第143話 鬼、百鬼夜行帳の中の流行りを知らんとす。

  ★


 神奈川県横須賀市、米軍基地――。


『……アルファチーム、状況を報告せよ』


「状況、オールクリア。こちらは全て完了した。他はどうなっている?」


『大きな問題はない。……今、報告があった。全部隊作戦終了だ。帰投せよ』


「帰投というか、基地の内部の出来事なんだがな」


『この後は糞ったれの清掃作業が待っている。早く戻れ。そして防護服に着替えて改めて掃除だ』


「アルファチーム、了解――っと」


 無線を切りながら、金髪碧眼の偉丈夫が辺りを見回す。

 辺りにはほぼ原形を留めていない死体の山が散乱し、床を真っ赤に染め上げている。

 猟奇的スプラッターな光景ではあるが、原型を留めていないのがせめてもの救いか。

 中には、男の見知った人間もいたはずなのだから。


「これで……良かったんですかね?」


 男の隣に立っていた茶髪碧眼の男がそう呟く。

 彼の脇には自動小銃が下げられ、その震動がまだ指先にでも残っているのか、彼の指先は震えたままだ。

 そして、その震えは自動小銃によるものだけではないことを金髪碧眼のアルファチームリーダーは知っていた。


「こうする他無かった。他にどうしろって言うんだ……」


「ですが! 中には俺たちの仲間だって――」


「傷を付けられたが最後、伝染病に感染したかのように人間がモンスターになっちまう状況だったんだぞ! ここで殲滅しなければ、この島国が滅んでいた事も十分考えられる! バイオハザードな世界なんて、お前だって真っ平御免だろうが!」


 呼称『ワイト』と呼ばれるモンスターが横須賀の米軍基地に現れたのは唐突であった。

 当初、そのモンスターの存在に気付くのが遅れた為に、大勢の人間がワイトに噛まれ、同じモンスターのワイトへと変化してしまったのである。

 そんなワイトの存在に気付いた米軍は横須賀基地の全ての出入り口を封鎖し、ワイトの基地外への逃走を阻止。

 そのまま殲滅作戦を開始したのである。

 幸いにも武器は潤沢にあった為、遠距離からワイトとなった人間たちを制圧し、ワイト発生より凡そ二日の日数を掛けて、その作戦を完遂したのであった。


「そりゃ、そうですけど……」


「いや、俺も言い過ぎた。スマン。とりあえず急ごう。いつまでもこの状況にしておくわけにもいかないからな……。血の臭いに誘われて違うモンスターが来ないとも限らないだろうし……」


「分かりました。けど……」


「けど? 何だ?」


「何体か海に落ちた奴もいましたよね? アイツらは放っておいても良いんですか?」


「放っておいても魚の餌だろ。もしくはぶよぶよの水死体になるか。どちらになろうが、俺達の脅威じゃないってのが上の判断だろう。とにかく急ぐぞ。防護服に着替えたら、今度は俺たちのやった事の後始末をしなくちゃならないんだからな……」


 アルファチームリーダーが憂鬱そうにそう言って話を打ち切るが、海に落ちたワイトの一体が海流の流れに乗って沿岸部を漂い、そして三崎口方面に辿り着こうなどとは――……この時は誰も予想だにしていなかったのである。


 ★


「……ペロ? チビ?」


 大道寺が装備を整えて広い庭に出ると、庭で吠えていたはずの犬二頭の姿がない。

 二頭の犬は小型犬という事もあり、鉄格子の門を無理矢理潜り抜けようと思えば潜り抜けられるサイズをしていた。

 もしかしたら、今回も平時と同じように脱走して外にまで出ているのかもしれない――そう考えた大道寺は静かに耳を澄ます。


「御主人様、塀の外からペロちゃんとチビちゃんの鳴き声が……」


「あぁ! 僕にも聞こえたよ! 全く無茶な事をする仔犬ちゃんだ!」


 ちなみにペロとチビは小型犬なだけで、既に成人している事は付け加えておく。


 そんなペロとチビは元気に吠えていたかと思うと急に甲高い声を出して押し黙ってしまう。その異様な雰囲気に大道寺は思わず喉を鳴らす。


「ペロ……? チビ……?」


 嫌な予感を覚えながらも、大道寺が恐る恐ると門を開けようと近付くと――。


「ヴァウ! ヴァウ! ヴァウ! ギイイーーー!」

「ヴァウ! ヴァウ! ヴァウ! ガアアーーー!」


 頭から血を流した小型犬二頭が門となっている鉄格子の隙間から無理矢理体を捻じ込んで、ガチガチと大道寺を狙って顎を鳴らしてくるではないか。


「ペロ!? チビ!?」


 まるで狂犬病のように正気を失ってしまったかのような二頭は、自分の体の皮膚が鉄格子によってこそぎ落される事さえも厭わない様子で、自分の体を鉄格子の隙間に捩じ込んできていた。

 少し向きを変えれば簡単に出入り出来るはずなのだが、それすらも惜しいというように暴れる二頭は、毛皮に覆われた体の肉を引き千切りながらも庭の中へと入り込もうとしてくる。

 血塗れな上に、自傷行為すら厭わない様子の子犬二頭の様子に、大道寺の様子を見守りに来ていたメイドの数人がヒッと息を呑む音が聞こえた。


「この様子、尋常じゃないぞ! くっ、戦えない者は家の中に退避するんだ!」


 普段は温厚だった子犬二頭の豹変ぶりに、大道寺が取り乱している間にも二頭はほぼ同時に鉄格子の間を抜けてくる。

 その体は鉄格子に削り取られ、全身から血を垂れ流し、随分と痛々しい様子へと変貌していた。

 それでも、傷を感じさせない俊敏な動きで、先頭に立つ大道寺を目掛けて襲い掛かってくる。

 涎にまみれた顎を開き、鋭い犬歯を覗かせた口腔が大道寺に迫る。


「ペロ! チビ! すまん!」


 謝りながらも、大道寺は道をたがえない。

 守るべきはおかしくなった飼い犬たちではなく、恐怖に身動ぎ出来ないメイドたちだという事だ。

 剣鉈を抜き、素早く横手に回りながら一閃。

 その一撃で首を飛ばされたヨークシャーテリアの胴体がボトリと地面に落ちる。

 だが、襲い掛かってきたのは二頭だ。

 もう一頭の正気を失くしたポメラニアンは大道寺の脇を通り抜け、逃げようとするメイドの一人に噛みつこうとし――、


 ――その姿が突如として、その場から消え失せる。


「え? あ? え?」


 メイドたちが混乱しているが、混乱しているのは大道寺も同じだ。

 まるで存在自体がその場から消失したような動きであったが、そんな事象が唐突に生じるとも思えない。

 何かタネがあると感じる大道寺ではあったが、それを気にするよりも早くメイドが次の不穏に気が付く。


「ご、御主人様! 門、門を見てください!」


「くっ、これは……!」


 そこには鉄格子に食い込む程に体を密着させ、鉄格子をひしゃげさせる勢いで集った血だらけの若い男たちの姿があった。


 ★


「テテテー……、テテテ、テテテテ、テテテー……」


 大道寺家の家の屋根に上った嬢の口から漏れ出てきたのは、どこかで聞いたことのあるテレビ番組のイントロであった。

 それはかなり前に流行ったテレビドラマで、法で裁けない悪を二束三文の金で斬って捨てる痛快時代劇の悪を誅殺するシーンでのメインテーマ曲であったはずだ。

 そんな嬢を半眼で眺める大竹丸の前で、嬢は既に戦場を全て把握しているのか、慌てた様子もなく口で三味線の弦よろしく糸を引き伸ばし、ギィっという効果音を漏らしている。

 地味に再現が細かい。


「何で、お主がそれを知っとるんじゃ……」


 大竹丸がそう問うと、


「ノワールにゲーム機とDVD貸して貰った。……死ぬほど嬉しい」


 ゲーム機の中には記憶媒体を再生する装置が組み込まれている物もある。どうやら、それで鑑賞していたようだ。

 だが、その言葉に大竹丸は疑問を覚える。


「御主の目は見えぬのではないのか?」


「目を凝らして頑張って見た。……死ぬほど楽しかった」

 

 どうやら、嬢の目は弱視らしい。

 完全に見えないというわけではないようだ。

 そして、それを差し置いて頑張って見てしまう程に、その時代劇にはドハマリしていたらしい。


 メイドに犬が襲い掛かるのを見るなり糸を飛ばして、その犬の首に糸を引っ掛けると、庭に生えていた大きな木の上へと吊り上げてしまう。

 あまりの早業に、嬢の速度に追い付けていけない者には消えたように見えた事だろう。


「また、詰まらぬものを吊ってしまった……」


「混ざってるからのう……?」


 張った糸をピンっと弾くと、犬は息絶えたのかガクンとその場で力を失くしてしまう。

 まさに原作再現の間違った力の入れように大竹丸は唸るしかない。

 そんなこんなをしている間に、血だらけ姿の若者たちが門を、塀を乗り越えて庭に入り込んできてしまう。

 庭を照らす街灯が若者たちの顔を照らす中、大竹丸は「あっ」と声を上げる。

 庭に入り込んできたのが、昼間にバイクで大竹丸たちを囲んできた者たちだったからだ。

 お礼参り――というには、どこか正体がない様子でふらふらと動いたり、かと思ったら大道寺の姿を見つけると一斉に走り出す姿は、どこか操り人形のようでもあった。

 だが、そんな走り出す若者たちの背後の壁に急に穴が開き、鱗だらけの……それこそ竜を思わせる……巨大な腕が伸びてきて、若者の首ねっこを掴むと――、


 ――ごきんっと頸椎の骨を外す。


 襲ってきた若者は即死である。


「もしかして、アスカも同じ時代劇を見ておらんかったかのう?」


「暗いシーンが多いから、良く見えないシーンはアスカに解説させていた。……死ぬほどハマってた」


「どこかで見たような殺し方じゃと思ったんじゃよなー!」


 半ば投げやりになりながらも、大竹丸は自分の指先を嚙み切って血を出すと、そろりと血の線を伸ばしていく。

 時代劇にハマっていた二人ばかりに活躍させてはいられない。

 大竹丸も活躍せねばという所で待ったが掛かる。


「三味線と被らない殺し方で殺して欲しい。……じゃなければ死んで」


 嬢の無茶振りである。

 当然、大竹丸は抵抗の姿勢を見せる――、


「何で、妾までそのパターンに合わせねばならぬのじゃ!?」


「…………」


「くっ……!」


 ――が、結局嬢の無言の圧力に負けたのか、血をかんざしの形に変えると、屋根の上から飛び降りて闇夜に紛れる。

 そして、闇夜から闇夜へと隠れ、大道寺の手が届かないだろう場所で暴れようとしていた血だらけの若者のの頸椎に血の簪を刺しては倒して回るのであった。

 どうやら、大竹丸は何だかんだで他人の期待には応えてしまうタイプらしい。

 さくっと仕事を終えた後で屋根の上に戻ってきた大竹丸であったが、


「簪を構え直す時のシャラって音が無かった。……死ねば?」


 嬢から厳しい駄目出しをされて、密かに拳を震わせるのであった。

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