第149話 鬼、捜査をせんとす。
「すみませんが、大蛇の問題を解決して頂く間はこの部屋をお使い下さい」
そう言われて大竹丸たちが通されたのは名古屋市役所の庁舎の一室であった。
本来ならば、高級ホテルがあてがわれていてもおかしくないのであろうが、現在の状況だと正常に稼働しているホテル自体が少ない。
それに、どちらかといえば、大竹丸たちの姿を市民の目から隠そうという意図があるようだ。
名古屋市としては、大竹丸たちは危機的状況に現れた救世主のように見えるのだろう。そんな救世主を手放さずに隠して手元に置こうとするのは、いつの時代の権力者でも似たようなものだ。
何となく、宜しくない雰囲気を感じ取りながらも大竹丸は自分達を縛れるものでも無いだろうと通されるままに部屋の中へと足を踏み入れる。
室内は狭い空間だった。
事務用の机三つとスチール製の戸棚、ホワイトボードがあり、それだけで空間の半分が埋まってしまうような空間だ。一応、パソコンも置かれているが何に使うのかは分からない。
とりあえず、適当に座り込みながら大竹丸たちは話し合う。
話の内容は、名古屋城に巻き付いた大蛇の話題だ。
「大蛇じゃが、あれはただの蛇というわけではあるまい」
「縮む大蛇なんて聞いた事ないですからね」
大竹丸の意見にうんうんと頷くアスカ。
それに便乗したように嬢も一言付け加えていた。
「城に巻き付いたまま、動かないというのも怪しい。……お腹空いたけど何かない?」
「紅茶の茶器があったから、これでも食べるかのう?」
「いや、それで紅茶淹れましょうよ? 何でカップをそのまま食べちゃおうとするんですか?」
「嬢は土蜘蛛じゃからな。宝石や土や石を好んで食べよるし、食器の方が良いかと思ったんじゃが……」
「紅茶で良いよ。……何かお腹に入れたいだけだから」
戸棚を開けて紅茶の茶葉と茶器を取り出して、手早く紅茶を用意し始めるアスカ。聞けば、アスカは前のマスター相手にも紅茶やら茶菓子を用意しては振る舞っていたらしい。それで手際が良いのだろう。
高所から天空落としのようにして、紅茶を注ぐ姿は何かと絵になる。
「とりあえず、これからどうするかじゃが――」
アスカの淹れた紅茶を飲みながら、大竹丸はすぐに口を離す。
ちょっと紅茶が熱かったようだ。少しだけ眉根を寄せている。
「ちと、調べてみたい事があるから、妾は別行動を取りたいんじゃが良いかのう?」
「お土産買ってきたら良いよ。……高い奴」
「硬い奴じゃったら道端の石ころでも拾ってくるんじゃがのう」
「それでしたら、私ももう一度巨大な蛇を見に行ってきて良いですか? 本当に縮んだのかもう一度確認したいんですけど」
そんなわけで大竹丸たちは分かれて行動することになった。
室内でぼーっと休む嬢を置いて、大竹丸は目的の場所を目指すのであった。
★
「此処じゃな。――頼もう!」
「はいはい。どちら様で……あら? テレビの取材か何かです?」
海に程近い場所にある三階建てのコンクリートのビル。
その一階の釣具店へとやってきた大竹丸は、入り口で声を掛けて、ずかずかと内部へと踏み入っていった。
そんな様子に奥から出てきたのは、作業着姿の四十半ばの中年女性である。
まさにオカンといった風情が似合う彼女は、大竹丸の姿を上から下まで見回して、勝手にテレビの取材と勘違いしていた。
それに大竹丸は苦笑を浮かべる。
「別にテレビの取材というわけではないのじゃがな……」
「あらやだ! やたら別嬪さんだから、テレビのタレントさんが来たのかと勘違いしちゃったわ! テレビの取材じゃなきゃ何かしら? ウチは、今はバイトは募集していないんだけど……」
奥の生活スペースからは、時折テレビから漏れ出てくる音が聞こえてくる。
不思議なことだが、これだけ世間にモンスターが蔓延っているのにライフラインや電線、電波塔の類が損傷したという話は聞かない。
その為に、テレビやインターネットでは、最初はモンスターの危険性を訴える放送や通信で溢れていたのだが、今は普通に通常のテレビ番組が流されているのである。
その辺は、果たして偶然そうなっているのか、それとも何らかの意図があるのか……。それを知る術は、現在の人類には存在していなかった。
「バイトを頼み込みに来たわけではないのう。妾は、あの名古屋城に巻き付いている大蛇の事でちと尋ねたい事があって来たんじゃ。なにやら御主が中心となって、あの大蛇に供え物をしておると聞いてのう。相違ないかのう?」
「あぁ、お供え物のこと!」
名古屋城のすぐ近くに、全人類的に食糧が不足しているにも関わらず、大蛇に対する御供え物の区画が作られていた。
それに違和感を覚えた大竹丸は、御供え物区画の近くで聞き込みを行い、その責任者が海に近い場所に建てられたビルの一階にある釣具店の女店主であるという事を突き止めたのである。
曰く、彼女が中心となってその運動を開始した、と。
「そうよ、あれを始めたのは私が最初! あの御供え物は大蛇様に対する感謝の気持ちなの!」
「感謝の気持ち……とな?」
「名古屋市は少し前までは、それはもうモンスターの被害が凄かったのよ! でも、ある時期を境にモンスターの姿自体が減っていったわ! 市は自分たちが探索者たちに協力を呼び掛けた結果だと言っているけど、本当は違うの!」
そこで、女店主は声を潜めてまるで内緒話をするかのように、大竹丸に近付いて呟く。
そんな事をしなくても、別に誰も聞いていないのでは? ――と大竹丸は思ったが、仕方なしに大竹丸も女店主の小芝居に付き合う。
「モンスターが出なくなったのは、大蛇様が名古屋城に巻き付いた時期とほぼ一緒なの……。だから、私達は大蛇様の姿を見て、モンスターたちが逃げ出したんじゃないかと思っているの……」
「逃げたモンスターの代わりに、巨大な蛇が街を見下ろしておるのは気にならんのか?」
「大蛇様は私達には襲い掛かってこないし、ただ名古屋城に巻き付いているだけだから危険はないわ。だけど、大蛇様が私達を敵だと認識したら困るでしょう? だから、私達に敵対の意志は無い事を伝えようと思って近くに御供え物を供える場所を作ったの。最初は私だけしかやっていなかったんだけど、市内が徐々に平和になってきたら大蛇様のことを分かってくれたのか、協力してくれる人も増えてきたわ」
「それが、あの零れ落ちんばかりの食糧か……」
「それだけ、私達は大蛇様に感謝してるのよ!」
「ふむ。なるほどのう……」
その時、釣具店の奥の居住スペースで何かが鳴く声がして、大竹丸は興味深そうな表情を見せる。
それに気付いたのか、女店主は苦笑を浮かべて見せていた。
「ちょっと猫を飼っているの。丁度食事の時間だったんだけど、それを邪魔されて気が立っているみたい」
「そうか、それは悪い事をしたのう……。わざわざ猫の機嫌を損なうのもアレじゃし、妾はそろそろ帰るかのう」
「そう。こんなオバサンの話で良かったら、また聞きに来て頂戴ね!」
そうじゃな、と踵を返す大竹丸であったが、その足がゆっくりと止まる。
「あぁ、そうじゃ。最後にひとつだけ良いかのう?」
「何かしら?」
「蛇にはピット器官というものを備えておる種がおってな。それで夜間じゃろうが何じゃろうか、生物が発する熱を感知して獲物に襲い掛かることが出来るんじゃが……」
大竹丸は言葉を止めて、ついこの間、大蛇に襲われた時のことを思い出す。
「熱に敏感に反応出来る蛇が、攻撃に炎を用いる事についてはどう思うかのう?」
「えーっと? どう思うかと聞かれても……。私は蛇の専門家じゃないから分からないかしら?」
「なるほど。そうじゃのう。……ふむ、邪魔したのう」
大竹丸は女店主のその返答に満足したのか、不思議な顔をする彼女を残して市役所の一室へと戻るのであった。
★
「何してるの、大竹丸? ……自殺サイトでも見てる?」
「何で、そんなものを見なくてはならんのじゃ……。気になる事があったので専門家に聞こうと思ったんじゃが……うーむ。どうやって連絡を取れば良いのか分からぬ……」
パソコンの前で固まる大竹丸であるが、その大竹丸を押し退けて、今度は嬢がパソコンの前に座る。
すると見事なブラインドタッチのままでメールソフトを立ち上げたではないか。
「誰に連絡取るの? ……メアドは知ってる?」
「……いや、何で御主、そんな事出来るんじゃ?」
「大竹丸たちが出て行った後、暇だったからパソコンの弄り方をその辺の職員に教わった。……基礎的な事なら出来るようになった」
「……御主、駄目な子に見えて、微妙にスペック高いよな? ふむ、メアドは少し待て。確か名刺を貰っておったはずじゃ。……どこじゃったかな?」
ちなみにスペックが高く見えて、微妙に駄目な子であるアスカと評価が正反対である。
大竹丸はポケットに入っていたヨレヨレの名刺を取り出すと、そのメールアドレスをゆっくりと読み上げていく。
やがて質問内容について何度か書き直してから、大竹丸はメールを相手に送り付ける事に成功していた。
「ふむ、これで良いじゃろう」
「今のが何かの役に立つの? ……あんまり役に立つとは思えないんだけど?」
「まぁ、何かの役に立ったら良いのう、と言った所じゃ。後はそうじゃな……。御主にはもう一働きしてもらうかのう?」
「面倒くさいのは嫌なんだけど。……死にたい」
だが、大竹丸は嬢の意志を無視して、ひっそりとある事を頼むのであった。
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