第139話 鬼、変わった現実をしみじみと思わんとす。

「何だい、コイツぁ……」


 大竹丸が見ていた画面を覗き込んで、そこに映っていたものを見たのだろう。

 伊勢が呆然とした表情で告げる。

 

 当然だ。


 自分が今居る建物の前に巨大な黒竜が降り立っていれば、誰だってこうなることだろう。


 だが、問題はそこではない。


「桜島ダンジョンのダンジョンマスターがコヤツと組んで襲ってこようとしておったのう……。しかし、その後、妾たちはダンジョンデュエルによって外に弾き出され、桜島ダンジョンは消失した――じゃから、コヤツも死んだと思っておったが、生きておったのか……」


 そう。もはや相見えることがないと思っていた存在と邂逅したことである。


「ダンジョンが消滅しても、モンスターが生きているってことはあるんですか?」


 甲斐が意外だという表情をしてみせるが、大竹丸にはそういったモンスターの心当たりがあった。


 そう、不死王や不死鳥などである。


 彼らはダンジョンが潰れたとしても、普通に大竹丸の配下として現在も存在し続けている。

 だから、ダンジョンが消滅したとしても生き残るモンスターという例外もいるのだろう。

 いや、そう結論付けるのは早計か。

 彼らは大竹丸によって百鬼夜行帳に登録されたモンスターたちだ。

 いわゆる、ダンジョンとの縁を切って、大竹丸の配下として新たに縁を上書きした存在に近い。

 だからこそ、普通のダンジョン産のモンスターと同じと考えるのは難しい。


 ならば、この黒竜はどうだ。


 桜島ダンジョンとの縁が切れたにも関わらず、こうしてこんな場所に平気で出向いてくるというのは一体どういったカラクリなのか。

 そこまで考えたところで、大竹丸はふと先程までの自分の考えを思い出す。


「百鬼夜行帳……?」


 まさか、相手も百鬼夜行帳を使って、それに黒竜を封じたのか――。

 そう、大竹丸が言おうとしたところで、何も無かった空間からパサリと何かが現れては落ちる。


 それは、古めかしい一冊の草子であった。


 ★


 聳え立つビル群の合間に降り立った黒竜ハルトは憤懣遣る方ないとばかりに荒い鼻息を噴き出す。


 モンスターが蔓延り始めた世の中になっても、外を出歩くような強者はいる。

 だが、そんな強者でさえも、その黒竜の姿を見てしまっては抗う意志を奪われたのか、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。

 それがまた不満で、黒竜はどしんっと尻尾で道路を打ち据える。

 それだけで、アスファルトに皹が入り、細かな破片が砕け散っていた。


『何故、我がこんな小間使いのような真似を……』


 新たな黒竜のマスターは人使い……いや、竜使いが荒かった。


 前までは、ほぼダンジョンデュエルで活躍していれば、他の時は何もせずとも怠惰に過ごしていて良かったのだ。いや、それが許される環境だったというべきか。

 だが、現在の状況は黒竜に様々な細事が回ってくるような状況――。

 それだけ、彼の希少性だとか、戦力としての重要性が下がっているということなのだろう。


 それだけ、彼の仕える主の戦力は充実しているように見えた。


 黒竜がおつかいに出されてしまう程に。


 ――と、黒竜は勝手に思っている。


 だが、実際は黒竜はそこまで軽視されていない。

 単騎で突き進んでも不安のない戦闘力に、高速で広範囲に移動できる機動力、そして任務を理解して忠実に実行できる頭脳。

 実に使い勝手の良い駒なだけに重宝されているのだということに黒竜は気付いていない。


 その辺は、ブラックな会社で懸命に頑張る出来る社員と同じといったところか。

 出来るから次々に仕事がふられるのだが、本人はその業務をこなす事に懸命で自分の重要性に気付いていない。そして、周りも改めて本人にそういった事を言う事は無い環境であれば猶更だ。


 兎角、黒竜は不満げに指定のあったビルの地下を睨む。


『確か、此処の地下にいる者共を根絶やしにすれば良いのだな……』


 一瞬、ブレスで周囲一帯を融解させてやろうかとも思った黒竜だったが、溶けたアスファルトが自分の鱗に引っ付く光景を思って、頭を横に振る。


 前に一度それをやって、後々に鱗からアスファルトを除去するのに主の手を借りたことがあるのだ。

 その時は散々に文句を言われた為、同じ愚は犯すまいと黒竜は片腕を持ち上げる。

 ブレスが使えなくとも、黒竜には超質量を誇る自慢の肉体がある。

 しかも、強固な鱗はどんな硬い物質であろうとも簡単に削り取ってしまう。

 だから、地下施設を一掃するだけならば、ブレスなどといった大袈裟な攻撃手段は無くても良いのだ。


『さっさと終わらせて、帰って食事といきたいものだ……』


 黒竜がやる気もなく、そんな風に腕を振り下ろそうとした瞬間――、


「【神鳴速】――ッ!」


 振り下ろそうとした右腕に衝撃が走り、黒竜の右腕が僅かばかり跳ね上げられ、そしてその右腕に痺れが走る。

 桜島ダンジョンの命運を決めた戦い以降、一切感じていなかった痛みというものを思い起こさせる一撃に黒竜は思わず目を向ける。


『ぬぅっ! 何だあの白い稲妻は!』


 黒竜の腕を弾いた白い稲妻は、空中でその光を減じ、一人の青年の姿へと変貌する。どうやら、人が化けていた姿らしいと黒竜が気付いた時には、男は長大な剣をまるでライフル銃のように持ち、切っ先の代わりにあるであろう大穴を黒竜に向けていた。


 黒竜の第六感が警鐘を鳴らす。


 だが、それが何なのかを気付かせるよりも早く、男は空中で姿勢を整えながらその一撃を放つ。


「【蒼き魂の慟哭シェリキング・オブ・ブルーソウル】、発射ファイア!」


 次の瞬間、白い真っ直ぐな稲妻が男より発せられ、黒竜は咄嗟に身を反らす。

 白い稲妻は黒竜の鱗を砕き、皮膚を削り、そして黒竜の片目に飛び込もうとして、その弾道が逸れていく。

 だが、瞼の上を削り取られた黒竜はその痛みに思わず呻いて、その場に倒れ込む。

 削り取られた部分からバッと血が噴き出し、黒竜の鱗を紅くてらてらと濡らす。


『ぐぉぉぉぉ……!』


 まるで地獄に棲む亡者のような声を出しながら身悶える黒竜を見下ろしながら、何とか足からの着地に成功した男。

 彼は荒い息を吐き出しながら、その先制攻撃の結果に悪態を吐く。


「くっ! 仕留め損ねた!」


 そう叫んだのは新宿ダンジョンの英雄こと、蒼き星ブルースフィアのリーダーである青木である。

 そのすぐ近くには、身を潜めていたのであろう探索者たちがわらわらと姿を現す。


「ってか、一席が俺たちに応援を頼んでくるなんて言うから、何かおかしいと思ったんだよ! 何だよ、このバケモンは! こんなのと戦えっていうのかよ! ゲームのレイド戦と勘違いしてるんじゃねぇのか、あの人!」


 愚痴なのか、文句なのか、怒鳴り散らしながら近付いてくるのは赤川だ。

 顔を真っ赤にしながら激昂しているが、それが本気でないことは青木も分かっている。


「何にせよ、俺たちは一席に借りがあるんだ。呼ばれたら来ないわけにはいかないだろう?」


「そりゃそうだが……。はぁ、緑川と熊田を置いてきて正解だったぜ。こんなのどう考えてもヤバイだろ」


「大丈夫だ。あの時に比べたら……な」


 新宿ダンジョンの深部で猫の化け物に襲われた時のことを思えば、大体の恐怖には打ち克つことが出来る。それは赤川も同じだったのか、「まぁな」と小さく同意するのみだ。


「おう、英雄! どうするんだ! まだ生きてるみたいだぞ!」


 そう声を掛けてきたのは、日頃から青木たちがダンジョン探索で付き合いのある探索者たちである。

 新宿ダンジョンでの事件での活躍や、渋谷ダンジョンの事件での活躍もあり、今や蒼き星のメンバーは押しも押されぬ関東一帯のトップ探索者となっていた。そんな蒼き星の声に応えて多くの探索者たちが協力しに現れたのだ。

 その目的は、公認探索者第一席……つまり、大竹丸に対しての助力。

 彼女が新宿ダンジョンでの事件で活躍しており、その事を恩義に思っている探索者も多いのである。


「どうする……たって。やるしかねぇんだよな?」


「あぁ、本当なら不意打ち気味に一撃で仕留められれば良かったんだがな。こうなったら、粘るしかないだろう」


「粘ってどうにかなるのか? どうにかなるような化け物には――」


 青木の言葉に不審げに返す探索者の声を遮って、耳を劈くような黒竜の叫び声が響き、黒竜が即座に身を起こす。


『貴様ら……、良くも我の顔に……!』


 跳ね起きた黒竜の巨体は、その場に集まっていた者たちに無言の圧力を与えた。

 大きいという事はそれだけで相手に威圧感をあたえるものだ。

 そして、その威圧感に竦んで動けなくなる者も大勢いる。

 そこを狙い澄ましたかのように、黒竜の尻尾が動く。

 まるで水辺を動く蛇のように、独立した動きで迫る長い尻尾は探索者たちを打ち据えようとして――、


「破ァ――ッ!」


 赤川の気合一閃。


 まるで何か見えない力に弾かれたかのように、尻尾の軌道が変化する。


 だが、先の一撃を受けたことで、黒竜の中に油断をする気持ちが少なくなっていたのが災いしたか。


 弾かれた尻尾の軌道は空振ることなく、探索者たちを打ち据えようと、更に軌道を変えて迫ってくる。


「やべぇ。重すぎて弾き切れねぇ……」


 赤川が絶望に顔色を染める中、黒竜の尾はまるでダンプカーが突っ込んでくるような勢いで突っ込んできて――……その尾の動きが突如として止まる。

 当たってもいないのに、ぎゃっと短い悲鳴を漏らす探索者たちが多い中、青木は何かが黒竜の体に巻き付いていることに気付いていた。


「何だ……? 糸……?」


 そう呟いた次の瞬間、黒竜の巨体がボゴンッとアスファルトの中に沈み込む。

 恐らくは下水道などの地下空洞を利用して黒竜をそこに落とし込んだのであろうが、それにしても黒竜の巨体をあの細い糸で拘束するとは並大抵の力ではない。

 そして、地下空間に落とし込まれた黒竜と入れ代わりにして地上へと上がってきたのは、真っ黒なジャージを着た黒髪の少女だ。


「良い感じで血を流しておるな」


『お、前は……、S級の……!?』


 糸に拘束されて苦しいのか、黒竜が息も絶え絶えといった様子で言葉を紡ぐ中、その少女――……大竹丸を見る。

 そんな中、大竹丸は軽々と黒竜の目元付近にまで上ってくると、その傷口に無造作に手を突っ込んでいた。


『そうか、お前を殺す為に我は……』


 何が小間使いだ――とんだ勘違いをしたものであった、と黒竜が反省するよりも早く、大竹丸は厳かに言い放つ。


「終いじゃ」


 血液の針が黒竜の体の内部を毬栗のように刺し貫く。

 貫く力に強い抵抗を感じるのは、竜という種の強大な生命力ゆえか。

 だが、暴れようとしても、体を拘束する糸が切れない。

 そのまま、大竹丸は精神を集中するようにして、一気に黒竜の中の血を動かす。細く、圧縮し、更に捻りを加えていく。その結果――、


 ブシャアアアアァァァァッ!


 次の瞬間には黒竜の体の内側を突き破って、血で出来た針山が外へと飛び出していた。

 血の噴水が黒竜の体のあちらこちらから噴き出す中で、大竹丸は片手を引き抜き、【血流操作】を使って自分の腕に付着した血液を空中に吹き飛ばす。

 それと同時に黒竜の目から光が無くなり、その体が光の粒子となって中空に溶けていく。


「……強者といえど、隙を突かれれば一瞬で命を落とす。ゲームのようでありながら、現実に沿う。まことに不思議な世となったものじゃ」


 そう呟く言葉は黒竜に対する手向けか。

 光の粒子に纏わり付かれながらも、大竹丸はゆっくりと地面へと着地するのであった。 

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