第171話 真理の探究者に挑戦す。⑥

 元々、大竹丸の体は長い年月を掛けて、その姿を神に似せる事で神通力を強めようとしていた。


 神が行使する力は強く、その力の強さが神の肉体のサイズや筋肉の付き方、骨の形状が力の行使に影響を与えている為だと大竹丸は考えていたからだ。


 それは、ある意味では正しい仮説であった。


 事実、大竹丸の力は神の力を模す事で上がっていったし、神通力の操作もより細かく、上手く出来るようになっていったのだ。


 だが、大竹丸は時間の進みが遅い空間の中で、悪魔から世界の真理を六百年間学ぶ事によって、より正しい知識を身に付けるに至った。


 その結果、神の形状を真似る事が、強い神通力を使う事に決して通じているわけではないという事を理解したのだ。


 そもそもとして、神通力の強さから言えば、何も神の形状を模倣していない葛葉の方が強い。


 形状が神に似ているからといって、決して神通力を扱うのに最適ではないという事だ。


 では、何が足りないのか。


 必要なのは、形状に加えての本人の気質であった。


 本人の気質と肉体の形状が相まって、相乗効果をもたらす事で神通力……いや、世界の真理を操る力は飛躍的に向上する事を大竹丸は学んだのだ。


 学んだ後の行動は早い。


 大竹丸は三百年近くの時間を使って、自分の気質に合う肉体へと徐々に肉体改造を施していった。


 その結果、彼女は身長が伸び、スタイルが良くなり、美少女と呼べる存在から美女といった存在へと、その体の構造を変えるに至ったのだ。


 それが、彼女の変貌という事らしい。


 ちなみに天堂寺の変貌は、六百年間、大して外見に無頓着だっただけに過ぎないので、ただ粗野な衣装になっただけである。背も伸びていないのも残念な点である。


「ほう、この短い時間で私に当てられるようになるか」


 吹き飛んだ神が立ち上がり、ペッと血の混じった唾を吐き出す。


 闘技場の砂と神の血が混じった瞬間、その砂の上に草が生え、花が芽吹き、そこだけが神の祝福を受けたかのように緑が繁殖する。


 不可思議な現象ではあるが、神の奇跡とはそういうものなのだろう。


 石をパンに変え、水をぶどう酒に変えてしまうような、そんな奇跡を気軽に起こすのが神というものだ。


 いや、世界の真理を知った今の大竹丸なら分かる。


(理を自由に変えるからこその神というわけじゃな)


 物質の状態を、性質を、形状を即座に変更、変換出来てしまう力。


 それが全ての真理を把握、操作出来る神の力だ。


 だからこそ、砂地が緑地に変わる事など朝飯前のようにこなす。


 やはり、神が常識の通じない相手である事に変わりはないようだ。


 神は言う。


「恐らくは、私の目を盗んで別の時間軸で修練を積んできたか? 悪魔の臭いがプンプンするぞ。……堕ちたようだな、大竹丸」


「ふむ、正道が御主であるというのであれば、妾は邪道を学んできたというべきか。御主に勝つ為じゃ、致し方あるまい」


「知らないのかね? 邪道が正道に敵う理由など無い。……とはいえ、だ」


 神が自分の頬を撫でる。


 それだけで、赤く腫れあがっていた頬が元に戻っていた。


 この様子では神自身のダメージはほとんど無いのだろう。


 それが分かったからこそ、天堂寺も目付きを凶悪にする。


「私に一発を当てた事は褒められるべき事だ。そして、これはそのまま世界の真理の綻びを示したとも言えよう。真理の穴を見つけてくれて『どうも、ありがとう』と私は言うべきかもしれないな」


「そう言って、また逃げるつもりかのう?」


「逃げるのではない。私は真理を完成に近付けているのだ」


 神は言いながら不敵に笑う。


 だが、その矛盾を大竹丸は聞き逃さない。


「真理を完成させたからこその神じゃろう? 未だ完成させておらぬという事は御主は神ではないという事にならぬか」


「分からないかな、大竹丸? 真理とは完成して尚も進化を繰り返すものだ。真理に終わりなど無い。それを常に調整、修得するのが私の仕事だよ。故に、神とは常に進化を繰り返すものなのだ」


「常に遷ろうものが真理だと言うのであれば、それは真理ではなかろう。真理とはただひとつの動かざる理。真理の綻びを追い続けるあまり、そんな単純な事さえも分からなくなってしもうたのか……?」


「何とでも言うが良いさ。それは、君が真理の高みに辿り着いていないから分からないだけだ。辿り着いた者だけに分かる事もあるのだよ。まぁ、今回はそんな事は良いだろう。私は新たな真理の綻びを発見するに至ったのだ。この場は君たちに敬意を表して大人しく退くとしようか。……む?」


 神が珍しく表情を崩す。余裕のあった表情から怪訝な顔へと――。


 だが、それは本来有り得ない現象であった。


 全てを知る者が神であるのなら、神が理解出来ない事象などは起こりはしないはずなのだ。


 だが、神は怪訝な顔をしてしまっている。


 それは、神が何が起きたのかを瞬時に理解出来ていないという証左に他ならない。


 それは、神という定義を根底から覆すだけの出来事である事に彼は気付いているのだろうか?


「次元を越えられぬ……何故だ?」


「逃がすつもりは無いからのう。悪いが、妾と葛葉の二人で結界を張らせてもらったぞ」


 大竹丸の背後から静々と出てきた、九尾を持つ狐耳の少女が軽く頭を下げる。


 葛葉も大竹丸同様に長い時間を経る事で少し背が伸びたか。


 相も変わらず着物を着崩して着ているせいか、色々と際どい所が見えそうで危うい。


 だが、成長したのは身体付きだけではないようだ。


 葛葉が持つ膨大な神通力と、大竹丸が持つ膨大な神通力を併用する事で、神すらも破る事に苦労する強大な結界を張る事に成功。


 神は瞬時にこの空間から逃げおおせる事が難しいという事を理解したのか、大竹丸たちを鋭い目つきで睨む。


「これで、私を閉じ込めたつもりかね? 無駄な事はやめたまえ」


「無駄じゃと?」


「この人間の体は私の依り代であり、私の意識の一部を本体と切り離して顕現しているに過ぎん。つまり、この私を逃さないようにしたところで本体を潰さぬ限りは、私は何度でもこの世界に復活するということだ」


 大竹丸は蜥蜴の尻尾切りという言葉を思い浮かべる。


 言われてみれば、この神の姿は前に塞建陀窟で出会った時とは違うものだ。


 あの時のスカンダも記憶を失っていたし、この目の前の男も本物の神とは似ても似つかぬ依り代という事なのだろう。


 本体は別の次元で、ラジコンでも操作するかのように、この依り代を操っているのだ。


 つまり、そんなラジコンを閉じ込めて、破壊したところで、何の意味もないと神は言いたいのだろう。


 だが――、


「そんな事は百も承知じゃ。そして、何故妾たちだけがこの場におるのか、分からぬ御主でもあるまい?」


「何だと?」


「妾たちが悪魔と結んで、何故その悪魔がこの場にいないのかと疑問には思わなんだか?」


「貴様……」


 ようやく大竹丸の言葉の意味を察したか、神の顔色が変わる。


 蒼というよりも、赤。


 後悔というよりも、怒りか。


「そうじゃ。悪魔たちは御主の本体に直接攻撃をしにいったぞ。他にも色んな世界に散らばっておる御主の分体たちも処理しにのう。妾たちもそれに追随して、御主を処理しにきたというだけじゃ」


「……なるほど。理解した。どうやら君たちは私が思っていた以上に愚かだったようだ」


 神の殺意が高まる。


 だが、その殺意を前にして、天堂寺は嬉しそうに、葛葉は無感情に、そして大竹丸は飄々とした態度で応える。


「私を追い詰めようとした気概は認めよう。だが、それは虎の尾を踏んだ事だと思い給え!」


「なんじゃ、怒ったのか? 今更じゃな」


 大竹丸は肩に掛けていたジャージに素早く両腕を通すと、さっと前を閉める。


 ジャージを脱ぎ捨てるのではなく、きっちりと着込む辺りがジャージ好きの正しい姿である――と大竹丸は思っているらしい。


 戦闘モードになりながら、彼女は煩わしげに長い黒髪をかき上げていた。


「人という種を贄にして、自分を高めようなんぞ、どちらが神でどちらが悪魔の所業じゃ。悪いが、御主の好きにはさせん。……神殺し成させてもらうぞ!」


 大竹丸の神通力が一瞬高まり、だが凪のように静かに消えていく。


 まるで、嵐の前の静けさのような不気味な状態に、神は思わず怖気をもよおしながらも、不敵に笑ってみせていた。

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