第140話 鬼、そうだ〇〇へ行こうとせんとす。

 降り落ちる光の粒子の中、髪を靡かせて歩きながら――、


「大通連、小通連」


 ――小さく呟いてみるが、その両手に大竹丸が愛用する二刀は現れない。


「ふむ。状況は変わらずと……。では、これは一体どういうことなのかのう?」


 大竹丸はジャージの中に隠し持っていた百鬼夜行帳を取り出して、その整った眉目を歪める。

 何故か風間が隠れ潜んでいた地下室にいる時に、ポトリと床に落ちた百鬼夜行帳――。百鬼夜行帳を呼び出せたということは、神通力が元に戻ったのかと思っていたのだが、地上に上がってみて大通連、小通連を呼び出してもうんともすんとも言わない。

 その原因が分からず、大竹丸も渋い顔となってしまうのであろう。

 ブツブツと呟きながら、腕を組む。


「何か条件があるのかのう……?」


「一席!」


 大竹丸が困っていると、そこに聞き覚えのある声が響く。

 関東一の探索者集団蒼き星ブルースフィアのリーダーである青木だ。

 彼は近付いてくるなり、何はなくともまず頭を下げてきた。


「助かりました! 危うくもう少しで犠牲者が出るところでした!」


「何、助かったのはこちらの方じゃ。妾の無茶な要請に応えてくれて感謝するぞ」


「っていうか、一席もあんなデカブツが相手だって言うのなら、ちゃんと言っといて下さいよ……。正直、青木がいきなりぶちかまさなきゃ、俺たちなんてビビッて動けなかったんすから……」


 後頭部を掻きながら、そう言って現れたのは赤川だ。


 とはいえ、電話で応援を頼んだ際には黒竜との戦いになると予想していなかっただけに、大竹丸の顔には苦笑いしか浮かばない。


「すまんのう。妾もこんな大事になるとは予想だにしておらなんだ。お主等を呼んだのは別の一件の為じゃったのじゃが……そちらも何とかなってしまったから、もしかしたら呼ぶ必要が無かったのかもしれぬのう……」


「呼ばれ損の上に死に掛けるとか洒落になってねぇんですけど」


「そういえば、一席、確か指名手配とかされてませんでしたっけ?」


「その辺は、色々と手違いがあってのう」


 大竹丸がそう告げた瞬間であった。


 地面を覆っていたアスファルトが大きく飛散し、地下から何かが飛び出してくる。周囲にいた探索者たちは新手のモンスターかと、思わず身構えるが大竹丸は弛緩した表情のままで片手を上げる。


「遅かったのう」


「竜の動きを止めた上で地下空間にいる全員を拾い上げて登ってこいだなんて、無茶ぶりも良いとこ……死にたい……」


「はっはっは、私はむしろあの面倒臭い黒竜が消えてくれて、非常に気分が晴れやかですよ。はっはっは」


 アスファルトを割って現れたのは、二人の女だ。

 一人は背が低く、長い髪の毛を頭頂部でまとめ上げたポニーテールを揺らす、何処を見ているのか分からない盲目の少女。

 もう一人はチャイナドレスを着たコメカミに角のある黒髪の美女である。

 そして、その二人は地上に出るなり、大竹丸を見つけると蜘蛛糸でぐるぐる巻きになった人型の何かを幾つも大竹丸の前に転がす。

 それは、まるで木乃伊のバーゲンセールのようでもあり、蚕繭で人型を作ったようにも見える、何とも形容し難い姿をした代物であった。

 そんな人型のひとつひとつからは、中身が無事であることを示すかのように低い呻き声が聞こえてくる。


「はい、約束の奴。生きてるか、死んでるかは知らない。むしろ、死ねばいいのに……クヒヒ」


「相変わらず、暗鬱としておるのう……。して、首尾は上々で良いんじゃろうな? 嬢よ」


 大竹丸の問いに応えはせずに、引き摺っていた蜘蛛糸をくいっと引っ張って、葛城嬢かつらぎのじょうはニヤリと不気味な笑みを浮かべてみせる。


「死なない程度には生きてるよ……。残念ながらね……クヒヒ」


「あのー、すみません、嬢さん。俺、一席じゃないっす」


 何故か不気味な笑顔を向けられた赤川が及び腰になる中、嬢はすっと表情を戻すと何事も無かったかのように素知らぬ顔で明後日の方を向く。


「知ってた……。クソ……死にたい……」


「後半の方、もっと大きな声で言ってくれませんかねぇ!?」


 とんだとばっちりを受けたとばかりに赤川が叫ぶ中、大竹丸はほぼ人型の蚕の繭と化した物体からか細い声が聞こえてくるのを聞いていた。


「大鬼様ぁ……、そろそろここから出してくれねぇかい……」


「何で新ちゃんまで巻き込んでおるんじゃ?」


「嬢さんが、そっちの方が一緒くたに出来て楽だからと言ってましたけど?」


「ふむ、黒竜が暴れて地下が崩落しそうになっておったから、慌てて指示を出したのじゃが……雑な仕事をするのう」


 伊勢の声が漏れた繭に竜の血の残りで作った短剣をあてがいながら、その繭を切り裂いていく大竹丸。

 そして、それを一人でやるのも手間と考えたのか、大竹丸は周囲の探索者にも声を掛け、手伝ってもらって繭を一つずつ裂いていく。


 そんな人々の作業をどこを見ているかも分からない瞳で見ていた嬢は、ポツリと――、


「面倒そうだね。何だったら糸の拘束を解こうか?」


「!? 出来るなら最初からやらぬかッ!」


「怒鳴られた……。死にたい……」


 嬢の全然届いていない気配りの結果に、大竹丸はプリプリと怒りながら血で出来た短剣を解除するのであった。


 ★


「……蜘蛛に捕食される蝶の気分ってのはこんなものなのかねぇ。食われるかと思ったぜ」


 人々を守っていた繭型の個人シェルターが解除されたところで、解放された伊勢が最初に放った一言がこれだ。

 繭から解放された人々は多かれ少なかれ同じような感想を持ったようで、恐ろしいものを見るような目で嬢を見つめている。

 だが、そんな感想とは真逆の感想を抱く者もいたようだ。


「あぁ、最高級シルクの肌触りが~……」


「絹いいなぁ……。寝具だけでも絹に変えようかなぁ……」


「お蚕様って尊いよね……」


「いや、土蜘蛛なんじゃが……」


 糸が吐ければ、蚕でも蜘蛛でも彼らにとっては同じものらしい。

 大竹丸が半眼になる中で、大竹丸の姿に気付いた自衛隊員の幾人かが動こうとするが、それを遮るようにして風間統合幕僚長が一歩、人々の前へと歩み出る。


「諸君、私は風間統合幕僚長である。私の命に従って、第一席を捕えようとしているのであれば、その命令を今この場で撤回する。だから、武器をしまい給え」


 銃を構えようとしていた自衛隊員たちは、その言葉を聞いて一瞬訝しげな表情をしてみせていた。

 恐らくは、直属の上司の命令と統合幕僚長という自衛隊のトップからの命令と、どちらに従うべきなのか逡巡したのだろう。

 だが、結局は長い物には巻かれろということか――警戒はしながらも、風間の言葉に従って武器を収める姿勢をみせる。

 そんな光景を若干の安堵を覚えながら臨む大竹丸であるが、嬢は不満げな表情を隠しもしなかった。


「何? 大竹丸、お尋ね者になっていたの? だったら、そのまま捕まって死刑にでもなれば良いのに……」


「……お主、本当に妾の味方か?」


「機会があれば裏切ってやろうと思っている味方だよ。……最高のタイミングで脾腹を刺してやるから。……クヒヒ」


「えっ……。嬢先輩とマスターってそういう関係なんですか……」


 嬢と大竹丸の会話を聞いていたらしいチャイナドレス姿の美女――アスカがドン引きしたような声で後退る。

 だが、嬢は心得たものなのか、ニヤリと不気味な笑みを浮かべると――、


「手を取って仲良しこよしで一丸となって頑張ろうなんていうのが、私は死ぬほど嫌い……。仲間だけど、相手にいつ殺されるか分からない……それぐらいの緊張感があった方が楽しいんだよ……。まぁ、コイツは殺しても死なないような奴だから憎さ倍増なんだけど……。死ねば良いのに……」


 凄まじくダルそうに嬢はそう告げる。


 ちなみに現在の大竹丸の状況は、殺しに掛かられたら殺されかねないような状況だ。

 なので、わざわざそんな苦境の状況を嬢に説明する気もない。

 それを説明したが最後、嬢は嬉々として大竹丸に襲い掛かってくるであろう。


(ふむ、変な秘密を抱え込むようになったしまったのう……)


 大竹丸が内心で冷や冷やしていると、風間と伊勢がやってきて大竹丸に声を掛ける。


「大鬼様、風間統合幕僚長と話し合ったんだが、やっぱ全国的に公認探索者たちの指名手配が出回るのはマズイって事と、オイラの勝手な辞任劇も撤回しなきゃならねぇってんで、これからちと色々な調整に追われそうなんだわ。だから、これ以上は一緒に行けそうにねぇ」


「分かっておる。新ちゃんには、新ちゃんの役目がある。そして、妾には妾の役目もある。……そうじゃ、青木!」


「え? あ、はい。何ですか、一席?」


「お主、ちょっと新ちゃんを手伝ってくれぬか?」


「え? 手伝うって……」


 絶句する青木だが、こんな世の中になったからこそ、逆に腕利きの探索者の価値が上がっていることに彼は気付いていないようだ。

 大学生ながらに、内閣総理大臣と接点が持てるとは思っていなかったようで、その顔が面白い程に強張っている。


「この状況下じゃ、日を追うごとに町を出歩くのも、町の秩序を守るのも困難になっていくはずじゃ。そういうのを何とかしようと新ちゃんたちが動いてくれるはずじゃから実働部隊として手伝ってはくれぬか?」


「そういう事でしたら吝かではないですけど――」


「ちょーっと待ったぁぁぁ!」


 青木が何も考えずに頷こうとしたのだが、それを静止したのは赤川だ。

 彼は青木と無理矢理肩を組むと、小声で耳打ちする。


「おいおい、俺たちはボランティア活動で探索者やっているわけじゃねぇんだぞ? ここは盛大に報酬とか要求する場面じゃねぇの?」


「いや、モンスターが溢れるようになって困っている人が大勢いるんだぞ? 今はお金とかの話は後にして、町の……いや、国の治安を守る方が先じゃないか?」


「かぁ~~~っ、そうやって稼げる時に稼いどかねぇと緑川ちゃんに逃げられちまうぞ!」


「何で、そこで緑川が出るんだよ……」


「ふむ。報酬の話か。それじゃったら、新ちゃんがきっちり用意してくれるじゃろ。なぁ、新ちゃん?」


「「…………」」


 赤川の声が大き過ぎたのか、それとも大竹丸の耳が良かったのか、どうやら内緒話の中身は筒抜けだったようだ。青木と赤川は揃って表情を強張らせる。


「そうだなぁ。確かに今は少しでも人手が欲しい状況だ。自衛隊も頑張ってくれてはいるが、ダンジョンにはダンジョンのルールってものがある。自衛隊員全員がダンジョンに潜って活動しているってわけでもねぇしな。今はまだ近代武器で対抗出来ているが、いつそういうのが通じないモンスターが出てくるのか分からねぇ状況……。そう考えると、腕利きの探索者たちと契約が結べる機会ってのはありがてぇかもしれねぇな。――おっし、一応連絡先を教えてくれ。これから主要な連中を集めて会議する予定だが、そこに予算を捻じ込んでみるわ。上手く特別探索者雇用臨時法案が決まったのなら連絡するから、手ぇ貸してくれねぇか?」


「あ、は、はいっ! もちろん、喜んで!」


 伊勢と青木がガッチリと握手を交わす。

 これで暫くの間は関東圏の治安も持ち直すのではないか――そんな事を思わせる一幕であった。

 そんな光景を眺めながら、大竹丸はひとしきり頷くとやおら口を開く。


「まぁ、新ちゃんは新ちゃんでやることをやっている間に、妾は妾でやることをやるとしようかのう」


「って、大鬼様はこれからどうするつもりだい?」


「モンスター討伐の全国行脚……と言いたいところじゃが、折角わざわざ尻尾をチラつかせてくれているのじゃ。――行くしかないじゃろ?」


「行くって、何処へ?」


「確か、妾を嵌めた件の手紙には消印が付いていたと記憶しておるが?」


「そうか……。大阪……」


 伊勢の言葉を受け、大竹丸はニヤリとその笑みを深くするのであった。

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