第145話 鬼、武闘祭に誘われんとす。

「釣れぬのう」


「そうだね。……死にたい」


 大阪に向けて西進を続ける大竹丸たちは順調に鎌倉、江の島、茅ケ崎、小田原と抜け、熱海へとやってきていた。

 その道中でモンスターには何度も襲われたものの、元S級モンスターであるアスカや、そのアスカを手玉に取れるだけの実力を持つ嬢が相手では、凶暴なモンスターもチワワのようなものであり、過剰な可愛がりによってDPへと変貌している。

 そうやって本人たちは急いで――実際にはのんびりとしか見えない移動で――西に進んだ結果、辿り着いたのが静岡県熱海市であった。

 熱海といえば、やはり温泉街が有名であり、海に面している事から海産物でも有名な土地である。

 大竹丸たちもそれを楽しみにやって来たのだが、モンスターが跋扈する時代ともなると、悠長に旅館経営もままならないらしい。

 付近住民の避難場所として旅館が使われている事を知ると、大竹丸たちは旅館での宿泊は諦め、せめて食事だけは自慢の海産物を食べようかと海に繰り出したのである。

 そして、程良い堤防を見つけると、彼女たちはおもむろに釣りをし始めたのであった。

 ちなみに、竿はその辺の木の棒で糸は嬢が作り出した特製のものだ。海水に濡れても切れない優れものである。

 大竹丸たちが釣り糸を垂らし始めて一時間……。

 未だにひとつの当たりも無い様子に大竹丸たちは首を捻っていた。


「やはり、餌を付けていないのが致命的なのでは?」


「餌のう……。アスカ、お主括られてみたくはないか?」


「嫌ですよ!」


「アスカなら良い出汁が取れそう。……じゅる」


「嬢さんもどういう目で私を見ているんですか!」


「え? 聞きたいの? ……美味しそうって目だけど」


「聞かなきゃ良かった!」


 頭を抱えるアスカを放っておいて、大竹丸は餌よりも肝心な事にハッと気付く。


「妾、今気付いたんじゃけど」


「何。……糞鬼?」


「くそ……? まぁええじゃろ。あれじゃ、針付けておらんぞ、妾たち」


「それじゃ釣れるわけがない。……やはり、そこのヘナチョコ竜を括るしか」


「直接潜って取って来いって言うんですか! 嫌ですよ! そういうのは海竜とか水龍の仕事じゃないですか! 天舞竜の仕事じゃないです!」


「変な所にプライドがあるようじゃのう――……ん?」


 大竹丸が釣り竿を引き上げた所で、視線を受けている事に気が付く。

 モンスターのような敵意ある視線では無いが、探るような視線は監視されているようで甚だ不快だ。

 大竹丸は刃のように削った自分の中指の爪で親指の腹を少しだけ切ると、相手にバレないように細い血の糸を監視する相手に伸ばしていく。

 そして、その血の糸が相手を捕えたと思った瞬間に、大竹丸は豪快な笑みを見せていた。


「わはははっ! 大物ゲットじゃあ!」


「うわあああああ~~~~⁉」


 空中に舞った人型は、掴むものを探すかのように空中でもがき、足掻き、頑張ったのだが……流石に宙は掴めずにそのまま防波堤のコンクリートの上へとビタンと落ちる。

 ぐへっ、と随分コミカルな反応を示した相手は人間――……ではなかった。


「なんじゃ、コイツ。緑色じゃな?」


「蜥蜴だ。……蜥蜴人じゃない?」


「あぁ、これリザードマンですね。同じダンジョンモンスターなので分かりますよ。……というか、御二人ともそんな事も知らないんですか?」


 アスカが得意そうに「ふふん」と鼻を鳴らすので、揃ってアスカの頭を叩く大竹丸と嬢である。

 どうやら生意気な態度が気に入らなかったらしい。

 アスカは頭を抱える。


「しかし、ダンジョンモンスターなのに、何故コヤツは襲って来なかったんじゃ?」


「隙を窺っていたとか? ……まぁ、無いけど、そんなの」


「痛たた……。そうですよね。嬢先輩と私がいますし、守りは万全ですから……」


 土蜘蛛である嬢にとっては、自身の周囲三百六十度に糸を張るのは得意技だ。

 近付く者であれば、何であろうと気取られる。

 その彼女の領域を抜けるのであれば空からであろうが、その空には滅法強い空戦最強である天舞竜のアスカがいる。

 つまり、この布陣を敷いている限りモンスターは安易には近付けないのだ。

 それに気付いて、じっと息を潜めて姿を隠していたというのであれば、このリザードマンはなかなかの強者ということだろう。

 だが、どうやらそうでは無かったようだ。


「俺はそんな卑怯な真似はせんっ!」


 リザードマンが跳ね起きる。


「⁉」


「喋った。……蜥蜴のくせに」


「高い知能を持ったモンスターであれば喋るのは不思議ではありませんが、リザードマンが喋るのは珍しいですね。もしかしたら、ボス個体に率いられた個体かもしれません」


 一部のモンスターは、同系統の上位モンスターに率いられる事でその能力が飛躍的に上がる。

 雑魚の代名詞であるゴブリンなども、ゴブリンキングに率いられれば、異常な統率力を見せ、ただの雑魚から侮りがたい難敵へと変貌するのだ。

 アスカはその点を指摘し、リザードマンに視線を向ける。

 当のリザードマンはその通りだとばかりに、堂々と胸を張って口を開く。


「その通りだ! 我が名はポポキン! 元々俺はこの一帯を治めるブリッツ・ナーガ様に仕えるリザードマン族の戦士であった!」


「この一帯を治める……じゃと?」


「というか、って方が気になる。……死にたい」


「ふん! ブリッツ・ナーガ様は穏健派にして、大の美食家グルメなのだ! 故に、人を食う事はせずに、人に食事を作らせる代わりにこの周辺で不埒な真似をするモンスター共を取り締まっておられるのである!」


「人間と共生しようというモンスターもいるのですか……。貴重な存在ですね……」


 アスカが感心したように、そう漏らすが話はそこで終わりではないようだ。ポポキンは続ける。


「我々としても、危険を冒さずに食事が得られるというのであれば、それに越したことは無いとブリッツ・ナーガ様に仕えていた! だが、ある時、皆して気付いてしまったのだ!」


 蜥蜴の表情は分かり難いのだが、それは恐らく絶望の表情だったのだろう。

 ポポキンは大袈裟に両腕を広げて、天を仰ぐと嘆くような声で語る。


「蜥蜴が蛇に仕えるって、何かおかしくね? と――……」


「…………。心底どうでも良いのう」


「知らんがな。……死ね」


「いえ、種族違いなのは結構問題ですよ? ちょっとした違和感が広がると、ボス個体に率いられた集団としては機能しなくなります。そうなってくると、この周辺にいるリザードマンたちは統率が取れなくなって、周囲の人間を襲う事になりかねません」


 どうやら事態は思ったよりも深刻なようだ。

 現在、熱海を中心に静岡県の広域にリザードマンの群れが展開していると考えると、その全リザードマンが秩序を失っていきなり暴走するというのは、どう考えてもマズイ事態に陥りかねない。

 その原因が例え『しょうもない話』だとしても、見過ごすわけにはいかないのだ。


「ブリッツ・ナーガ様への忠誠が揺らぐ中、我々の中でも意見が割れ始めた。……変わらずにブリッツ・ナーガ様に忠誠を誓う者、ブリッツ・ナーガ様を見限り、リザードマン族から新たなリーダーを選ぼうとする者、逆にリザードマン族とは全く関係のない上位のモンスターを上に据えようとする者……そんな中で俺はブリッツ・ナーガ様に忠誠を誓うのが正解だと思っていた……。これまでリザードマン族に利益を齎してきたその実績を軽視する事は出来ないからな。だが――……だがっ!」


 ポポキンが真っ直ぐな視線を大竹丸たちに向ける。

 その視線には一片の曇りもない。

 視線の勢いに押されたわけではないが、大竹丸たちが一瞬怯む。


「俺は見つけたのだ! 我々の首魁に相応しい者を! ――そう、貴女だ!」


 そう言って、ポポキンが指を差したのは、


 大竹丸でも、


 嬢でもなく、


 ――アスカであった。


「いや、お断りしますけど?」


「そこを何とか!」


「いや、何で妾たちを差し置いて、アスカなんじゃ……」


 大竹丸と嬢がジト目で迫ると、何を言うかとばかりにポポキンが目を剥く。


「リザードマン族のリーダーが蛇では格好が付かないが、竜なら格好が付くだろうが!」


「その基準が分からぬわ!?」


 彼の中では、蛇よりも蜥蜴の方が生物的には上なのだろうか?

 そして、蜥蜴よりも竜の方が……それは確かに生物的には上だろう。


「というわけで、頼む! 俺たちの首魁になってくれ! いや、ずっと首魁として君臨してくれなくても良いんだ! 今度の静岡リザードマン族首魁武闘祭にエントリーしてくれるだけでも構わない! とにかく、頼む! 力を貸してくれ!」


「武闘祭?」


 その時、アスカの目がキランと輝いたような気がした。

 元々アスカは竜にしては物好きな武術大好きドラゴンなのである。

 そんな彼女の目の前に大好物をぶら下げられれば――……。


「出ましょう!」


 こうなるのは当然なのであった。


「おい、アスカよ……。妾たちは先を急ぐ旅なのじゃぞ? こういう変なイベントに関わっているような暇は……」


「のんびりと魚釣りをしてるぐらいなのですし、少しぐらいは良くないですか? それに上手くすればリザードマンの軍勢が、私たちの味方になってくれる可能性もありますよ?」


「ふむ、それはそうじゃが……」


 確かに、相手がどのような罠を仕掛けているか分からない現状では手勢は欲しい。

 手勢が居れば、斥候や囮などといったように戦術の幅が広げられる。

 それは素直に魅力的な点であった。


「それに何より、最近、色々と雑用を押し付けられているので、どこかでストレス解消したいと思っていたのですよ!」


「どちらかと言うと、それが本音? ……好きにすれば?」


「ふむ、まぁえぇじゃろう。計算に無い事をする事で、大阪の阿呆の計画を狂わせる事が出来るやもしれぬしな」


「では、出てくれるんだな! 有難い! 武闘祭は早速明日の夜から予選が行われる! ……御付きの二人も暇だったら出てみたらどうだ? 運が良ければ勝ち抜けるかもしれんぞ?」


 ポポキンにとっては、それは当然の言葉であったのだろう。

 リザードマン族の遥か上の種族であるドラゴン種。

 そして、そのドラゴン種は生物の頂点に存在する種族だ。

 そんな頂点が誰かに仕えているなんて事は、想像の外の出来事であったに違いない。

 だが、その言葉を看過出来ない者たちもいる。


「御付き、じゃと……?」


「運が良ければ。……ねぇ?」


「あ、これマズイ奴だ……」


 アスカが青い顔で一歩引く中、大竹丸と嬢は非常に良い笑顔を浮かべて、二人して頷きを返す。


「その武闘祭とやらに妾も出るぞ!」


「私も出る。なかなか楽しい事になりそう。……クヒヒ!」


「そうか! まぁ、せいぜい頑張るんだな! わっはっはっは!」


「あわわ……」


 胸を反らして偉そうに笑うポポキン。

 彼は、この時まだ触れてはいけない存在たちの虎の尾を踏んだ事に気付いていないのであった。

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