第八章、鬼、人類の敵にならんとす。

第129話 鬼、一難去ってまた一難とならんとす。

 桜島ダンジョンが消失して早くも一か月と半月の月日が流れた。


 その間、報道番組の多くは何故桜島ダンジョンが消失したのか――その謎を解き明かすという名目で各局がこぞって特番を組んだりもしたのだが、その謎が解き明かされることはついぞ無かった。


 そうして、人々の記憶から桜島ダンジョンの脅威が薄れていく中で、普段の日常が戻ってくる。


 人々はそんな普通の日常が戻ってきたことに、ある者はほっとし、ある者は憂鬱になったことだろう。


 そして、そんな普通の日常に頭を抱えざるを得ない者も出てくる。


 ――田村小鈴である。


「むむむぅ~~~……!」


 彼女の手に収まるのは白い紙。


 そこに記載されているのは、高校三年生の二学期の中間テストの添削結果である。何度睨み付けても結果の変わらないそれを、食い入るようにして見つめていた小鈴だが、やがて諦めたのか「はぁ」と嘆息を吐き出す。


「ここで【トリックスター】使ったら、結果が好転しないかな……?」


「一日一回しか起こせない奇跡を、しょうもないところに使おうとするなよ……」


 中間テストの結果が返されて悲喜交々の様子が垣間見える三年生の教室の昼休み。その片隅で嘆息を吐いていた小鈴を、彼女の親友であるルーシーとあざみが取り囲む。そんな彼女たちの様子は小鈴よりも数段気楽そうではあった。


 小鈴が恨みがましい目を向ける。


「ルーシーちゃんもあざみちゃんも、その様子だとテストの点が良かったの……?」


「いんや、全然」


「私は大分良かった」


「「マジで!?」」


 ずっと修行に明け暮れていたせいか、小鈴の成績は酷いものであった。それでも修行の合間に頑張って勉強していたのだがこの様である。


 ルーシーも似たようなものだろう。


 だが、あざみは違うという。


 そこにはどうやらカラクリが存在していたようだ。


「【深淵の智】を得てから、記憶力が良くなって、計算することが早くなって得意になった気がする。勉強の時間が短くて、効率よく勉強できる。凄く楽」


「えー、何それ! ズルいよー!」


「ダンジョン外ではスキルの力って弱まっていって話じゃなかったか?」


「私のスキルは強烈過ぎるから、弱くなった方が使いやすい。盲点だった」


「そういう方向性のスキルもあるのかよ……」


 ルーシーが感心したように言うのを、小鈴は恨みがましい目で見つめる。


「何かルーシーちゃんの方は余裕あるね? 私と一緒でテストダメダメじゃないの? というか、親に怒られない感じの家庭?」


「んー? 私は進学しないことに決めてるからねー。テストの結果で一喜一憂する意味がないっていうか」


「ふぇ?」


「ルーシーは探索者一本に絞ってプロになるつもりらしい」


 ルーシーから話だけは聞いていたのか、何でもないことのようにあざみは語る。


 だが、ルーシーが決意したその道は決して平坦な道ではないだろう。


 そのことが分かっているだけに、小鈴は心配そうな表情を見せていた。


「けど、プロになるって言っても、どうするの? 私たちにはスポンサーも何も付いてないし、知名度もあんまりないし……。お客さんも付かないんじゃないかな?」


 知名度があるとすれば、松阪ダンジョン生還時の映像で全国区にちらっと姿が映ったぐらいか。


 それでも、ネームバリューとしては公認探索者オフィシャルたちや、いち早くダンジョン攻略の一任者として認識された蒼き星ブルースフィアとは天と地の差がある。


 そういった知名度の無さは、年若い少女ということもあり、侮られる要因となるだろう。


 悪質な詐欺まがいの取り引きを持ちかけられることも多そうだ。


 小鈴はその辺りを心配しているが、ルーシー本人はあまり気にしていないようであった。


「まぁ、最初は動画配信したりしながら、知名度を上げつつ信頼を上げて、ネットでDP産アイテムの受注を受けたりする感じでやろうかなーって。その内、評判が良くなってくれば、景気の良い業界だし大手の企業から業務提携の話もくるかもしれないじゃん?」


 ルーシーの言葉を聞いて「結構博打な人生じゃないかなー」と思う小鈴であったが、そんなルーシーの夢を少し羨ましくも思ったりもしていた。


 そう、小鈴は小鈴で将来に対する明確なビジョンを持っていなかったのだ。


「上手くいくと良いねぇ」


「おう! ま、失敗したら最悪結婚して旦那さんに養って貰えばいいしなー。あははは!」


 どうやら博打な人生にも一応の逃げ道は用意しているらしい。


 なお、隣に立つあざみは「その胸なら引く手あまた……。死ね……!」と凄い形相で言っているが二人は華麗にスルーを決め込んだようだ。大して相手にしていない。


「小鈴とあざみは大学目指してるんだっけ? どこ大?」


「一応、偏差値相応のところ目指してる感じだけど、この感じだと厳しいかも」


 テスト結果をルーシーとあざみに見せる小鈴。


 すると二人からあちゃーというリアクションが返ってきた。


 それだけ見せられない成績ということなのだろう。


 流石に小鈴もがっくりときているのかため息が多めだ。


「っていうか偏差値で大学決めるのか? やりたいことで決めるんじゃないの?」


 ルーシーがもっともなことを言うが、小鈴はそれに対する明確な答えをまだ持っていない。なので無難な返しを返す。


「やりたいことがまだ決まってないから……大学で決めようかなって」


 本音で言えば、大竹丸のお世話係をずっとやっていたいところだが、それをいつまでもというわけにもいかないだろう。


 そして、恐らく大竹丸もそれを望んでいない。


 小鈴はそんな風に考える。


「あざみは?」


「T大か、K大」


「お、大きく出たなぁ……」


 T大もK大も入試最難関で知られる大学だ。


 だが、スキルを得た今ならそんな学校も狙える……と思ってその大学たちを挙げたわけではないらしい。


「ダンジョン研究を始めている大学のゼミを探したら、まだT大とK大にしかなかった。あとは設立予定のが幾つか。だから、ダンジョンに関わろうとするなら、そこに行くしかない」


 今年でダンジョンが現れてから三年目。一般開放が始まってから一年と少ししか経っていないのである。ダンジョンに関する研究はまだまだ始まったばかりであり、大学でも専門で取り扱っているところは全国でも少ないのだろう。


 だが、流石に大学入試最難関の大学名を出されてしまっては怖気づく。


 小鈴は思わず不安になってあざみの表情を窺う。


「それ、大丈夫なの、あざみちゃん……?」


「使えないと思っていた神通力だって使えるようになった。努力は人を裏切らない。為せば成る」


 これからあざみは頑張って勉強をするということなのだろう。


 小鈴があざみに向かって頑張ってと声を掛けていると、小鈴の担任教師が教室の後ろの扉から入ってきて小鈴たちに声を掛ける。


「お、三人共、此処にいたか。今、時間あるか?」


「えーと、これから私たちお昼食べるところなんですけど……」


 教師に呼び出される覚えのない小鈴はやんわりと断ろうとするが、担任教師はそれをさせない勢いで「十五分、いや十分だけでいいから話を聞いて欲しい」といって聞かない。


 結局、押し問答で時間を潰すのもどうかと考えた小鈴たちは、仕方なく担任教師に引き連れられて、何故か校長室まで連行されるのであった。


 ★


「いや、吃驚したよー……」


 放課後――。


 人の居なくなった教室で小鈴たちは人目を憚って会話を行う。


 その話題は昼休み中に行われたサプライズについてであった。


「まさか、K大の教授が来てて、いきなり推薦入学の話を持ってくるなんて……」


「しかも、私たち三人まとめてって凄くない?」


「恐らく、私たちが第一席ペペペポップ様の関係者だって割れてる。それを見越しての勧誘だと思う」


 各々が感想を言い合うが、誰も彼もが喜んでいるというよりは戸惑っているようだ。降って湧いた話に実感が湧かないかもしれない。


「まぁ、タケちゃんとのパイプが手に入ったらオイシイもんね」


「一応、私たちのことも評価はしてくれていたみたいだけど、本命はそっちかなぁ。クロさんみたいなもんだよねぇ……――ハッ! 私、このまま社会人になったら、クロさんみたいに囲われそうになって引き籠る可能性が出てくる!?」


 ルーシーがその可能性に行きつき顔色を青くするが、逆に言えばスポンサー企業が選び放題といった状況になるのかもしれない。


 その点は嬉しい悲鳴になるのではないだろうか。


「でも、それもこれもタケさんのおかげかぁ。そう考えると素直に喜べないというか……」


「実力が評価されたって感じじゃないよね~……」


「まぁ、楽して入れるなら私に否はない」


 気持ち的に納得のいかない小鈴やルーシーとは違って、あざみは使えるものは何でも使う主義のようだ。向こうが手を差し伸べてくれたのだから、何故その手を取らないのかといったところだろう。


 結局、最後は自分の意志で決めることだ。


 突如として別の道が拓けたルーシーとしても、将来の自分をぼんやりと考えていた小鈴としても、自分の進路を考える時間は必要であった。


 彼女たちは自分たちの未来を夢想し、意見を交換し合う。


 そして、最終的には各々の意志を尊重するといったことに落ち着いたのだが……。


「できれば、私は小鈴とルーシーと一緒に大学生活を送りたい」


 そんな言葉をあざみは漏らすのであった。


 ★


(もう、あざみちゃんズルいよ~。あんなこと最後に言われたら、私だって一緒の大学に行きたくなっちゃうし!)


 十月も後半となり、秋も只中となってきた時期の夜は早い。


 放課後に残ってルーシーたちと話し込んでいた小鈴は、暮れてきた夕陽に追い立てられるようにして帰路を急いでいた。


(あー。この時間になっちゃうとタケちゃんの所に寄るのは難しいかなぁ)


 小鈴が住んでいる家から大竹丸の住んでいる武家屋敷までは直線距離でいえば、そこまで遠くない。ただ直線的に進むには山の急な斜面を登る必要がある。その辺は小鈴の得意とする風の神通力を使えば楽々登れるのだが、夜の山道は足元が見えないため非常に危険なのだ。高速移動中に張り出した木の根に足を引っ掛けて転んだりすれば、それこそ大惨事である。


 その為、小鈴は大竹丸に会いに行く際は、常に日の出ている時間帯に出向いていた。


 なので、本日中に大竹丸と会うことは諦め、小鈴は明日の朝にでも朝刊を持って大竹丸に会いに行こうかなどと考えていたのである。


(私がK大に行くって言ったら、タケちゃんどんな顔するかなぁ? 慌てて止めたりするのかな? それとも私の意志を尊重するとか言ったりするのかな?)


 少しだけ浮かれた気分で帰路を急ぐ小鈴だったが、その足がピタリと止まる。


「今、声が……?」


 微かではあったが悲鳴のようなものが聞こえ、小鈴は全神経を耳に集中する。


 すると、確かに子供の泣き声のようなものが小鈴の耳朶を打った。


「こっちだ!」


 小鈴はその泣き声に呼び寄せられるように一気にギアを上げると神通力を用いて駆け出した。その先に待ち受けるものが何かなどは一切考えていない。それは行き当たりばったりアバウトな行動であり、褒められるものではなかったのかもしれない。


 だが、それでも誰かが困っているのを見過ごすという選択肢は小鈴には無かったのである。


 ★


 小鈴が現場に辿り着いた時、そこで信じられないものを見ることになる。


 住宅街の交差点。


 大型の乗用車一台がギリギリ通れるような狭い道の交差部分で、一人の小柄な体躯の人間が棍棒を片手に、倒れた女性を何度も殴打していたのである。その傍には同じく殴打されたのか、悲鳴とも嗚咽ともしれない声を漏らす子供の姿があった。


 夕陽に照らされて小柄な人影の姿の仔細は分からない。


 だが、小鈴はそれを見て一気に頭に血が昇った。


「こらぁ~! やめろぉぉぉぉ~~~!」


 持っていた鞄を放り出し、全速力で駆け出すと無手でありながらも人影と接近。


 即座にその人影を取り押さえようとして、その姿を間近で見てしまう。


「グギャ!?」


「え!?」


 小さい背丈に長い耳、緑色の皮膚に黄ばんだ乱杭歯に腹の出た体躯。手には棍棒を、腰には腰蓑を付けたその姿は、ダンジョンでと呼ばれる存在そのものであった。


 ――


 その事態に驚き、小鈴は攻撃することも忘れて思わず呆けてしまう。


 ゴブリンの方も急に近付いてくる人間の姿に驚いたのか、一瞬、手を止めるものの小鈴を敵だと認識したのか振り上げた棍棒を下ろす先を小鈴へと変更して襲い掛かってくる。


「くっ――、チェストォ!」


 棍棒の一撃を右腕一本で回し受け、そのまま小鈴は鋭い拳打をゴブリンの顔面へと打ち込む。たまに風雲タケちゃんランドに修行をしに来ている渡辺巌から習っていた龍道館空手が役に立った。


 右腕に青痣を作りながらも小鈴の拳は確実にゴブリンの顔面を潰し、その意識を刈り取ったのだ。倒れるゴブリンの手から棍棒をはぎ取ると、小鈴は意を決したようにその視線をゴブリンへと向ける。


「試さないと駄目だよね……?」


 そう呟くと、小鈴は倒れているゴブリンの頭部に向けて、その棍棒を無造作に振り下ろす。するとゴブリンは息絶えたのか、光の粒子となって中空へと溶けるようにして消えていく。


「ダンジョンと同じ仕様……? 桜島ダンジョンは消えたはずなのにどうして……?」


 小鈴が戦慄する中、子供が母親に縋って「お母さん、お母さん!」と泣き叫ぶ声が聞こえてくる。そんな子供の母親を救う為に小鈴は財布から冒険者カードを取り出してポーションを出現させる。


 その瞬間にダンジョンと同じように瓶に入れたポーションが小鈴の目の前に出現し、小鈴はその中身をちょっとだけ自分の右腕に掛けて青黒くなっている自分の痣がすぐに消えることを確認していた。


(効力もダンジョンと同じように見える……。どうして……)


 そのまま小鈴は倒れている母親に近付く。


 母親は棍棒で殴られた為にぐったりとしていたが息はあるようであった。


 意識がはっきりとしていない中、母親を支えてその口にゆっくりとポーションを含ませていく。


「お母さん……」


「大丈夫。お母さんは助かるよ。君もこれを少し飲んで」


 ポーションを追加でもう一本購入し、小鈴は棍棒で殴られたことで少しだけ傷付いていた子供に渡す。


 子供の傷が少ないのは、母親が庇ったからだろうか。


 その分、母親の傷が心配だが、ポーションの効果はすぐに現れる。


 ぐったりとしていた母親の目に生気が戻り、無事な子供の姿を見つけるとその体を強く抱きしめたのだ。


「あぁ、大樹、大樹! 無事だったのね! 良かった!」


「お母さん、苦しいよ! そっちのお姉ちゃんが助けてくれたんだ!」


「え! あ、すみません! ありがとうございました! 本当に、本当にありがとうございました!」


「いえ、治ったようで良かったです!」


 恐縮して何度も頭を下げる母親に、小鈴は助かって良かったと笑顔を見せながらも、その胸の中に一抹の不安のようなものを抱えていた。


 そして、その不安がどうしても消えてくれない為に、小鈴は思わず謝り倒す母親に声を掛けていた。


「あの不躾なんですけど、お家は近いんでしょうか? こんな事があった直後だと不安だと思うので、何でしたら送りますけどどうでしょう?」


「え? 本当に良いんですか?」


 母親はどこか恐縮した雰囲気だが、ここは有無を言わせずに送り届けるべきだろう――と小鈴の直感が告げる。


「はい、治ったとはいえ心配ですから。ちゃんと送り届けますよ」


「それじゃ、お願いしちゃおうかしら……」


 かくして小鈴は母親とその子供を無事に彼女たちの家まで送り届けたのだが、世界中で同時多発的に起こった似通ったような異変は、その日の夕方のニュースで大々的に取り上げられることになるのであった。


 曰く、『世界がダンジョンへと変貌した』と――。

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