第134話 鬼、変わった日本で腕試しをせんとす。

「ふむ。脱出したのは良いのじゃが……。此処は本当に東京かのう?」


 大竹丸がそう発したのも無理はない。

 大通りを歩く人影は疎らであって、道路を走る車の数が異様に少ない。

 まるで、別の世界線の東京に辿り着いてしまったかのような違和感を大竹丸たちは覚えていたのだ。

 それだけ様変わりしたと言い換えても良い。


「まるで、オイラたちが閉じ込められちまってる間に日本が変わっちまったみてぇだ……」


「たった一日程度でそんなに変わるとも思えぬのだがなぁ」


「まぁ、何があったにせよ、情報は把握しとかなきゃなんねぇだろうよ。オイラはちょいとそこのコンビニで新聞を買ってくらあ。大鬼様は外で待っててくんな」


 言うが早いが伊勢はネクタイを緩めて、スーツを着崩すと髪の毛をわざとボサボサにしてコンビニへと向かっていく。

 伊勢の顔は日本国中に知れ渡っているはずなので、印象を変えることで変装したつもりなのだろう。

 テレビ画面を通してバリっと決めた伊勢と、だらしないサラリーマン風の格好の伊勢では人によって受ける印象が大分違う。

 大竹丸も長い付き合いなので、その辺は分かっているのだろう。

 あえて口を挟むことなく、コンビニの前で壁を背にして立つ。


 伊勢がコンビニで新聞を買っている間にも、街中を行く人間がいないわけではなかった。

 だが、そのいずれもが金属製、もしくは木製の長物を持参しており、何かに怯えるようにして周囲を警戒して歩いているではないか。

 それが大竹丸には不思議に思えて仕方がない。


(そういえば、捕まる前にモンスターが世界中で現れておると言っておったか?)


 もしや、人々の姿が少ないのはモンスターがそこら中を徘徊しているからなのだろうか。道行く人々が、意味もなくやたらと警戒する様子を眺めていると、なんとも時代を逆行したものだな――とそんな思いを抱く。


(怪異に怯えるのは昭和の時代までじゃと思っていたんじゃがなあ……)


 その頃までは、まだ街に街灯も少なく怪しげな事件が広まる素養があった。

 だが、平成となり、令和となり、街中には光が満ち溢れ、情報はインターネットを通じて拡散し、知ることが容易くなった時代となってしまい、怪異などといった怪しい存在は駆逐されたかに思われた。

 だが、今では存在感を伴った怪異モンスターが現実のものとなり、人々の生活を脅かしている。

 これは、まさに時代の逆行ではないかと大竹丸は思ったのである。


(その内、人々は丑三つ時にも怯えるようになるんじゃろうか?)


 そんな益体もないことを考えていたところで、コンビニの扉が開く。

 伊勢が新聞を買って出てきたようだ。

 大竹丸が視線を向けると、伊勢がペットボトルを放り渡してくる。

 危なげなくキャッチしながら、大竹丸はそのペットボトルの蓋を捻っていた。

 

「連中に財布を取り上げられなくて助かったぜ。新聞の中身に目を通す間に飲んどいてくれや」


「ふむ、気が利くのう。遠慮なく頂こう」


 ペットボトルに入っていた緑茶を口に含む大竹丸。

 その間にも、伊勢は真剣な表情で新聞の記事に目を走らせている。

 そんな伊勢の様子を見ていた大竹丸はふと思いついたようにペットボトルから口を離す。


「のう、新ちゃん」


「何でえ、大鬼様?」


「新聞の四コマ欄だけ、妾にくれんか?」


「それ、後じゃ駄目か?」


「ふむ、構わんぞ」


 それは果たして今言う言葉だったのだろうか?

 伊勢は首を捻りながらも今朝の新聞に視線を落とす。

 新聞には、昨日より日本中でのモンスターの出現が報告されており、住民に対する外出制限と、探索者に対するボランティア活動の呼び掛けが行われている旨の記事が載っていた。

 どうやら、この報道が東京から急激に人が減ったように見えたカラクリだったようだ。更に伊勢は驚くべき記事を見て、顔を強張らせる。


「オイラが内閣総理大臣を辞任だとぉ?」


「のう、新ちゃん」


「何でえ、大鬼様?」


「何故、人が居らぬのか理由が分かったぞ」


「それなら、オイラも――」


 理解したところだと告げようとして、伊勢は口を噤む。

 大竹丸は新聞を読んでいない。

 なのに、人が居ない理由を知った? 何故?

 伊勢が新聞から視線を上げると、そこには道路の上に集う黒い靄の姿があった。

 それが、徐々に生物の姿を形作り始める。

 道を歩いていた人々は悲鳴を上げて逃げ出す者もいれば、嬉々としてその靄の周辺で得物を構え始める者もいる。

 やがて靄は人型……というには二メートル近いが……になり、ブタ頭の巨漢三体へと変貌する。

 それは探索者たちの間ではオークと呼ばれるモンスターだ。

 そんなオークたちを相手に先手必勝とばかりに仕掛けた若者の鉄の棒が軽々とオークの筋肉に弾かれる。

 ダンジョンのモンスターには、ダンジョン産の武器でないと効果が薄いということを知らなかったのであろうか?

 声にならぬ悲鳴を上げながら慌てて下がる若者。

 だが、その悲鳴がオークの嗜虐心を擽ったのか、彼らは一斉に若者を見据えると武器を構える。三又の鉾に、大ぶりの肉切り包丁、そして巨大な斧だ。

 どれもこれもが人々に威圧感を与えるのには十分な武器――。

 迫られた当事者としては、その迫力は相当なものだっただろう。

 大勢で囲んで袋叩きにしようとしていた者たちが、一斉に脅え竦んだのが遠目で見ても分かってしまう。


 それを見て、伊勢が嘆息を吐き出す。


「はぁ……。大鬼様頼めるかい?」


「こんな時でも国民の命を第一にとは責任感があるのう」


「そんなんじゃねぇよ。……目の前で人が信じまうのは寝覚めが悪くていけねぇって話さ」


「違いない」


 大竹丸はニヤリと笑うと、地面に突いていた刀を腰の位置にまで引き上げ、抜刀の構えを取る。

 オーク三体は道路の真ん中に存在し、ここはコンビニの壁際だ。

 とてもではないが剣が届く距離ではないだろう。

 それでも、大竹丸は勝利の確信を得ているのか笑みを崩すことはなかった。


「それに丁度良かったやも知れぬ」


「良かった……ってぇと?」


「妾が得たの試しにはもってこいということじゃよ」


 大竹丸の体から靄のような蒸気が噴き出し、全身に蚯蚓腫れのような太い血管が浮き出してくる。


 ――スポーツ科学の世界では、血流の流れが運動性能の向上に繋がるといったデータがある。

 個人個人で影響度は違えども、磁気を帯びたユニフォームで血管の通りを良くしながら運動を行うと、磁気を帯びていないユニフォームを着て運動を行った場合よりも成績が良くなるのだ。

 恐らくは、血流の流れが良くなることで心肺機能の活性化や、各種筋繊維への酸素の供給がスムーズになるといったことが関係するのだろう。故に、運動性能と血流の流れには切っても切れない関係がある。

 勿論、血流の流れが激しくなることで、良い事ばかりが起きるわけではない。

 血流が激しくなる分、血管には相応の負担を強いることになるのだ。

 それは、小さな部分では毛細血管の破裂から始まり、下手を打てば脳卒中などの病気にかかることもあるだろう。

 だが、それもこれも全ては矮小な人間の器であればの話だ。

 神に通じる力――神通力を得る為に遥かな時を掛けて、器を神に近しいものにしてきた大竹丸にとっては、多少の血流の激しさぐらいであれば、血管が破損するといった事態にはなり得ない。

 そして、だからこそ大竹丸は存分にを行使することができるのだ。


「さて、妾が得た【血流制御】がどの程度のものか」


 大竹丸が地を蹴る。


 血流の急激な流れが大竹丸の運動性能を飛躍的に向上する。心拍が、筋肉の稼働量が、運動機能の全てが有り得ない程に一瞬で加速し、大竹丸の姿を人の目から捉えさせない。一歩が大きく、長く、伸び、これまでの走りという概念を覆すかのように速度が出る。


 恐らく伊勢には大竹丸の姿が一瞬で道路の真ん中に現れたように見えたことだろう。


 そして、そのまま大竹丸は三体のオークの首を一瞬で刎ね飛ばしてみせていた。


 オーク三体が光の粒子として天に帰るその時には、既に大竹丸はコンビニにまで戻ってきており、コンビニの壁にその背を預けて佇む。

 息が上がっていたが、それだけ心臓が鼓動を早めたということだろう。

 疲労感はあるが、一回使った程度では体にガタがくるといった代物ではないというのが大竹丸の感想だ。

 

 九死に一生を得た若者たちは、そんな大竹丸の活躍には一切気付かず、一体何が起こったのかとばかりにキョロキョロと辺りを見回す。

 その姿が滑稽で、大竹丸も思わずふふっと笑いを零していた。


「……いや、早ぇな。何が起きたのかさっぱりだ」


「ふ、ならば良かった」


 壁に刀を立て掛けながら、大竹丸は気息を整える。


「素人に見切られる程度のスキルでは困るからのう」


「大鬼様はそういうトコが意地悪なんだよなぁ。もっと分かり易く活躍してくれてもいいんだぜ?」


「考えておこう。……それで? 今後の方針は決まったのかのう?」


 大竹丸がそう尋ねると、伊勢はやおら真剣な顔となって顎をさする。


「それなんだが、やっぱりどうにも手口が鮮やか過ぎる。今回の件は最初から仕組まれてたとしか思えねぇんだよな。だから、張本人に話を聞こうかと思ってんだ」


「張本人と言うと、風間何某じゃったかのう?」


「あぁ。幸い風間くんの家がどの辺りにあるのかは知ってるからな。近くまで行けば、聞き込みで大体の位置は分かるはずだ」


「現状、他に手もないからのう。それで行くとするか」


 大竹丸と伊勢が今後の方針を固めたところで、先程までオークに殺されそうになっていた若者が大竹丸たちのもとへとやってくる。

 その表情には何の疑問も無さそうではあるが、近付くにつれて何か違和感を覚えたのだろう。妙な表情を浮かべながら近付いてくる。


「なぁ、アンタら、道路の真ん中に居たオークがどうなっちまったのか知らねぇか? 何か急に消えちまったんだけどよぉ……」


 どうやら、大竹丸の技が早過ぎて、オークが倒されたことすら認識できなかったらしい。その答えを知っている大竹丸たちではあったが、改めて答え合わせをする気もないのか、ただ首を横に振るのみである。


「いや、知らぬのう」


「なんだよ。遠くから見てれば少しは分かるかもと思ったんだが……。当てが外れたか」


「期待に応えられなくてすまんのう」


「それは別に良いんだけどよぉ……。ってか、オタクらどっかで会わなかったか? 俺の気のせいか?」


「そりゃあ、ナンパのテンプレ台詞としちゃあ、使い古された奴だぜぇ?」


「いや、何でオッサンなんかナンパしなきゃいけねぇんだよ!? うーん。勘違いか」


「まぁ、会ったことはないのう」


 テレビの画面越しでは見た事があるかもしれないが、という言葉を大竹丸も伊勢も喉の奥に飲み込む。会ったことが無いというのは確かなのだ。 

 若者が頭を振り振り踵を返すのを苦笑いで見送る大竹丸と伊勢。

 危うい所で正体がバレずに済んで良かったと思う二人だが――……。

 その二人と若者を囲うようにして、次々と黒塗りの高級車が現れては壁を作るようにして停車していく。


「な、なんだよ、アンタら!?」


 若者が驚愕の声を上げる中、大竹丸たちから遠い方の高級車の扉が次々と開かれ、黒塗りの高級車を壁にしながら黒服の男たちが降車をしては、手に手に銃を構えてその照準を大竹丸へと合わせていく。


「むむ、おかしいのう……。上手く逃げ出したつもりだったんじゃが……」


「大鬼様は知らねぇかもしれんけどよぉ。今は町中に監視カメラってものが大量に取り付けてあんのよ。それがありゃあ、隠れもせずにのんびりと逃げ出した犯罪者なんざ、こんな風にすぐお縄ってな具合さ」


「そういうことは、もっと前に言って欲しかったのう」


 二人を囲む黒服の中には、大竹丸を監視していた自衛隊員の姿も見える。

 どうやら街中での武力行使は自衛隊的にはNGらしい。

 自衛隊員それと分からぬ格好をしながら、大竹丸たちを囲んでいる姿は傍目には堅気でない者同士の抗争に見えないこともない。

 そんな彼らは大竹丸に銃口を向けながら、投降を訴えかけようとした――、

 ――のだが、何やら力強いエンジン音と共に、高級車を乗り越えて一台のバイクが大竹丸たちの目の前に着地する。


「また、なんでぇ! 忙しねぇぜ!」


「――乗って!」


「新手? ……いや、味方かのう?」


 バイクの運転手の声に聞き覚えがあった大竹丸は伊勢を無理矢理バイクの座席の後部に乗せると、自分は全身に血管を浮かび上がらせる。

 そして、その一連の動きが完了するのを待っていたというわけではなく――恐らくはこれ以上は無理だと考えたのだろう――バイクが急激にアクセルを噴かせて発進する。ウイリーで浮き上がった車体を見事にコントロールする運転手は勢いそのままに高級車を踏み台にして跳ね飛び、そのまま囲いを突破して出て行ってしまう。

 その光景を銃を撃つこともなく、呆然と見送るのは自衛隊員である。

 だが、すぐに我に返ったのか大声で苛立ちを吐き出す。


「なんだ、今のバイクは!」


「いや、そんなことよりも元総理が逃げたぞ!」


「元総理なんて今更どうでも構わん! それよりも、第一席は何処にいった!」


「いや、消えたぞ……!?」


 囲いを突破したバイクの影、そこに超高速で追随して姿を隠していた大竹丸。

 大竹丸を囲んでいた自衛隊員にとっては、その姿は忽然と消えたようにしか見えなかったのであった。

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