第169話 鬼、真理の探究者に挑戦す。⑤

 分け身の術は、元々は大竹丸が鈴鹿山で悪鬼として君臨していた時代に、坂上田村麻呂の三万の部隊に対抗する為に編み出した術法である。


 当初は自分の身を数千の鬼に変えるだけの術であったが、これが神通力の研磨と共に、鬼の姿が大竹丸の姿を模すようになり、やがて大竹丸本体と同等の力を得るまでに至ったのだ。


 この分け身の術の便利なところは、分け身の状態で会得した技術や知識が、分け身を解除した際に全て本体にキャッシュバックされるという所にある。


 大竹丸はその特性を利用して、近代になると各国に自分の分身を送り込み、その地に伝わる伝統的な呪法や、武術に対する技術や知識を回収させていたのだ。


 その分身からのキャッシュバックを得る事で、大竹丸自身は大して苦労せずに、武術や呪術、そして知識などに明るくなったというわけである。


 その特性を今回は利用する。


「では、始めましょうか」


「そうじゃのう」


 数千という大竹丸がずらりと並ぶ中、その目の前にずらりと数千のベルゼブブがマンツーマンで付く。


 六百年という時間では、世界の真理の全てを教える事は難しい。


 その為に、世界の真理を分割して大竹丸、天堂寺、葛葉の三人それぞれに教える予定だったが、この分け身の術が打開の道を切り拓く。


 大竹丸が分け身の術をベルゼブブに教えて、それを即座にマスターしたベルゼブブが数千に分身する。


 後は、大竹丸も数千に分身すれば、同時間内での効率は数千倍にまでも引き上げられる事になったのだ。


 そして、世界の真理を大竹丸が知るにつれ、神通力が強まり、更に分身を作る事によって効率が飛躍的に伸びていく。


 その結果、大竹丸だけであれば六百年という期間で、世界の真理の九割は会得出来るとベルゼブブは判断したのである。


 だが、この分け身の術は大竹丸は得意とするものの、天堂寺と葛葉はそこまで得意としてはいなかった。


 いや、むしろ、分身すら作り出せない。


 元々、天堂寺は神通力の力自体は強いものの、そのほとんどが肉体強化に使用しており、器用に神通力を使って立ち回るというのが苦手だったのだ。


 葛葉に至っては、秘めたる力は強いものの、その操作は大雑把であり、精密な操作自体が苦手という大きな欠点を抱えていた。


 こんな二人では当然のように分け身の術を修める事が出来ず、ベルゼブブの授業を受ける事は叶わなかった。


 結果、二人は玉藻前の預かりとなる。


 大竹丸、ベルゼブブ組とは少し離れた波打ち際で玉藻前と天堂寺、葛葉が向き合う形で話し合う。


 世界の真理を知る機会を失ったにも関わらず、天堂寺や葛葉には悲壮感はない。


 二人共、そこまで考え込むタイプでもあるから、当然かもしれないが。


「天堂寺さんには、六百年で近接戦闘において神を凌駕する力を会得して貰います。要するに力押しだけではない、技や駆け引きを覚えて欲しいのです」


「それがアンタに教えられるのかよ?」


「別の世界では、神と唯一戦える存在と言われていたんですよ。心配無用です」


「ま、期待はしといてやるよ」


「葛葉はもっと上手に神通力を操れるようになりましょうか。神通力が強いのは良いですけれど、現状でも体から神通力が駄々洩れしています。そんな様子では遅かれ早かれ、退魔師ハンターに追い回されますよ」


「…………」


 思い当たる事でもあったのか、葛葉はコクコクと頷く。


 大竹丸とベルゼブブとは密度が違うが、こちらも玉藻前を教師として訓練を開始するようだ。


 そして、六百年という、長いようで短い時間の修行が始まる。


 ★


 最初の百年。


 その百年は、大竹丸はまるでベルゼブブの言う事が理解出来なかった。


 数千倍の効率化を施してもこれだ。


 三人で分割して世界の真理を修めようとしたら、果たしてどうなっていたか。


 考えたくもない事である。


 だが、ある時、ふと何かが大竹丸の腑に落ちた。


 そうすると、パズルのピースが噛み合うように、一気に世界の真理とやらが分かるようになったのだ。


 見えないものも見えるように感知出来るようになり、急に感覚が広がったような奇妙な状態。

 

 大竹丸は神通力という力の存在を仔細に感じ取る事が出来るようになり、知覚出来ることで運用できる神通力の量が増え、結果、新たに分身を数千体召喚出来るようになった。


 遂に、分身体が一万の大台を突破したのもこの辺りだ。


 その後は、ネズミ算的に分身の数が増えていく事になり、大竹丸の学習は加速度的に進んで行く事になる。


 一方の天堂寺は、百年間掛かって、ようやく玉藻前と木刀を噛み合わせられるレベルになってきていた。


 当初の天堂寺は力任せに剣を振るうのみで、玉藻前に攻撃が掠りもしなかったのだが、それがようやく捉え出すようになってきたのだ。


 玉藻前の動きに慣れてきたというのもあるが、肉体強化の神通力に精通してきたという部分もあるのだろう。


 その動きにキレが出てきており、玉藻前も時折表情を動かす事が多くなってきていたのである。


 そして、葛葉は神通力の制御の為に、連日座禅を組んでいる。


 彼女が思い浮かべるのは、大きな器に並々と注がれた液体だ。それが少々揺らした所で零れないイメージを確固たるものにする。


 最近ではひっくり返しても液体が零れないようにイメージ出来るようになった為に、葛葉の周囲に垂れ流しになっていた神通力の残滓のような見えなくなっている。


 この頃からだろうか。


 葛葉の尻尾がいつの間にか、二尾から三尾へと変わっていたのは。


 それを玉藻前が少しだけ嬉しそうに見ていたりするのだが、葛葉は気付いていない。


 ★


 世界の真理の修得を始めてから三百年が経った。


 大竹丸が消化した世界の真理は凡そ五割といったところか。


 大竹丸の分身の数も増えて、世界の真理の修得効率が増しているはずなのだが、修得が進むに連れて内容が難解になっているのが、会得のスピードが上がりきらない原因だ。


 教えて貰っているのになかなか理解出来ない現状に大竹丸は焦るが、講師役のベルゼブブは決して焦らせる事はなかった。


 焦ったままに、理解せずに次へ行っても困るからだ。


 世界の真理を理解するには、一つ一つを正確に理解する必要がある。


 そうでなければ、今の神と同じような状況になってしまう。


 理論に穴があってはならない――それが、ベルゼブブの教えであった。


 この頃から、大竹丸は世界の真理の修得と同時並行して、自身の脳を活性化する神通力の術を編み出し始める。


 分身で学習効率を上げるのも勿論だが、その分身が学んだ内容をより正確に理解する為に、どうしても自分の能力を引き上げる必要があったからだ。


 一方の天堂寺は、ようやく玉藻前相手にも一本を取れるレベルにまでなってきていた。


 肉体強化の神通力を見直し、自身の技を磨き――結果、当初よりも酷いレベルでの攻め一辺倒スタイルへと変貌している。


 どうやら、そのスタイルが天堂寺の気性には合うらしい。


 圧倒的な攻撃力は相手の反撃を事前に潰し、防御の選択肢を無理矢理増やせば、相手の防御にも穴が出来る。


 そんな戦い方を身に付けつつあった天堂寺であったが、ここでまさかの指導者交代である。


「ふむ、玉藻前くんの手に負えなくなってきたようなので、私がお相手しましょう」


「蝿のおっさんか。いいぜ、やろうじゃねぇか」


 かくして、天堂寺は再び辛酸を舐める日々に逆戻りするわけだが、確実にパワーアップは遂げていた。


 そして、天堂寺の修行から解放された玉藻前は、葛葉に修行をつけていく。


 修行の方法は簡単だ。


 玉藻前と葛葉が対面に座り、自身の神通力を操って相手の神通力を抑え込んだ方が勝ちといった遊びにも似た修行方法だ。


 ところが、この神通力の強さが並外れていると、遊びというレベルではなくなる。


 玉藻前と葛葉を中心とした空間では風が吹き荒れ、雲が渦巻き、稲光が鋭く光っては落ちるような状況が続いていた。


 そんな二人の周囲では化け物のように巨大な神通力が可視化し、互いの神通力を抑えつけようとして伸びたり縮んだり、取っ組み合ったりを繰り返している。


 これは神通力の操作は勿論だが、互いの神通力を競わせる事で、力の増大にも繋がっているようだ。


 修行風景を覗いていた大竹丸の分身の一人が、「また神通力が増大しておる……」と呆れたように零すくらいである。


 そして、あっという間に六百年という時間が過ぎようとしていた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る