第138話 鬼、呆然とす。

「うぐっ……、此処は……?」


「ようやく目覚めたかい? 風間統合幕僚長殿?」


「伊勢、総理……?」


「元総理、なんだろ? 今はよ」


 失血によって失神していた風間統合幕僚長を大竹丸の【血流操作】によって造血させ、意識を取り戻させるために三十分。

 今は風間統合幕僚長が潜んでいた部屋の中に、大竹丸たちが潜んでいる形だ。

 金庫型の扉は閉められ、自動ロックが掛かっているが、その辺は風間統合幕僚長の指紋認証で開くのは確認済みで、それ以外でのロックの外し方は限られた手段でしか開かないはずであった。


 要するに、現状、引き籠るのには此処が最適の場所ということなのである。

 そこに血の縄でぐるぐる巻きに縛られた風間統合幕僚長が椅子に座らされているのが現在の状況である。


 まるで、押し入り強盗とその被害者といった構図だが、実情は冤罪を掛けた者と掛けられた者という構図なのだから、真逆といっても差し支えはないだろう。


 そんな風間統合幕僚長に向かい合うのは、伊勢新一郎であった。


「なぁ、風間君よぉ。オイラ、一生懸命考えてみたんだけど、どうしても分からねぇんだわ。……何でこんな事したんだ? 日本が、世界が、危機の時によぉ……。わざわざ国を混乱させるようなことをする意味があったのかね? オイラはそれがどうしても分からねぇから、こんな所にまで来ちまったんだぜ? なぁ、教えてくれねぇか? 何でこんな事をした?」


 政治家は腹芸が出来なければ務まらないような職業であるが、伊勢はそういったものが苦手な政治家であった。

 馬鹿正直に、真っ直ぐに、だが、ただ真っすぐに進んでいたのでは、それは百戦錬磨の政治家の食い物になるだけだ。

 だから、彼が身に付けてきたのは『威圧』といったものである。

 何となく気圧される、緊張する、話さなければという気分にさせられる――言い換えるなら、人としての格とも言うべきものを身に付けてきたのだ。

 それは、若かりし頃、大竹丸という稀有な存在と出会い、神通力といった非凡な力を身に付けたことも関係があるだろう。

 だが、彼の政治家人生が順風満帆とは言い難い、逆境の連続であったからこそ身に付いた技能であるとも言えた。

 そんな威圧に押されながらも、風間統合幕僚長も負けじと伊勢を強く睨み返す。

 彼もまた自衛隊の頂点に座る男である。

 政治屋風情に屈したりはしないという意地があるのだろう。


「「…………」」


 無言の睨み合いは一体いつまで続いたのか。


 やがて、このままでは状況が変わらないと気付いたのか、風間統合幕僚長がぽつりと零す。


「――きっかけは、私にも一通の手紙が届いたことだ」


 その一言が引き金となったのか、風間統合幕僚長から滑り落ちるようにして言葉が続く。


「政府に届いたものとは違うものだった。そこには、モンスターが蔓延るようになる未来と、その未来から世界を救う方法が記載されていた」


「世界を救う方法だって?」


「大鬼様――……そう、大竹丸と呼ばれる少女を殺すことで、世界は救えると書いてあったんだ」


 伊勢は思わず大竹丸に視線を向けるが、大竹丸としては身に覚えのない話だ。

 軽く首を横に振って否定する。


「私だってその情報を鵜呑みにしたわけじゃない。だが、状況はどんどんと手紙に書かれていた通りになっていき、日本だけでなく、世界中が同じような状況になっていった。今はまだ自衛隊や探索者たちが何とかしてくれているが、これがもっと強いモンスターが出てきたらどうだ? 世界は一体どこまで耐えることが出来る? 人類は一体どこまで生き延びることが出来る? そんなことを考えていた……。そんな時――……」


 風間はどこか疲れた、目の焦点が合わない顔で肩を落とす。


「娘と孫がモンスターに襲われたと、連絡があった……」


「そいつは……」


「襲ってきたのはゴブリンで、近くにいた人々の手で何とか助け出されたらしいんだが……。今も病院のベッドの上で二人共意識不明の重体だ……。運が悪かったんだ……。たまたま目の前にゴブリンが現れて、逃げることも助けを呼ぶこともできなかった。そして、娘は孫を庇う為に自分の身を投げ出して、その結果、二人共に重症になった……。運が……、悪かったんだ……」


 風間統合幕僚長の眦から細い涙の雫が頬を伝う。


「それでも、二人はまだ生きている……。病院の先生だって諦めていない……。だけど、このままの状況が続いたら……? 強力なモンスターが街中を徘徊するようになったら……? 娘や孫のように被害に遭う人々が増えたら……? 娘たちが入院している病院をモンスターが襲ったら……? そう考えたら、私は――……、私は一縷の望みに懸けるしかなかったのだ……」


 風間統合幕僚長の言葉が震える。


 恐らくは、彼も大竹丸を殺したところで何も変わらないであろうことは分かっていたのかもしれない。

 だが、何かをしなければという気持ちが抑えきれなかったのだろう。

 大勢を救う為に一人を切り捨てるという決断は指導者の苦悩としては良くある話だ。

 そして、風間統合幕僚長もその決断を下した。

 だが、それは伊勢に言わせてみれば愚策に過ぎない決断に思えた。


「娘さんと御孫さんのことについては、正直同情する部分はあると思う――……だがよ、それに踊らされるのは違うだろうが。送られてきた手紙ひとつを信じ込んで、人……いや、鬼一人を殺そうってのはどうなんだよ?」


 伊勢の言う事はもっともだ。

 風間の立場は同情すべき部分もあるだろうが、大竹丸一人を殺したところで状況が変わる保証は何処にもない。

 むしろ、悪化するのではないかというのが伊勢の読みだ。


「というか、考えてもみろよ。手紙を送り付けた奴は、これからの世界にモンスターが蔓延る事を知ってやがった。むしろ、この手紙を送ってきた奴こそ、この世界にモンスターを蔓延らせた犯人じゃないかとオイラは睨んでる。そんな人間が殺して欲しいと書いてきた人間を殺しちまったら、それこそ向こうの思うつぼなんじゃねぇのかい?」


「だが……」


「むしろ、相手はこんな世界にしたっていうのに、要求も何も突き付けてくる気配がねぇ。テロリストやら政治犯なら喜んでやるところをだぜ? それがねぇって事は、相手の目的がんじゃねぇかとオイラは思っている」


「この世界にモンスターを溢れさせる事自体が目的だって……? だが、そんなことをして一体何になるというんだ……?」


「さぁな。理由まではオイラにも分からねぇよ。けど、要求がねぇってことは、この事態に満足してるってことだろ? つまり、大鬼様を殺したところでこの状況が変わる可能性は低いんじゃねぇかってことだ」


「この状況を作り出すこと自体が目的だった場合、確かに彼女を殺したところで、状況を戻すような事はしないだろうな……」


「可能性の話だがよ、オイラはそう思うぜ」


 言葉が途切れる。

 そんな間隙を縫って言葉を紡いだのは大竹丸であった。


「そもそも、妾を狙う動機が不明瞭じゃ。妾を殺して得をする人間なんぞ……おらぬのではないか?」


 言い方は悪いが、一番付き合いの長い田村家にとっては大竹丸は金蔓であり、大竹丸と利権を共有しているノワールに関しては大竹丸の分身体がいなければ、まともにアクティビティの経営が出来ない部分もある。

 だったら、他の公認探索者が大竹丸を蹴落とそうとしたのだろうか。

 ありえるとしたら、二席、四席あたりだが、二席は割と人畜無害な感じであり、四席のような直情系の馬鹿ではこんな作戦を立てることも難しいだろう。

 となってくると、正直、大竹丸には自身の命が狙われる可能性がこれっぽちも心当たりがなく、動機が不明瞭となるのであろう。


「そいつについては簡単だ」


 だが、伊勢は大竹丸が分からないとしている部分を簡単だと言う。


「大鬼様に、折角の混乱した世界を収めてもらいたくないのよ」


「ふむ」


 言われて、大竹丸も考え込む。


 確かに、全世界をモンスターだらけにしたい相手にとっては、探索者世界ランキング一位である大竹丸は鬱陶しい存在だろう。

 そんな大竹丸を排除する為に、事情を良く知らない第三者自衛隊を利用することで、大竹丸に実力を発揮させないように努めたり、そもそも大竹丸の神通力をピンポイントで封じにきていたりする。

 その事からも、相手が大竹丸を大いに恐れている事は明白だ。


「もしや、妾の事を良く知る相手か……?」


 ここまで大竹丸を恐れるということは、逆に大竹丸を良く知っている相手なのではと大竹丸は考える。

 でなくては、ここまで念入りに大竹丸潰しを行うとは考え難かったからだ。

 だが、そうだとしても、今の大竹丸にはその相手が何者なのか、見当がつかなかった。


「まぁ、何にせよ、妾たちは無関係じゃよ? じゃから、これ以上、妾たちを狙うのはやめてはくれぬか?」


 大竹丸が風間統合幕僚長にそう言うと、彼も少し考えた後で頷く。


「……分かった。確かに相手を利する行為である可能性がある以上、これ以上の追跡行為や武力行使は行わないようにする」


 風間統合幕僚長がそう宣言した瞬間である――。


「イヒヒヒ……。見ぃちゃった~、見ぃちゃった~。大将に報告だ~」


 突如として響く声に何事かと周囲を見回せば、天井を埋め尽くすように無数の目玉が見開いているではないか。


 怖気を醸し出す光景に伊勢や風間統合幕僚長や甲斐は鳥肌が立つのを止められなかったが、大竹丸だけは、ただ嫌そうに天井の光景を見上げていた。

 知った相手だったからだ。


目目連もくもくれんか? なるほどのう……」


「おっとぉ、流石は鈴鹿山の大鬼さんだぜ~。オレっちのことも知ってるようだなぁ~。いきなり退治されてはたまらん~。逃げろ逃げろ~」


 そう言うと、天井に貼り付いていた無数の目玉は溶けるようにして消えていく。

 何がなんだか分からないという顔を各々が貼り付ける中、一人、大竹丸だけが訳知り顔で頷いていた。


「妖怪を配下に持ち、妾を知る相手か。どうやら、本格的に相手は妾と同類のようじゃな……」


「大鬼様、そいつは一体……」


 伊勢が疑問の声を上げる中、はらわたが引力に引っ張られるような重々しい音と衝撃が地下空間を揺らす。

 あまりの衝撃に伊勢は尻もちをつくが、体幹がしっかりとしている大竹丸と甲斐は体勢を崩すだけで済んだ。

 風間統合幕僚長はそもそも椅子に座っているので転げようもない。


「何でぇ! 今のは! 地震かぁ!?」


 尻を擦りながら立ち上がる伊勢に甲斐が答える。


「どこかで手榴弾でも暴発したのではないでしょうか!」


 だが、そのどちらも憶測に過ぎない。

 大竹丸が怒鳴る。


「憶測はどうでもいいじゃろ! 外を見れる仕掛けはないのか、風間何某!」


「か、風間何某……。とりあえず、外の様子を窺うならそこのモニターの側に付いているスイッチを……」


「これじゃな!」


 皆まで言わせることなく、大竹丸は室内に設えてあったテーブルに一体化する形で乗っていたモニタ画面のスイッチを出鱈目に押し始める。その度に映されていた画面がコロコロと切り換わり、大竹丸はすぐに操作のコツを飲み込んだ。

 その中で、ようやく震動の原因を見つけたのか、大竹丸のスイッチを押す指が止まる。


「これは……」


 それは、巨大な翼を広げ、ビルと相対するような形でその巨体を道路に預けていた。

 真っ黒な体に、全身が刃物のような鱗、そして長い尻尾にねじくれた巨大な角。

 その凶悪な姿を見た事があった大竹丸は思わずといった形で呟く。


「確か、天変地異カタストロフのハルトじゃったかな……?」


 二つ名まで覚えていた自分を思わず誉めてやりたい気分になりながら、大竹丸は呆然とモニタ画面越しに、その巨体を見つめるのであった。

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