第146話 鬼、武闘祭前夜に夜更しせんとす。

 ポポキンに連れられて、選手控室となる山奥の廃旅館へ案内される一行。

 武闘祭の予選は明日だというのに、既に多くの参加者が廃旅館に集まっているようだ。

 三人で一部屋を割り当てられた大竹丸たちは、ポポキンから妙に厚い冊子を渡されて廃旅館の一室に通される。どうやら、これを読めということらしい。


「武闘祭の参加ルールだ。読んでおいてくれ」


「この気合いの入りようは一体……」


 ともすれば辞書もかくやと思わせる分厚さに大竹丸は渋面である。


「まぁ、予選は明日の夜からだから、今日は十分休んで、明日にはコンディションを整えて予選に臨むといい。――アスカ様、期待しております!」


「え? あ、はい……」


 チラチラと大竹丸たちの様子を窺うアスカの様子は気にならなかったのか、ポポキンは満足気に頷くと部屋から出て行ってしまう。

 残されたのは、ただただ重い沈黙だけである。

 各々が部屋の中の思い思いの場所に言葉もなく座った時分になって、ようやくアスカが口を開く。


「あのー……、私に優勝を譲って頂く事は出来ませんでしょうか……?」


「別に御主が優勝せんでも、誰が優勝しても構わんわけじゃろうし……各々が優勝を目指せば良いじゃろう」


「異議なし。……お茶も出ないとはサービス悪いね」


「あ、はい。ソウデスネ」


 どうやら大竹丸も嬢も手加減をする気はさらさらないらしい。

 それを知ったアスカの頬を一筋の汗が伝う。

 そんな不穏な気配を感じたのか、アスカはそそくさと席を立つ。

 旅館内の何処かにお茶でも置いてないかを探しに行こうとしているのだ。

 直接対決であまり酷い目にあわないように、今から二人のポイントを稼ぐのは非常に重要な事なのである。

 アスカは割と心得ていた。


 ★


 アスカが何処からかお茶を調達してきて、大竹丸が弱視の嬢の為にルールブックを音読してやっている最中、それは唐突に起こった。

 大竹丸たちの部屋の扉がガチャリと開き、見知らぬ猿顔の男が膝を曲げて室内に侵入してきたのだ。

 背は三メートル近くあるだろうか。

 立っているだけでも威圧感を与える男の存在に大竹丸は音読を止めて、その男を睨む。


「何か用かのう?」


「俺の名はマーダーエイプのジュウゾウ! 竜がエントリーしたと聞いてな! どんな奴か見に来たのよ! 竜はどいつだ!」


 大竹丸の視線がアスカに向く。

 視線を向けられたアスカは実に面倒臭そうにジュウゾウと名乗った大猿に名乗りを上げていた。


「私が天舞竜のアスカだ」


「ほう、そんなヒョロイ体でこの武闘祭に出ようとはな……。しかも、テンブリュウなどとは聞かぬ竜の名! どこぞのはぐれが栄誉欲しさに参加したか!」


「はぁ……。自分の無知を棚に上げて、随分な言い草ですね。謝るなら今の内ですよ?」


「ククク、威勢だけは良いようだな? それでリザードマンを騙くらかしたわけか! ふんっ! その威勢が虚勢かどうかは予選が始まればすぐに分かる事……せいぜい雑魚にあっさり討たれぬように用心することだな! クハーッハッハッハ!」


 それだけを言い終えて、ジュウゾウは部屋から出ていく。

 その後ろ姿を何となく目で追いながら、大竹丸はポツリと零す。


「あれは何じゃ?」


「ライバル宣言じゃない? ……五月蠅いだけだったけど」


「あぁ、格闘漫画界隈では良くある『アレ』かのう? 良かったのうアスカ。お主、一応有力選手扱いのようじゃぞ?」


「いえ、私の種族をディスられただけですし……。全然良くないんですけど……?」


「それよりも大竹丸。……続き読んで」


「良かろう。……というか、このルールブックめっちゃ分厚いのう」


 そうして、大竹丸がルールブックの続きを読み始めること十五分。

 また勝手に部屋の扉が外から開かれる。


「我が名はスキュラのオーレイ……。竜というのはどいつじゃ?」


「えーっと、私です」


 つい先程も同じ事があったからか、アスカの対応も早い。

 オーレイを名乗ったスキュラは、アスカの全身を嘗め回すようにして見つめると、ふふっと小さく笑いを漏らす。


「竜というからどれほどのものかと思って来てみれば、まるで覇気を感じぬ! まさに仔犬のようじゃ! このような者に我が後れを取るはずもなかろうて……。ホホホ、邪魔したのう!」


 そして、バタンと扉が閉められる。

 そんなオーレイの後ろ姿を見送ったアスカは、大竹丸に視線を投げ掛けていた。


「今度は反論も許さない一方的なディスを受けただけなんですけど……?」


「虫の囀りじゃろ? 涼やかにしておれば良い」


「というか、その扉って鍵閉められないんですか?」


「ボロい旅館じゃからな。鍵は壊れて閉められぬぞ」


「えぇ……」


「そんな事より大竹丸。……続き読め」


「仕方ないのう。何々? 山中バトルロイヤルではコリジョンルールを採用? いや、コリジョンルールは関係ないじゃろ、コリジョンルールは……」


「ツッコんでないで続き読め。……飽きてくる」


「仕方ないのう」


 その十五分後、またしても部屋の扉が開き――、


「殺戮自動人形ノ『ガーダー』ダ。竜ハ居ルカ……?」


 そして、その十五分後にもまた部屋の扉が開き――、


「デビルリカントのチロだわん! 竜は居るわんか⁉」


 そして、その十五分後にも――……


 ★


「私は、ブリッツ・ナーガのジェイルという。此処に――……」


「いい加減、鬱陶しいんじゃ! 帰れ帰れ!」


「なっ、ちょ、それは扱いが酷いのでは――……」


 総勢で十五人程の自己紹介を何とか我慢して耐えていた大竹丸であったが、流石に堪忍袋の緒が切れてしまったようだ。

 十五人以降の扱いは非常に雑なものとなっている。


「もう最初の頃の人の名前覚えてない。……誰だっけ?」


「うん? 何じゃったかなぁ? アスカじゃったっけ?」


「それは私の名前です!?」


 グダグダとしながらも、ルールブックを読み終えた大竹丸はひっそりと右手を見つめて、握ったり開いたりを繰り返す。


(なるほどのう……)


 右手が淡い光を放ったところで大竹丸は右手を振るって出現していた光を消す。

 東京から静岡まで歩いてきた中で、暇さえあればずっと試してきた事だ。

 それが徐々に開花しそうになっている事に大竹丸はひっそりと笑みを刻む。

 これなら、武闘祭でも遅れを取る事もないだろう。

 そんな思いが顔に出る。


「大竹丸が一人で笑ってる。……きっしょ」


「思い出し笑いですか? ちょっと不気味ですよね……」


「何で嬢は目が見えないくせに、妾が笑っている事が分かるんじゃ⁉」


「深い所で大竹丸と繋がってるから? ……今のは言い過ぎた。本当死にたい」


「腐れ縁ってことですかね? 私はそこまでマスターの機微を感じ取れませんけど」


「取れんでえぇわ! むしろ、感じ取るな! まったく!」


 そこまで言った所で、大竹丸は分厚いルールブックの最後に挟まっていた明日の予定表に視線を落とす。

 そこには、参加人数が多かったのか、まずは山の一角を貸し切って大規模勝ち抜き戦バトルロイヤルを行う旨の説明が記載されていた。

 どうやら、反則無しの真剣勝負をさせて、参加者の優劣を競わせようという事らしい。

 記載内容の中には、臨時で参加者同士で同盟を組む事について、問題ないと書かれていたのだが、二人はどうするつもりなのだろうか。

 大竹丸は水を向けてみる。


「そういえば、明日の夜はどうするんじゃ? ……組むか?」


「私はどっちでもいい。……そろそろ眠い」


「是非、組ませて下さい!」


 意外にもその呼び掛けに応えたのはアスカであった。

 彼女は真剣な顔で続ける。


「嬢先輩やマスターの攻撃に巻き込まれて、その他一般のモブのようにやられるのは絶対に嫌です!」


「妾はそんな事せんぞ? 嬢はやるかもしれんが」


「糸に掛かった獲物は全て一緒くたに須らく死ぬ。……雑魚モブ化おめでとう」


「絶対に組ませてもらいますからね⁉」


 かくして、無駄話をしながらも大竹丸たちは深夜遅くまで起き続ける。

 明日の夜に予選があるとの事なので、そこに向けて朝と昼の生活を逆転させようとしている……わけではない。

 単純にくだらない言い争いを続けているだけである。

 だが、そのくだらない言い争いが彼女たちの体調を調整するのに一役買う事になるであろう事は、その時の彼女たちはまだ知るよしもない事なのであった。

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