第135話 鬼、襲撃を話し合わんとす。
後部座席に人を乗せた、二人乗りの大型バイクが東京の街中を駆け抜ける。
その軌道は人通りの少なくなった道は実に都合が良いとばかりに縦横無尽だ。
それこそ、先程まで大通りを走っていたかと思えば、次の瞬間には小道へと入り、道路脇に出されていたゴミ袋を蹴散らして走る始末。
一見すると自由気ままにバイクが走っている光景にも見えたが、その実情はそうではない。
バイクが入った小道の入り口をけたたましいブレーキ音を鳴らしながら、黒塗りの高級車が塞ぐ。そして、その道が通れないと知るなり、方向転換をしてバイクの走行路を先回りしようと執拗に追い掛けてくる。
そんな様子をビルの屋上から眺めていた大竹丸は、ひと心地ついて気分で吐息を吐き出していた。
「ふぅ……。――む?」
つ、と鼻の下に液体が滴る感覚。
大竹丸はその感覚を頼りに手の甲で鼻の下を拭ってから、その液体が何かを理解する。
「……いかぬのう」
手の甲を濡らしたのは血だ。
やはり、如何に神に近付けた肉体とはいえ、体内に流れる血流を操作して無理矢理運動性能を上げるのは肉体に掛かる負担が大きいのだろう。今回はバイクと同じ速度での並走に加えて、追手をまくためにビルとビルの間を三角飛びの要領で上へ上へと逃げてきた。そんな無茶な動きを続けたことも関係しているのだろう。
今は、鼻の中の毛細血管が切れただけで済んでいるが、このまま負荷を掛け続けたらどうなるものかは、分かったものではない――と大竹丸の直感が告げている。
「このまま【血流操作】を使い続ければ生死にも関わるか……。仕方ないのう。新ちゃんたちにはちと悪いが楽をさせてもらおうか」
ビルの屋上の縁に立って下を眺めながら、大竹丸は腰に挿した刀の鯉口を切る。陽光を受けてぎらりと輝く白刃に、自身の親指の腹を当てて、大竹丸は躊躇することなく薄皮を切り裂いていた。
ぷつっと皮膚を切り裂く音がし、大竹丸の親指の腹から血の球が膨れ上がっていく。普通なら血が滴り落ちてもおかしくはない状況。だが、その血の球はいつまで経っても血流になることはなかった。
「【血流操作】……便利な物じゃな」
そのまま大竹丸は、血の球に指向性を与え、血を紐状にして隣のビルへと伸ばす。一気に血圧が下がり、貧血気味になるのを感じるが、大竹丸はその気分の悪さを堪え、血の紐がきちんと隣のビルのフェンスへと付着し、接着したことを紐を引っ張って確認する。
「ふむ。長さ、太さ、粘着性、弾性、固形化、流化……その他諸々自由自在。多くのスキルを得られぬ妾にとっては、当たりのスキルかもしれぬのう」
しかも、それらは大竹丸の意志ひとつで瞬間的に変えられる。
工夫次第で幾らでも化けるスキルのひとつであろう。
激レア確定スキルで出てきたのはダテではないのだ。
今も隣のビルに付着した血液の紐を縮めることで、大竹丸の体は勢い良く飛翔し、その身を隣のビルにまで移動させることに成功していた。まるで、強力なゴム紐のような使い方に手応えを感じながら、大竹丸は更に隣のビルへと血の紐を射出する。
「この方法じゃったら、体内のダメージを最小限にできるじゃろ。それに相手をまく為に路地裏を忙しげに走り回っておるあやつらにも追いつくことができる」
裏路地を走るバイクの姿はもうない。
だが、耳を澄ませば甲高いスキール音が路地裏の角という角から響いてくるのが聞こえる。恐らく地上を走るバイクは自衛隊員の追跡をまく為に路地裏を曲がりくねって走っているのだろう。
その為、速度的な部分では追いつけなくても、距離的なものであれば、ビルの上を一直線に進める大竹丸の方に利がある。故に、追いつけるという勝算が大竹丸にはあった。
「しかし、あやつは何処に向かっておるのじゃろうな?」
血の紐を縮めて、更に隣のビルに跳び移りながら、大竹丸はバイクの逃げるスキール音を頼りに、先へ先へと進んでいくのであった。
★
バイクの行き先はあらかじめ決められていたようだ。
自衛隊員の追跡をまきながら、オフィスビルの地下駐車場のひとつにバイクが入っていくのを見て、大竹丸も靴を脱いでから【血流操作】で自身の足裏に血のスパイクを作り出しては、ビルの壁面を伝って下りていく。
「ふむ。この能力、便利は便利じゃが妾の体に触れておる血しか操れぬというのが若干不便じゃのう」
そう一人ごちながら地上に下りた大竹丸は、靴を履き直すとそのまま地下駐車場の中に入り込んでいく。そこには、バイクをコンテナトラックに積んでいる集団と所在なさげに立ち尽くしている伊勢の姿があった。
「お! 大鬼様! 無事だったかい!」
「潜ってきた修羅場の数が違うからのう、余裕じゃよ。それにしても……」
数人掛かりでトラックのコンテナに瞬く間にバイクが積まれ、そしてその中にはバイクを駆っていたフルフェイスヘルメットで素顔を隠していたバイク乗りの姿もあった。
大竹丸はその乗り手に声を掛ける。
「……その調子じゃと、ここまでは全て計画通りといったところかのう? のう、甲斐二尉よ?」
「一席……。すみません、今は事情を説明している時間が惜しい。総理と共にコンテナの方に乗って頂けますか?」
そう言って、甲斐二尉はフルフェイスヘルメットを脱いで、黒の皮のツナギを脱ぐと、タンクトップにホットパンツというラフな格好になってから、シティ迷彩柄の迷彩服の上下へと着替える。その間に大竹丸は伊勢を急かしながら、コンテナの荷台へと飛び乗っていた。
甲斐も着替え終わった皮のツナギを仲間であろう男に預けると、急いでコンテナの中に乗り込み、そして外からコンテナの扉が閉められる。
割と勢い良く閉められた扉の後で、カチャンと音がなったのは外から
真昼にも関わらず、急な暗闇に覆われたコンテナの中であったが、カチャカチャと音がしたかと思うとコンテナの中に薄っすらとした明かりが灯っていた。
どうやら、甲斐が気を利かせてコンテナの中に備え付けていたランプに火を入れたようだ。
そこで改めて甲斐が座りながらではあるが、伊勢に敬礼を行う。
既にトラックは動き出しており、立って敬礼をすると危ないと感じたのだろう。
その辺は臨機応変である。
「伊勢内閣総理大臣。自分は、東部方面隊ダンジョン対策部攻略一課、甲斐姫乃二尉であります。同じく、東部方面隊ダンジョン対策部攻略一課長、成田信雄より総理と一席救出の命を受け馳せ参じました」
「ほう。嬢ちゃんが攻略一課のエースと呼ばれている甲斐二尉かい」
「自分を御存知でしたか……」
「資料じゃあな。良く名前が挙がるから覚えちまったぜ」
「それは光栄です」
「そんで? その成田一課長とやらは何でオイラたちを助けてくれたんだい?」
伊勢がもっともな疑問をすると、甲斐は「はっ」と短く答えて言葉を続ける。
「成田によりますと、風間統合幕僚長の近辺で不審な動きが有ったとのことでして、このまま風間統合幕僚長の思惑通りに動くとろくな事にならないだろうという勘が働いたのだそうです」
「勘ねぇ……。そんなんで自衛隊の一部隊が動くっていうんかい」
「……成田の勘には、ダンジョン探索中にも沢山助けられてきました。あの人の勘を疑う者は、東部方面隊ダンジョン対策部攻略一課内には一人もいません」
「ふぅん、なるほどねぇ……。実戦で磨かれた第六感とかそういうのかい?」
伊勢が面白そうに尋ねると、甲斐は首を横に振る。
「いえ、むしろしっかりとした理論と情報に裏打ちされた確度の高い予想に、僅かばかりの遊び心を混ぜた予想を、成田一課長は『勘』と呼んでいるのだと思います」
不測の事態すらも踏まえたその作戦は、最早、勘などといったレベルでなく、未来視とも言えるレベルではないだろうかと思う時が甲斐にはあった。
それだけ、成田の作戦に対する信頼は厚いのだろう。
迷いなく言い切る甲斐を見て、伊勢も感心するしかない。
「きっちりとした理屈だけで出した命令じゃねぇから勘かい。なるほど。なかなか面白い課長さんのようだな」
「はい。そこは否定しません」
「そんなことより、じゃ……。その成田という者が妾たちを連れ去ってどうしようというのじゃ? 妾たちは事の真相を知るために風間某の所に殴り込みに行こうとしていたのじゃが?」
「それなら問題ないです。成田の目的も一緒ですから」
「てぇっと、このトラックの行先は風間統合幕僚長の家に向かっていんのかい?」
「いえ、風間統合幕僚長は総理を拘束した後、その姿を消しています」
「何?」
それは聞き捨てならない情報だ。
だが、甲斐は落ち着いた様子で説明を続ける。
「成田は、『総理と一席の排除を強行したことで政府内部に反発が生まれることを予想して、いち早く雲隠れしたのではないか?』と予想していました」
「まぁ、妾たちをいちゃもんに近い形で拘束したんじゃ。冷静になって考えてみれば、大抵の人間はおかしいことに気付くじゃろ」
「だが、『おかしい』と言う前に言う相手が消えちまっちゃあ、それをぶつけることもできないってか? 死人に口なしかってんだよ……」
風間統合幕僚長の狙いはその辺にあったのだろうか。
混乱に乗じて、大勢を決めてしまいたい――その為に大竹丸の処刑を急いだのではないか。
そんな気すらして、伊勢は片手で顔を覆う。
「はい。成田もその異常性に気付き、いち早く風間統合幕僚長の足取りを調査致しました。その結果、風間統合幕僚長がいる可能性が一番高い建物へと、このトラックは向かっています。成田曰く、『そこに殴り込みを掛ける』予定です」
「はぁ……。武闘派なこって……。だが、大丈夫なのかい? 風間統合幕僚長は陸海空の自衛隊員を束ねる相手だ。風間統合幕僚長が一声掛ければ自衛隊員なんて幾らでも集まってくるんじゃねぇのかい? 如何に攻略一課が精鋭揃いと言えども、多勢に無勢じゃ勝ち目はねぇだろ?」
伊勢の心配はもっともだ。
今回の件を知らない自衛隊員も多く、そんな自衛隊員たちは襲撃を仕掛けようとする攻略一課と、襲われたから応戦するであろう風間統合幕僚長のどちらを正義と見るかとしたら、大多数は後者となることだろう。
それ以前に、風間統合幕僚長は自衛隊のトップだ。
事情を知らない自衛隊員からすれば、自分たちの面子の為にも必死になって襲撃があれば、それを阻止しようと行動することだろう。
風間統合幕僚長が拠点を構える場所にどれだけの自衛隊員を配備しているかまでは分からないが、攻略一課の人数だけで容易に突破できるような人数でないことは確かだ。
百人か、二百人か……それとも、予想を越えて更に多くの人員を配置しているか。
だが、そんな事は百も承知とばかりに甲斐は頷く。
「はい。通常でしたら、この馬鹿げた作戦に賛成はしなかったでしょう。ですが、こちらには第一席がいますから。第一席さえいれば、自衛隊員の百人や二百人なんて――」
「うむ。そこは調査不足じゃのう。妾は今、弱体化しておるから普段の十分の一の力も出せんぞ」
「え?」
自信に満ち溢れていた甲斐の表情が思わず固まる。
そこに追い打ちを掛けるかのように、伊勢が告げる。
「なんか、大鬼様の神通力が使えないらしいぜ? そうじゃなきゃ、風間統合幕僚長の策になんて嵌らないだろ?」
「ええええぇぇぇぇーーーっ!? ど、ど、どうするんですかぁっ!?」
甲斐が慌てた様子で顔を近づけてくるので、思わずたじろいでしまう大竹丸だ。どうやら、勢いに押されたらしい。
「いや、どうするって言われてものう……。あぁ、そうじゃった。奴らに頼んでみたらどうじゃ?」
「奴ら?」
そう言うと、ひとつの電話番号を大竹丸は甲斐に告げるのであった。
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