ではない光と影の世界へと飲み込まれていき、極度の倦怠感を覚え、自分たちがもう長くはもたない事を否が応でも理解させられている事だろう。


 ――世界が変遷し、また新たな世界が誕生しようとしている。


 だが、それは恐竜が死滅して、人類が台頭してきた時のように、人類が死滅するという飲めない前提条件があるわけなのだが……。


 当然のように、大竹丸はその前提条件に抗う姿勢を見せ続ける。


 大竹丸自身は世界が滅んだとしても生き続けられる事だろう。


 だが、大竹丸の知り合いたちはそうはいかない。


 それを防ぐためにも、ここで諦めるわけにはいかなかった。


(一瞬で良い。一瞬だけでも隙が出来れば、その一瞬で千撃を叩き込んでやるものを!)


 神の放つ光の雨を何とか掻き分け進む大竹丸の耳に、哄笑にも似た神の声が響く。


「掠ったな! 九割八分だ! 大竹丸!」


「喧しいんじゃ! ――ちぃっ!」


「ははは、集中が途切れたか! 九割九分だ!」


「一機落とした後に、連続で落ちるのはシューティングゲームでは良くある事じゃ!」


 冷静さを失った大竹丸が叫ぶのと同時に、光の雨が止む。


 何事かと見やれば、神が自分の拳を念入りに握って、開いて、をしているのが見えるではないか。


 どうやら、最後は自分の手で決めるつもりらしい。


「なかなか楽しかったが、最後は自分の手で決めよう。……色気の無い手向けだが、受け取ってくれたまえ、大竹丸」


「手向けに色気がいるか!」


「では、さらばだ!」


 一瞬の閃光となって、神が奔る――。


 ほぼ全てが白と黒の世界となった中を奔る白い光は、とても神々しく、そして煌々とした光を放って見えた。


 それを迎え撃つ大竹丸は、自然体で構えていながら一気に加速する。


 策や小細工を弄さなければ勝てない相手である事は百も承知。


 だが、それ以上に策や小細工を弄したところで勝てない相手である事も承知しているのだろう。


 つまり、神に真正面から打ち勝つには、神を越えるしかない。


(漫画やアニメじゃったら、謎のスーパーパワーに目覚めて無双出来るところなんじゃがなぁ! 謎のスーパーパワーを身に付けても無双出来んとか、どんなクソゲーじゃ!)


 危地を打開する為に、主人公が今まで積んできた経験や努力を元に、覚醒して危地を抜け出すのは良くある流れであるが、どうやら大竹丸にはそんな勝機は訪れないようであった。


 そもそも覚醒しても追い越せないあいてがおかしいのである。


 半ばヤケクソのような気分になりながらも突っ込む大竹丸であったが、ふともうひとつの可能性に気付く。


(こういう困難な状況を……主人公の覚醒無しで……打開する時というのは決まって――)


 そんな事を考えていたからだろう。


 次の瞬間に起こった出来事に、誰よりも素早く反応したのは大竹丸であった。


 ★


「今です! ミケ! やって下さい!」


「どうなっても知らんニャ!」


 ――存在定義書換シュレディンガー


 ★


 瞬間、九割九分であった白と黒の世界が一瞬で元の世界の彩りを取り戻し、大竹丸が背負っていたであろう、たった一分しかなかった世界が白と黒の世界に書き換わる。


 世界の有り様を一瞬で変えてみせた特性スキルに、神は呆け、大竹丸は笑みを深めた。


 そう、主人公の危地を主人公が切り抜けられないのならば、そういった危地から救い出してくれるのは、いつだって頼れる仲間だと相場が決まっているものだ。


 それを思い描いていた大竹丸の体が更に急激に加速する。


「終わりじゃ、神よッ!」


(ぐっ、今、一撃を貰うのはマズイ! 正面……いや、後ろか!)


 神が呆けていたのは一瞬だ。


 その一瞬で大竹丸の姿がブレ、背後に気配が生まれる。


 正面の大竹丸か、それとも背後の気配か。


 どちらが本命の攻撃かの選択を迫られた時、神は背後を振り向く事を選択していた。


(私の世界と大竹丸が背負っていた世界の割合が反転したのであれば、次の一撃を受けてしまえば、そこで私が負ける! だからこそ、この千載一遇のチャンスに真正面から突っ込んでくる馬鹿はいない!)


 万全を期すなら、背後を取る。


 神はそう思って振り返り――、


「…………」


「……ウホ」


「何でゴリラがここにいる⁉」


 ――振り返った先に毛深いゴリラがいるのを見て、悲鳴を上げていた。


 更に、ゴリラは手に持っていた物を神に手渡そうとする。


 友好の印にバナナでもくれるのだろうかと思って神は思わずそれを受け取ってから、手元に視線を落とす。


 それは、真っ赤な林檎だった。


「そこは、バナナじゃないのかよ!」


 そうツッコむ神に決定的な隙が出来る。


 そして、真正面から馬鹿みたい突っ込んできた大竹丸の一撃が、神の体に初めてクリーンヒットしたのであった。



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 ワクチン接種の副作用で更新が遅れました。申し訳ございません。

 まさか、あんなに熱が出るとは予想外でした……。

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