第168話 鬼、真理の探究者に挑戦す。④
「絶対に倒せないじゃと?」
「そうよ」
罠を仕掛けて神を誘き寄せたまでは良いのだが、その髪を倒す手立てがないとは片手落ちも良い所である。
だが、そんな玉藻前の言葉を否定するように渋い男の声が響く。
「それは、説明が不足しているでしょう、玉藻前?」
白い砂浜の上に気配もさせずに現れたのは、黒いシルクハットに黒のスーツで上下を固めた英国紳士のような老爺であった。彼は黒いステッキを砂浜に突きながらも、ゆったりとした動作で大竹丸たちに近付いてくる。
「師匠……」
玉藻前がそう呟くのを聞いて、大竹丸はこの紳士が玉藻前の師匠である悪魔であろうと当たりを付ける。
はたして、それは正解であったようだ。
老紳士が帽子を取って頭を下げる。
「ようこそ、お客様方。私がこの空間を作り、皆様方を招待した三大悪魔の一人、ベルゼブブにございます。以後、お見知りおきを――」
「……ベルゼブブと言うと、蝿の悪魔じゃったかな?」
大竹丸がそう尋ねると、ベルゼブブは柔和の笑顔を見せて微笑む。
「如何にも。その昔、世界は生まれておらず、私も神も他の悪魔も全ては生まれては消えを繰り返す泡沫のような時代――。そんな時代に、泡沫の一つが意思を持ち、考え始め、自分たちの存在を固定する方法を模索し始めたのが全ての始まりです。我々は考えに考え、存在を固定する方法を編み出し、姿形を作る方法を編み出し、世界の理や真理を次々と解き明かしていきました。その結果、私達は泡沫から意志あるものに、意志あるものから真理の探究者に、そして真理の探究者から神へと至ろうとしたのです。その結果、神という頂点に辿り着いたのはただの一つの意思のみでした。私はその真理解読の競争の過程で蝿を主に探究していた事もあり、蝿の悪魔と呼ばれております」
「蝿を研究すると世界の真理に辿り着けるのかのう?」
「私は少なくともそう思っておりました。ですが、先に全ての真理に辿り着いたのは神です。ですから、私は間違っていたのでしょう」
「いえ、師匠。神の真理はまだ完成していません。だから、まだどこかに穴があるはずです」
「そうだね。そうだと良いのだけど」
ベルゼブブを名乗る老紳士は曖昧に笑う。
「そんな事よりよぉ、神を倒す方法はあるのか無いのか、はっきりしてくれよ? というか、そろそろ元の場所に戻してくれねぇと、桐子だけじゃ神を押さえておけねぇぞ?」
悪魔の師弟を前にしても全く動じない様子の天堂寺の言葉にも、ベルゼブブは優しく微笑んで返す。
「その点に関しては心配無用です。貴方がたが居た空間とこの空間の時間の流れは全くの別物にしてあります。神が貴方がたが消えた事に気付いて、私が呼び寄せた事に思い至るまでに恐らくは一分程度の時間の猶予があるはずです。そして、その一分が、この空間では六百年という時間になる。その六百年で貴方がたを鍛える為に、私は貴方がたを呼び出したのです」
「はぁ?」
天堂寺は納得のいかない表情をしているが、大竹丸は少し考えてから質問をする。
「それは、妾たちに世界の真理とやらを教えてくれるという事かのう?」
「そうなります。ただし、六百年という短すぎる時間でどこまで理解する事が出来るかは分かりません」
「勉強するってか? そういうのは桐子が好きだからよー。桐子を呼んでくれよ」
天堂寺が投げやりな口調で言うが、ベルゼブブは軽く肩を竦めてみせていた。
「この空間に呼び寄せられていないという事は、資格が無かったのでしょうな。私は神に対抗出来る可能性がある力の持ち主を選別して召喚する術式を行使したのです。そして、呼び出されたのが貴方がた三人だという事は、それ以外の方たちでは力不足だったという事になります。つまり、世界の真理を理解するだけの資格がない」
「桐子に資格がないって、マジかよ……」
ベルゼブブの言葉を受けて、大竹丸は『恐らく、判断の基準は神通力の強さではないか?』と考える。
葛葉は勿論のこと、大竹丸も強い神通力を持っており、天堂寺もそれなりの神通力を有しているように思われる。
茨木桐子はその神通力が基準値に達していなかったのだろう。
だから、足切りされてしまったのではないだろうかと大竹丸は考えた。
「六百年のう。それだけの期間を真理の解読に当てれば、奴に勝てると言うのかのう?」
「正直、難しいですな。六百年という短い時間では、貴方たちは世界の真理を半分も理解出来ないのではないかと思っています。玉藻前も言っていましたが、その状態で神に挑んでも、神を倒せるかどうかというと、限りなく不可能に近いでしょう」
ベルゼブブの言葉を聞いていた玉藻前も腕を組んで俯く。
「絶対に勝てないと言ったのは言い過ぎでした。だけど、六百年程度では全ての真理を貴方がたが理解するのは不可能なの。分かり易く言えば、神は99.9%の真理を全て把握していて操る事が出来る。私達が勝つには、残りの0.1%の真理に辿り着き、その真理を元に神に挑む事でしか勝つ方法がない。でも、六百年という短い期間では、30%も世界の真理を理解する事が出来ないでしょう。その30%の知識でも、上手く0.1%を引ければ勝つことが出来るかもしれないけど……。神との戦いは、69.9%の真理の知識の差があるのだから、圧倒的に不利な状況に追い込まれる事になるのは間違いない。そんな状況で0.1%が引けても……恐らく、良くて髪を撤退に追い込むだけにしかならないでしょうね。だから、神を倒す事はほとんど不可能と私は言ったの」
神を倒す事が出来ずに、退けるだけではダメなのだ。
また同じ事の繰り返しになってしまう。
その為にも神を討伐する必要があるのだと、玉藻前の鋭い視線が物語っていた。
そんな思い詰めた玉藻の前の顔を見ながら、大竹丸は良い事を思いついたとばかりに掌をぽんっと拳で叩く。
「三人おるのじゃから、30%ずつ分けて真理を覚えるというのはどうじゃ?」
「そうだね。ある程度、分野を偏らせて担当を割り振って真理を教えるしかないかな……とは私も考えていた」
ベルゼブブは大竹丸の言葉に頷くが、同時に困ったような表情も見せる。
「だが、世界の真理の中には、別の世界の真理との関連性を理解して初めてその真理を理解出来るというものも多い。一部分だけを理解した状態では、本来の理解の七割程度しか理解した事にならないだろう」
つまり、30%の真理を教えたとしても、それは実質的には21%程度の理解にしかなっていないという事だ。
やはり、神と互角に戦う為には全ての真理を覚える必要性がある。
だが、悪魔が知る真理を全て扱えるようになったとしても、世界の真理の90%程度の理解にしかならない。
10%の真理の理解差――。
それが、神と悪魔の差でもある。
「とにかく、やるしかねぇのならやるしかねぇだろ! 時間が無いなら急ごうぜ!」
「そうじゃな。時間が無いのであれば、何か良い方法がないか相談しながら、並行して考えていこうではないか」
そう言って、大竹丸は素早く分身を呼び出す。
神通力で作り出された大竹丸の分身は、気だるそうな表情で欠伸をしながら、その場に現れていた。
「じゃあ、妾よ。妾の代わりに世界の真理とやらを頑張って勉強してくれ」
「面倒な役など御免じゃぞ、妾よ」
「仕方あるまい。妾の方は妾の方で、効率的に世界の真理を学ぶ会議に参加せねばならぬからのう」
「仕方ないのう。後で、毒ペ一本じゃぞ?」
「世界の真理を修めたあかつきには毒ペの一本くらい作り出せるじゃろ」
「では、講義と会議の二つを並行でやろうかのう。のう? 皆の衆?」
「……大嶽丸が二人。ここが楽園か……?」
「「「…………」」」
二人になった大竹丸の会話を黙って聞いていたベルゼブブや玉藻前であったが……。
「「その手があったか!」」
二人は同時に叫ぶと、掴み掛からん勢いで大竹丸へと迫るのであった。
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