第164話 鬼、生駒山ダンジョンに挑戦す。⑦

 肉を打つ鈍い音が響き、それと同時に足元に人が飛んできたのを見て、大竹丸は構えていた血の糸を素早く剣の形へと戻す。それを見て、天堂寺も異変を感じ取ったのか、大竹丸と素早く距離を取っていた。


 大竹丸の足元に転がるのは、頬を腫らして転がるアスカの姿。ピクリとも動かないところを見ると気絶しているようだ。


 そして、そんなアスカを蹴り飛ばしたであろう男は、スーツ姿のままに蹴り脚を下げて、ゆっくりと煙草を咥えて火を点けている。


「……おい、清水。テメェ、何のつもりだ? 俺とコイツの二人っきりの時間を邪魔するんじゃねぇよ」


 天堂寺が肩を怒らせて抗議をするが、清水と呼ばれた男は大して興味がないように煙草の煙を吸うと、ふぅと長い紫煙をその場にくゆらせていた。その煙が臭かったのだろう。葛葉が縛られた茨木を引き摺って距離を取る。


 そして、丸々一本吸い終わった後で、男はその吸い殻を放り捨てるなり、靴底で揉み消していた。


「答えねぇし、マナーがなってねぇし……最悪じゃねぇか!」


「……いや、すまない。実に滑稽だったものでね。本気でやり合わない殺し合いに意味なんてあるかと思ってしまったらどうもね。……ははは、無駄な時間を過ごしてしまった」


「なんだと……?」


「まぁ、君はどうでもいいさ。私の目的は君ではない」


 清水は静かに地面を蹴る。その跳躍は大して強く蹴ったようには見えなかったというのに、清水の体は大きく上昇し、そのまま闘技場の大地に降り立っていた。


 そして、そのまま彼は大竹丸に視線を向ける。


「やぁ、久し振り。健勝のようで何よりだ」


「誰じゃ、御主? 御主のような相手など知らんぞ?」


「つれないな。だけど、こうすれば思い出すんじゃないか?」


 清水が走る。音もなく、気配もなく、出足すら見えない急激な発進。

 その速度に大竹丸が目を瞠るよりも早く、天堂寺が反応する。


「俺のお楽しみを邪魔してくれてんじゃねぇぞ! コラ!」


「邪魔だよ」


 空気を切り裂き唸りを伴った剛剣を、清水は涼しい顔をして軽くステップを踏んで避けると天堂寺のがら空きの脇腹に固く握りしめた拳を打ち込む。

 ごきんっと骨が折れたような音が響き、天堂寺の顔が苦悶の表情と共に下がってくる所を下から突き上げるようにして放たれた清水のアッパーが天堂寺の顎を的確に捉え、彼の顎からぐしゃりといった鈍い音が響く。


 天堂寺の体がまるでゴム毬のように弾んで地に沈む中で、大竹丸はその動きの主を思い出していた。


「御主は……、もしや、塞建陀窟で会った……」


「思い出してくれたようだね。嬉しいよ」


 塞建陀窟攻略の際に、一度、人格が変わってしまったとしか思えないスカンダと大竹丸は対峙した事がある。

 人とは思えぬ、素早く的確な攻撃……いや、モンスターなのだから人の常識が通じないのは当然なのだが、スカンダにあの後尋ねてみると、その時の記憶が綺麗さっぱり抜け落ちているのだという。

 結局、アレが何だったのかは分からずじまいであったが、こうしてもう一度現れたという事は、ただの偶然というわけではないのだろう。


 大竹丸は素早く視線を巡らせて茨木に目を付けると鋭く叫んでいた。

 事態は一刻を争うと考えたのだろう。その声には焦りがある。


「おい! 妾に掛けている神通力の阻害を解け! そうでないと、この場に居る全員が殺されるぞ!」


「な、何を……」


「へぇ、勘が良いね。そうでなくちゃ面白くない」


「早くせぇ! 死にたいのか!」


 清水の言葉というよりも、大竹丸の迫力に気圧されたのだろうか。


 茨木が小さく舌を打つと、葛葉に向かって「縄を解くんだ」と小さく告げる。


 葛葉が思わず視線で大竹丸に尋ねると、頷きが返ってきたので、葛葉は「縄、切れろ」と呟いて茨木を拘束していた縄を切断する。


 腕が自由になった茨木は素早く印を結びながら呪を唱えると、周囲の空気が蠢くような感覚があった。茨木は素早く葛葉から飛び退りながら、吹き飛ばされた天堂寺の元へと駆け付ける。

 そして、彼を助け起こしながら吐き捨てるようにして、大竹丸に言葉を投げつけていた。


「キミの神通力の発動を阻害している術式は解除したよ。それだけで勝てるようになるのかは知らないけど。……まぁ、せいぜい頑張りなよ」


「ふん、十分じゃ」


 大竹丸はそれだけを返すと、清水と向き合う。


 彼は大竹丸が万全となるまで待っていたようだ。もう良いのかと視線で聞いてくる。


 別に良いというわけではなかったが、大竹丸は気になっていた事を清水に尋ねていた。


「さて、御主には少し聞きたい事があるのじゃが」


「私がそれに答えるとでも?」


「じゃろうな。じゃが、何も知らぬままに『さて戦おう』と言われても、妾も困惑するしかないのでな」


「そうなのかい? 面倒な生き物だね。人間というのは」


「――そこじゃ。御主は妾や人間を俯瞰して見ておる。御主も同じ人間なはずなのに見下ろす理由は何じゃ?」


「そもそもからして、基点が違うよ。大竹丸」


 清水は大仰に腕を広げ、射貫くようにして顎を下げる。

 その姿はまるで威圧感を持った磔の聖人を思い起こさせた。


 その迫力に、じりっと大竹丸は我知らず内に一歩を後退する。


「私は人じゃない」


「ならば、何じゃ? 霊か? 人の体にとっかえひっかえ取り憑いては妾を襲ってくる執念深いストーカーか?」


「随分と饒舌じゃないか。ふふふ、分かるよ。怖いんだね、大竹丸。私の得体の知れなさに恐怖を感じている……違うかい?」


 清水の言葉に大竹丸はぐっと言葉に詰まる。

 図星といえば図星だ。

 大竹丸は目の前の存在に不気味なものを覚えていた。

 前回に出会った時とは違う、嫌な重圧が大竹丸の体を縛るかのように圧し掛かってきているのだ。

 そもそも、武において巧者であるはずのアスカが一発で伸されるような相手だ。只者であるはずがない。


「力を増したね、大竹丸。だけど、力が増した分、私の力が分かるようになってしまったんだ。バケツに入った水をスプーンで掬って空にしてやろうと意気込んでいたのに、相手がバケツではなくて大海だと気付いてしまったのだろう。君の絶望感は手に取るように分かるよ」


 清水が言う事は事実だ。


 封じ込められていた神通力が使えるようになって、改めて清水という男を理解してしまった。

 大竹丸など歯牙にもかけぬ恐ろしい程の神通力。

 葛葉でさえも畏れてちょっかいを掛けられぬ程の力を有している。

 それが、一瞬で分かってしまった。

 それを成長というのであれば、大竹丸は確かに成長しているのだろう。

 だが、それは大竹丸に絶望という感覚を覚えさせる要因にもなってしまう。

 普通であれば、気持ちが萎えて動けなくなってしまうはずだ。

 だが、大竹丸は違う。

 どんな状況であろうとも、彼女は揺るがないし、屈さない。

 堂々と胸を張って、清水と相対する。

 

「ふむ、力の差があるのは事実じゃ。だが、それが勝敗を決める決定的な差にはならぬ。過去、寡兵で大軍に勝ってきた話は幾らでもあるからのう。今度は、妾がそれを実行すれば良いだけじゃ」


 大竹丸は知っている。

 劉邦と項羽による彭城の戦い、真田昌幸と徳川秀忠による第二次上田合戦――いずれも寡兵にして大軍を破った戦いである。力の差を戦力の差として捉えるのであれば、そういった番狂わせが起こる事もあるのだろう。

 だが、項羽も真田昌幸もどちらも最終的には敗軍となっている事は分かっているのだろうか。

 戦力が大きい方が勝つとは限らないが、戦力が大きい相手を徹底的に打ち滅ぼして根絶するというのは難しい。

 結果、その場凌ぎがせいぜいとなってしまうだろう。


(打ち倒すは難しいじゃろうな……)


 それは、大竹丸としても重々承知であった。

 ここで、この男を追っ払う――それが、大竹丸が選べる最善手だ。

 それは、彼女も理解している。

 その為に全力を出さねばならないのは癪だが、それだけの相手というだけだ。

 出し惜しみしている状況ではないだろう。


 大竹丸は血の剣を消し、久し振りに三明さんみょうつるぎを顕現させる。本気の証だ。


「口は減らないようだね。……結構。そうだね、君が闘志を失わなかった褒美に君の問いにひとつだけ答えてあげよう。……何を尋ねていたかな? あぁ、そうか。私が何かという話だったね」


 清水は勿体ぶった口調でそう告げると、仏のようなアルカイックスマイルを浮かべて笑う。


「――神だよ、神。……私は、君たちが神と呼ぶ存在だよ」


 清水の言葉に、大竹丸は思わず表情を強張らせるのであった。

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