第165話 鬼、真理の探究者に挑戦す。①

「神、じゃと……?」


「あぁ、そうだ」


 大竹丸が胡散臭げに尋ね返すが、清水は事もなげに言い返す。


 どうやら、ただの誇大妄想の類とは違うようだ。


 大竹丸は清水の表情を観察して、そう結論付けた。


「そもそも、君は神というものを理解しているのかね?」


「何じゃと?」


「私に体の質を似せて、私の力を上手く利用しているようだが……それだけだ。君は世界の真理を理解してはいない」


「…………」


 大竹丸はその言葉に上手く答えられない。


 大竹丸が扱う神通力……それは天狗の秘伝を盗み取ったものであり、修行法や、どのようにすれば使えるのかを感覚的に掴み取ったものである。その為、使える事は使えるが、何故そのような力が作用するのかといった理屈や理論めいたものについては考えてこなかった。


 そもそも、答えが分からないものを延々と考察するのは無駄と割り切ったという事情もある。


 だから、大竹丸はその神通力をより便利に、より強力に使えるようにと腕を磨き続けてきた。


 それは、言うなれば、車が動く原理を知らずに、運転テクニックだけを磨き続けてきたドライバーのようなものであろう。 


 清水はそれをせせら笑う。


「その昔、全なる世界には私以外にも真理の探究者がいた。真理の探究とは即ち全てを知り、全てを得る事だ。つまり、一番最初に真理に辿り着いた者こそが全てを知り、全てを得る完璧な存在――神となれるわけだ。私はそこに辿り着いた。そして、力を得た。……君はそんな私を真似、その力の端の端、ゴミカスのような力を操っているだけに過ぎん」


「…………」


 清水の言葉が本当であれば、大竹丸に勝ち目はまずないだろう。


 単純な力勝負では清水の方に分があるし、武の技巧の叡智を組み合わせた技を繰り出そうとも、清水は全てを理解し、瞬時に対応してしまうに違いない。


 隙もなく、弱点もなく、完全無欠な存在。


 それが神というものだ。


 だが、と大竹丸は思う。


「そのようなゴミカスのような力でも、妾は御主に傷を付けたのじゃが?」


「そう。問題はそれだ」


 塞建陀窟スカンダくつで対峙した際に、大竹丸は掠り傷とはいえ、神という存在に傷を付けている。


 偶然……ではない。


 神という存在は完璧で完全で絶対の極致に至った存在だ。偶然というものはとことんまで排除されており、不確定な要素が入り込む隙間はない。


 だが、その偶然が起きた。


 それが何を意味するか?


 それを清水――神は良く知っている。


「私が私の意図せぬ場面で傷つけられたという事は、私の解いた真理の何処かに穴があるという事だ。穴があるようなものは、それは既に真理とは呼べない。神とは真理を読み解いた者に与えられる称号のようなもの。読み解いた真理の何処かに穴があるような存在は、残念ながら神とは呼べぬのだよ」


「では、御主は神ではないという事になるな。それなら、妾にも勝ち目が生まれるのではないか?」


「……身の程を弁えよ、大竹丸。私は、確立した真理の中の僅かな綻びを修正しているだけに過ぎない。言うなれば、君は私の中では修正ツールのひとつに過ぎないのだよ。真理の綻びが無くなれば、次の可能性を見せてくれる生物に切り替えていく。ただそれだけの儚い存在なのだ」


「次の生物に切り替えるじゃと?」


 まるで、以前にもそうした事があったような言い分に、大竹丸が思わず噛みつくと、神は薄い笑みを浮かべて微笑んでみせていた。


「君たちも知っているのではないか? 確か、君たちの言葉ではキョウリュウと言ったかな? 彼らにも私の真理をチェックするツールになって貰っていたが、彼らは真理の穴を……彼らの可能性を私に見せられなかった。だから、私が滅ぼしたのだ」


「…………ッ!」


 大竹丸の警戒感が一気に強まる。


 過去、地球上を席巻していたと言われる恐竜。


 彼らが絶滅した理由としては、隕石が地球に落ちて気候変動が起こった為というのが主流である。だが、その説を真っ向から否定するように、目の前の神は言う。


 神の目的が、自分の真理をより完璧にする為にであるならば、その綻びを見つけ出す為に生物は神に綻びの可能性を見せなければならない。それが、出来なければツールとしては無用の長物という事になる。


 神がそんな無用な長物をわざわざ繁栄させたままにしておくだろうか。


 巨大な蜥蜴に取って代わって賢い猿が地球を席巻したように、今度は賢い猿に代わって別の何かが地球を席巻する用意がある。


 ――神はそう言っているのだ。


「可能性を見せてくれないか、大竹丸? 私の完璧な真理の中に万に一つの綻びがあるかもしれないという可能性を。……あの時と同じように。嗚呼、勿論、この間の不具合は修正済みだからね。同じ手は通じないよ」


「妾の切り札をいきなり封じておいて、それを越えよとはまた難儀な話じゃ……。ちと、この展開はマズイかもしれぬのう」


「……おう、その可能性を見せるって喧嘩は、別に大竹丸だけでやって良いって話じゃねぇんだろ?」


 そう言って、大竹丸と肩を並べたのは天堂寺である。


 彼は明らかに定まっていない足元でいながらも、ぺっと折れた奥歯を吐き出しながら、長い日本刀を構えてみせていた。


「酒吞の……。ダメージが抜け切っておらぬようじゃが良いのか……?」


「関係ねぇよ……。というか、殴られっ放しじゃ収まらねぇんだわ……カッコ悪いとこ見られちまったし……コイツをぶった斬らねぇと収まりがつかねぇんだよ……!」


 憤る天道寺を前にしても、神はその度量を見せるかのようにおおらかだ。軽く肩をすくめる。


「あぁ、構わないよ。むしろ、何人で掛かってきても構わない。君たちが可能性を見せてくれれば良いんだ。完璧な私に『完璧ではないんだぞ』という回答をくれさえすれば問題ないんだよ。それが出来れば、私はまた時間をおいて……君たちを見守ろう」


「オーケー。悪いな、大竹丸。俺も喧嘩に参加させてもらうぜ……」


「酒呑の。これを喧嘩と判断するのはやめい。……死ぬぞ」


「上等。喧嘩と酒は鬼の華よ。死ぬのが怖くて鬼がやってられるか。――桐子!」


「はいよ。ボクだって何もしないまま、滅ぼされるのなんて嫌だからね。参加させてもらうよ」


「……葛葉よ、アスカの面倒を見てやれ」


 大竹丸はそう言って、未だ意識を取り戻さないアスカを葛葉に押し付ける。ともすれば、葛葉を戦闘に参加させたいところではあるが、神の話が本当であるのなら、恐らく葛葉の攻撃は神には通じないだろう。


 何せ、力の源が神そのものなのだ。


 自分から出た力で、自身が傷つくような間抜けな真似もあるまい。


 葛葉は気絶するアスカをか細い両手で掴むと頑張って闘技場の端へと引き摺って行く。


 かくして、闘技場の中央には三対一の構図が出来上がっていた。


 天堂寺が神を見下すようにして顎を上げる。


「卑怯とは言うなよ? 条件を出したのはテメェだからな?」


「むしろ、この程度で足りるのかね? 私はもっと大人数で掛かって来られる事まで想定していたのだが?」


 だが、神は動じない。


 むしろ、心底不思議だと言わんばかりの顔である。


 その態度に天堂寺の低い沸点が一気に振り切れる。


「半端な奴なんぞ、要らねぇよ! それに俺はよぉ、ダメージを受けてからが本番なんだ! 借りは返すぞ、コラァ!」


 天堂寺の大振りな縦斬りは早く、鋭く、空気を裂いて神に迫るが、それを神は左手の親指と人差し指で優しく挟み込んで止めてしまう。ビタリと動きの止まった刀を見て、天道寺の顔色が変わる。


「返せるのかね、これで?」


「くそっ、動かねぇ!」


 天堂寺が悪態をついている隙に既に動いていたのは、茨木だ。


 彼女はスカートの裾裏に仕込んでいた投擲用の針を取り出すと、それを神の横手に回り込みながら、素早く投げつけていく。


 だが、神はその攻撃を見る事もなく、闘技場の砂を蹴り上げるだけで飛んできた針の全てを弾く。いや、それだけではない。神が返す足で思い切り地面を踏み込んだと思った瞬間に砂の津波が生じ、茨木の眼前を砂の壁が覆い尽くす。


「こりゃ、凄い」


 だが、茨木はその感想だけを言い置いて、速度を上げると一瞬で神の後ろへと回り込んで砂の津波を回避する。


「ほう」


 その実力を見て、神も茨木に対する評価を改めたのか、感嘆するかのような溜息を吐き出していた。


「捷疾鬼系の鬼か。ただの数合わせではないらしい」


「それはどうも。……だけど、油断が過ぎるんじゃないかな?」


 茨木の警告とほぼ同時、空間を超えた大竹丸の刃が神の首を落とそうと迫るが、その剣閃は明後日の方向に逸れて、闘技場の砂地を叩くに留まった。


 絶対必中の一撃が軌道を逸らして外れた事で大竹丸は少なくはない衝撃を受けていた。


 その表情を見て、神は微笑を浮かべる。


「そこまで驚く事もあるまい。私は全ての真理に通じているのだ。当然のように空間移動さえも自由に操る事が出来る。それを操ってしまえば、御覧の通りだ。さぁ、次の可能性を早く見せてくれ、大竹丸。……でないと、人類が滅亡してしまうぞ?」


「コヤツ……!」


 三人を相手取っても全く余裕の崩れない表情を見せる神に向かって、大竹丸は苦々しい表情で歯噛みをするのであった。

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