第137話 鬼、甲斐に問わんとす。
「ノリで壁を壊しちゃいましたけど、警報装置が作動したりしないんですかね?」
廊下に広がる崩れ落ちた瓦礫を避けながら、甲斐は風間統合幕僚長が逃げ込んだらしい地下施設の内部へと入っていく。その背中を追いながら、伊勢はひょいひょいと瓦礫を飛び越えつつ、言葉を返していた。
「壁の中にまで警報装置を仕込むような奴はいねぇと思うぜ。何しろ金が掛からぁな」
厳重な警備であれば、壁の内部にまで警報装置を埋め込むのであろうが、それをやるのであれば地下に埋まっている部分全てに処理を施さなければならない。普通に考えれば、金も手間も掛かるために現実的な考えではないだろう。
「けど、まぁ、音は出るよなぁ」
壁を崩した事で小さくはないコンクリートの破砕音が響いたらしい。
廊下の奥から自動小銃を持った男たちが駆けてくるのが見える。
それを見るなり、先頭を進んでいた甲斐の姿が刹那で加速する。
「【疾風迅雷】」
甲斐の動きが瞬間的に加速し、一瞬で自動小銃を持つ男二人の眼前へと現れる。
二人は驚いたように銃口を甲斐へと向けるが――、
「同じ自衛隊員に銃口を向けないで下さいよ」
ナイフの柄で一人を殴り倒す甲斐。
殴られた男が鼻血を撒き散らしながら倒れようとしている間に、もう一人の男が自動小銃の引き金を引くのだが、その時には既に甲斐の姿はそこにはない。刹那で天井に貼り付いた甲斐は天井を蹴って加速するなり、自動小銃を乱射する男の銃身をミスリルのナイフで断ち切る。
「ナイフで銃を……ッ!?」
「ダンジョン内ですから。ダンジョン産の武器の方が強いんですよ。そんな事も知らないんですか?」
廊下に着地すると同時に振り向き様の後ろ蹴りが放たれ、半分に斬られた自動小銃を蹴り上げられる。蹴り上げられた自動小銃の勢いは減衰することなく突き進み、男の顔面に自動小銃の断面がぶち当たる。
男が前歯をへし折られながら後方にひっくり返るのを見届けながら、甲斐はミスリルのナイフを腰のナイフホルダーにすっと収めながら立ち上がる。
その動作には戦場に慣れたもの特有の隙の無さが垣間見えるかのようであった。
「同じ自衛隊の誼です。トドメをさすことはしないでおきましょう」
言葉もなく沈黙する二人だが、そんな二人はまだ序の口だったとばかりに廊下の奥から新たな気配が生まれる。そんな気配に向かって、甲斐は軽く頭を振りながらも小さく「【疾風迅雷】」と呟くと姿を消すのであった。
★
「おいおい、行っちまったぜ? 大丈夫かねぇ、一人で」
「まぁ、妾たちのような足手まといが近くにいるよりも、自分が先行した方が制しやすいと考えたんじゃろ。しかし、それにしてもなかなか都合が良いのう」
「都合が良い?」
微笑を浮かべる大竹丸は鼻血を垂れ流して倒れる自衛官と、口から血を垂れ流している自衛官に近付くと、自身の親指を近付けていく。
その親指の先には未だ塞がっていない傷口があり、そこから糸のように細い血の雫が自衛官の鼻血の上に滴り落ちる。
すると、大竹丸の血に触れた自衛官の鼻血が重力に逆らうようにして、ずるりと皮膚から剥がれると、今度は口腔から血を流す自衛官の血流目掛けて飛び込んでいく。
そうして接触した血液は意志あるもののように自衛官の傷口からじゅるじゅると血液を吸い出し、その血の糸を大きく太くしていく。
「何だい、こりゃあ……」
「【血流操作】の能力じゃよ。ふむ、血液凝固も起こさぬとは便利な能力じゃ。すまぬが、暫くの間貧血でいてもらおうかのう」
大竹丸はそう言ってから、出血していた自衛官から少しだけ血液を吸い出すと、自身の親指から垂れる血液の糸を操り始める。
どうやら、【血流操作】のスキルは大竹丸が触れている血液という前提なら、他人の血液だろうと操ることが出来るらしい。それは、大竹丸が【血流操作】で操作する血液が触れている血液であっても同様のようだ。
つまり、大竹丸が【血流操作】で操る血液に触れた血液は問答無用で大竹丸の
それを理解した時、大竹丸は自分の世界が広がったように感じた。
手に入れた血を細く、長く、糸のように廊下に伸ばしていく。
それは髪の毛の太さ程の細い糸であり、注意して見ていなければ分からない程のものだ。
だからこそ、何も知らなければ気付けない。
「ぐわっ!?」
「ぎゃっ!?」
廊下の奥から短い悲鳴が聞こえる。
細く、長く伸ばした血の先端を凝血させ、針のように相手の皮膚に突き刺したらどうなるか。
皮膚に刺さったが最後、そこに血の球が出来上がり、その血の球が針に触れることで即座にその人物の体内の血液は大竹丸の支配下に入る。
そうして、支配下に置いた人間の血液から相手が失神する分の血液を抜き取り、糸の先を更に伸ばしていくのだ。
イメージするのは、大竹丸の百鬼夜行帳に封じられている嬢である。
彼女はダンジョン全体を見通す為に、膨大な量の細く強靭な糸を張り巡らせていたが、そこまでは【血流操作】では難しい。
だから、主線とも言うべき一本の血の糸を先へ先へと伸ばしていく。
その伸ばしている先にいる人間は悉く失血によって失神していくため、安全も確保出来ているし、この【血流操作】による先行偵察は良いこと尽くめだ。
やがて、大竹丸は「ふむ」と一言呟くと甲斐が向かった方向とは別の方向へと足を向けていた。
「おいおい、甲斐二尉は待たなくて良いのかい?」
「探し物が見つかったんじゃ。わざわざここで待つ意味もなかろう」
大竹丸はそう告げると、伊勢に断りもなくさっさと進んでしまう。
そして、そんな大竹丸の態度に怒ることもなく、伊勢は続いていく。
「ま、大鬼様がそう言うんなら確実なんだろう。行こうかね」
伊勢は大竹丸の行動に特に疑問を挟むこともなく、その後を追うのであった。
★
地下施設は横に広い分、地下に深いわけではなかった。
地下三階が最深部であり、その最奥に何やら銀行の金庫のような巨大な鉄の扉が立ち塞がっている。それを目の前にして大竹丸と伊勢が立ち尽くしていると、大竹丸たちが歩いてきた廊下の反対側から「あれぇ?」という声が響く。
「何で、お二人が此処にいるんですか?」
やってきたのは、若干髪と息を乱した甲斐だ。
どうやら、別のルートを突き進んでいた甲斐も無事だったらしい。
その事を嬉しく思う間もなく、甲斐も呆然とした面持ちで巨大な金庫扉を見上げていた。
「何です、これ?」
「この先に風間某がおるようなんじゃが」
「どこ情報です? それ?」
「糸電話のように糸を伸ばしておったら、連中の会話する声が聞こえてきてのう。此処に逃げ込むという話し声が聞こえてきたから追ってきたのじゃ」
「はぁ……? 糸電話……?」
甲斐は理解できない様子だが、大竹丸は血の糸を細く長く伸ばしていた。
それこそ、慣れてきたのもあって、髪の毛よりも細い何ミクロンという単位の太さで伸ばしていたのだ。そんな細い糸であるからして、僅かばかりの振動で揺れ動くのも当然の事であった。
それこそ声の波で揺れ動き、その波を正しく【血流操作】の使い手の元に届ける程に細かったのだろう。
だから、大竹丸は甲斐の帰還を待たずして、こんなところまでやってきているのだ。
「まぁ、いいです。それよりも風間統合幕僚長が中におられるのなら、侵入しないのですか?」
「もうやっとる」
そういう大竹丸の右手の親指から伸びるのは視認するのも困難な程の細い血の糸だ。
それが一直線に伸び、金庫扉の開閉部分へと繋がっている。
それを目で捉えられたのだろう。胡散臭そうな目で甲斐が大竹丸を見やる。
「何やってるんです? これ?」
「甲斐よ。お主、血が何故鉄の味がするか知っとるか?」
「え? えぇ~? ……伊勢さん分かります?」
必殺! 他人に回答丸投げの術!
だが、それを受けても伊勢は眉ひとつ動かすことなく回答を返していた。
「ヘモグロビンがあるからだろ。あれは、確か鉄分を主元素にしてるからな」
伊勢の回答に大竹丸が満足そうに頷くと、自身が伸ばす血の糸を摘まんで甲斐に良く見えるようにと見せつける。
だが、甲斐は大竹丸が何を見せたいのかさっぱり分からないのか、眉間に皺を刻むばかりだ。
「えーっと、これが何です……?」
「まだ分からぬのか。妾が新たに手に入れたスキルは【血流操作】。その力は妾、及び妾が操作している血流に対して、血という分野においてあらゆるものを操作することを包括するというものじゃ。じゃから、こうして血の糸に触れた部分から鉄分を吸収しておる」
「へ? いや、無理でしょう? 血液が外から鉄分を吸収するなんて聞いたことないですよ?」
甲斐の言っていることはもっともだ。
だが、彼女は忘れていることがある。
「何を言っておる。【血流操作】が血液内の鉄分の濃度を減らすことが出来るのであれば、減った鉄分を外部から取り入れられたとしても何も不思議なことではなかろう?」
「いや、それは……。え? あれぇ……?」
大竹丸は気付いていないのかもしれないが、スキルというものは使用者のイメージによって千変万化する。
その点に関しては、神通力というイメージが重要な力で想像力を鍛え抜いてきた大竹丸だ。
少しでも理屈が通れば、やってみせるとばかりにスキルの力を十全に引き出したのだろう。
無理が通れば道理が引っ込むではないが、大竹丸はそういった理不尽な存在なのだ。
そして、その理不尽な力は金庫扉の鉄分を徐々に吸収分解し、針穴程度の穴を開けることに成功するのであった。
そして、それだけの穴が開けば、大竹丸にとっては十分なのである。
室内に血の糸が入って五分もしない内に銃声が聞こえ、罵詈雑言が飛び交っていたようだが、十分もした頃には静かになり――、そして金庫扉が勝手に内側から開く。
それを見ていた甲斐が半眼で大竹丸を見やる。
「…………。どういうトリックですか?」
「トリックというか定石じゃ。こういうのは指紋で扉の開閉をするものじゃろ?」
重々しく金庫扉が開いた部屋の扉脇を見やると、血の糸に指先を巻き付けられて、その指を指紋認証の機械に押し当てられている人物が白目を剥いて気絶していた。
その人物を見た甲斐は「なるほど」と呟いた後で、その人物を二度見する。
「どうかしたかの?」
「いえ、どうかしたかというか。……風間統合幕僚長です」
「ん?」
「ですから、風間統合幕僚長です」
甲斐の言葉の意味が正しく伝わったのだろう。
大竹丸はしっかりと頷いた後で、中空を見つめてみせていた。
「甲斐よ。お主、弘法も筆の誤りという言葉は知っとるか?」
「知っています。こういう時の事を言うんですよね?」
どうやら失血のせいで失神しているらしい風間統合幕僚長の脇に腕を入れて支えながら甲斐は事もなげにそう言うのであった。
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