第108話 越後の昇りリュウ⑩

 ★


「……ここは?」


「起きた?」


 隆治が次に目覚めた時、目の前には見知らぬ天井が広がっていた。


 木目調の天井に四角い釣り下げ型の照明がぶら下がっており、どこか田舎の祖父母の家を想起させる。


 だが、意識を取り戻すと共に掛けられた声に、此処が祖父母の家ではないとすぐに理解させられた。


「六席……。ということは此処は……」


「私の家。色々と事情があってとりあえず此処に連れてきた」


 スーパースター周藤隆治の変貌の件は驚きを以て撮影スタッフに受け入れられた。


 当然のように撮影は中止。


 隆治自身は殺人未遂で訴えられてもおかしくはないのだが、ダンジョン内での出来事は証明するのが難しいのと、被害を受けた沙耶に訴える気がなかったために事件として成立することはなかった。


 そんな理由と芸能界での隆治の立場を考え、この一件に関わった人間には箝口令が敷かれている。


 とはいえ、関わった人間が多い分、いつまでこの事件が秘されるか。


 そもそも隆治は超売れっ子の芸能人であり、テレビに暫く出ないというだけで色んな人間に噂されることは間違いない。


「色々……」


「周藤隆治の傷が割りと軽症で入院するまでもないこと。入院するにしてもすぐに身バレしてファンが近隣に迷惑を掛けることが予想されること。あと、もう一度化け物になる可能性があるかもしれないってことを考えると戦える人間が近くにいた方が良いってこと」


「俺は……、そうか……」


 何となく視線を下ろして確認する自分の身体には絡み付く筋肉の塊のようなものがなくなり、見慣れたいつもの身体に戻っていることが窺える。


「私たちと戦った記憶はある?」


「あぁ」


 絶の問い掛けに隆治は力無く肯定する。


 あの時の自分はまるで自分では無かったようでありながら……根本的な部分では自分であったのだと隆治は思う。


「人を傷付けたことも、小島さんを殺そうとしたことも覚えている。でも、言い訳かもしれないけど、俺は普段から人を殺したいと思っていたわけじゃないんだ。俺はただ誰にも負けたくなくて……」


 行き過ぎた勝利への渇望、芸能界のトップを取ったという自負、成功を収めたことによる圧倒的な自尊心――。


 恐らく、虫にはそんな気持ちを増長させるような作用があったに違いない。そして、芸能界でトップアイドルとして君臨する内はまだ良かったが、絶や沙耶と出会うことで自分が実はそんなに強くないのではないかと疑い始め、それをきっかけとして虫が活性化してしまい、彼を修羅へと変えてしまったのではないだろうか……隆治に虫を食わせた白髪頭の言葉を鑑みるに、隆治はそう思うのである。


「俺はただただ勝ちたかったんだ……。それがこんな事になってしまうなんて……」


「周藤隆治の実力がどうこうについては私にはよく分からない。けど、ひとつ分かったこともある」


「え?」


「あなたは心が弱い」


 人を妬んだり、羨んだり、誰かに勝ちたいと思ったり、負けたくないと思ったり、それらは人間として当たり前の感情だ。


 そして、人は精神の円熟と共にそれらを制御する術を覚える。我慢をするだとか、忘れるだとか、別のもので補うだとか、努力をするだとか、その方法は千差万別だが人はそういった感情に折り合いをつけて大人になるのだ。


 周藤隆治の心はまるで子供だ。


 気に食わないから癇癪を起こして、暴れる子供の精神に近い。


「禅でもやって、少し自分を内から見直すべき」


 それだけを言い置いて、絶は隆治の傍らに置かれていた水の張られた洗面器を持って何処かへと行ってしまうのであった。


 ★


「禅……。禅? 座禅をすれば良いんだろうか?」


 身を起こすと多少の気だるさはあったものの、身体のどこにも痛みはない。


 絶は軽症だと言っていたが、そもそも怪我自体していないようだ。


 どうやら激しい身体の損傷は、あの再生する肉虫が治してくれたらしい。最悪なことばかり引き起こした肉虫だが、そこだけは感謝だなと、隆治はそんなことを考える。


 八畳程度の和室に面した障子戸を開けると、そこは縁側だったらしく長い廊下が続いている。そして、目の前には良く手入れの行き届いた日本庭園が広がっている。視界一杯に広がる緑に心を癒されながら、隆治は縁側に座って座禅を組み始めていた。


(自分の内を見直す……)


 すっと目を閉じ、外界の情報を遮断する。


 隆治の脳裏に浮かぶのは、沙耶や絶との戦い――。


 だが、そこに楽しいという感情はない。


 何か別のものに引っ張られているような不快感が残るのみだ。


(違う。そうじゃない。もっと根本を見つめ直すんだ……)


 人の上に立ちたい、勝ちたい、負けたくないという思いが強くなったのはいつのことだろう。


 それは確か、芸能界に入って暫くしてのことだと思う。


 頭も良くて、運動も出来て、顔も良くて、人当たりの良かった隆治は家族がひっそりと応募していたアイドル事務所の面接にあっさりと合格した。


 そして、同年代のアイドルの卵たちと歌やダンスの練習を行っていたのだが、隆治はあまりに出色に過ぎた。


 少しやれば、すぐに何でも出来るようになってしまい、逆に周囲に教えて回るその姿は学ぶ側というよりも教える側だ。そんな面倒見の良い隆治についた渾名は師匠マスター。歌やダンスの講師よりも師として機能していたというのだから笑えない話だ。


 その後、先輩芸能人のバックで踊ったり、バックコーラスをしたりもしたが、何かと隆治は目立ってしまう。それもこれも一人だけパフォーマンスの質が高過ぎるためなのだが、それと比較される方はたまったものじゃない。隆治を従えていたはずの先輩アイドルは隆治をバックに置くのを嫌がり、一時期隆治が干されてしまうという珍事も起きた。


 そして、隆治の扱いに困った事務所は、最終的に隆治をさっさとデビューさせてしまうことにした。


 かくして、始まる隆治の快進撃。


 歌番組から始まり、バラエティーにドラマや情報系番組のコメンテーターまで、ジャンルを問わずに仕事を引き受け、その悉くを完璧にこなしてしまう恐ろしい新人の出現だ。おかげで一般人の隆治に対する認知度が飛躍的に上がり、番組のMCや映画の主演のような大きな仕事も舞い込むようになった。


 その頃からだろうか。隆治が芸能界の大御所と並び称されるようになったのは――。


 若くして大御所というのもおかしなものだが、隆治は自分にはその地位ポジションが合っていると感じていた。何より、ファンがそれを望んでいるのを感じていたのだ。


(それから、俺はファンが望む周藤隆治をずっと続けてきた……)


 完璧で弱点などなく、全てにおいてプロフェッショナルで一流の人間。


 それが、周藤隆治という存在なのだ。


 ――そんな人間などいるはずがないのに。


(俺にだって当然無理なことはある。だけど、そこはテレビの力を借りて上手く編集してもらって、俺は完璧な男として常に君臨し続けた。いや、君臨せざるを得なかった。皆がそう望むから……)


 だから、負けたくなかったのだろうか?


 だから、絶対に勝たなくてはならなかった?


 ファンと自分が作り上げた周藤隆治像を壊したくなかったから?


(違うな)


 そうじゃないと唇を一文字に引き結びながら隆治は否定する。


(自分が負けたくない、勝ちたいと思っていたのは――、……恐れていたからだ。皆が思う周藤隆治像を失うのが怖くて怖くて仕方がなかったからだ……)


 隆治はようやく自分の本質に気付く。


 確かに自分は要領良く何でも出来るような男かもしれない。


 だが、その実、傷付くことを恐れ、壊されることを恐れ、逃げるようにして勝利を積み重ねてきたのだ。


 負けたら今まで積み上げてきたものが崩れるかもしれないから、だから隆治は勝利に固執した。上になることに固執した。負けたくないと固執した。


(俺は……、俺の本質は臆病者だ……。だから、六席は俺を弱いと……)


 最初に受けた探索者資格試験だってそうだ。


 隆治は白髪頭と被害者を前にして、白髪頭に立ち向かうでもなく、被害者に寄り添うでもなく、逃げることを選択した。


 それは彼の根底がどうしようもなく臆病だからだろう。


 そして、そんな臆病を隠す為に虚飾が崩れることを良しとしなかったのが周藤隆治という男だったのだ。


 ……なんと矮小な男だろうか。


「そんな俺が芸能界の頂点? はは、笑える――」


「座禅の最中にお喋りは感心しませんね」


「小島さん!?」


「横、座りますよ? んしょ」


 縁側に足を放り出して、隆治の隣に沙耶が座る。目を瞑っていたとはいえ、沙耶の接近に全く気付かなかった辺り、流石は小島沙耶というべきか。


 そんな沙耶にちらりと視線を向けつつ、隆治は探るように言葉を吐き出す。


「あの、えぇっと、その節はすみませんでした……」


「あぁ、大丈夫ですよ。あの時はわざと死ぬつもりでしたので、お気になさらず」


 そう言われて気にするなという方が無理があるだろう。


 だが、沙耶はのほほんとした態度で縁側で日光浴を開始する。前髪で表情こそ見えないが本当に気にしていないようだ。唯一、そこだけが気掛かりだった隆治はホッと胸を撫で下ろす。


 そして、そんな自分にまた矮小なものを感じて、隆治は自己嫌悪に陥る。


「表情が冴えませんね」


 そんな隆治の表情を読み取ったのか、沙耶がそんな風に水を向ける。


 お恥ずかしい限りですとばかりに隆治は頭を掻き、絶に座禅を組んで自分を見直せと告げられたことを沙耶に語っていた。


「姫がそんなことを言ったんですか?」


「はい。それを受けて自分を見つめ直した結果、俺は自分が酷く臆病な存在だと気付きました。小島さんや六席に勝ちたかったのも、誰にも負けたくなかったのも、負けてしまったら俺が築き上げてきた周藤隆治という偶像が壊れてしまいそうで……。それが怖くて必死になって足掻いて……。結果、小島さんを殺そうとしてしまった。虫のせいもあるでしょうが、その根本の原因は俺の中にある弱さが原因です。許されることではないのは分かっています。でも、謝らせて下さい。本当にすみませんでした……」


「いいんじゃないですか」


「はい……?」


 だが、沙耶から返ってきたのはとても気楽な返事だ。気負いなど何もない。それこそ、隆治に殺されてしまったことさえどうでも良いかのように言葉を紡ぐ。


「人間ですから。積み上げてきたものが壊れるのを恐れるのは普通ですよ」


「ですが……」


 それを恐れたとしても、人を殺す理由にまで発展してしまうのは心の弱さが原因ではないだろうか。隆治はどこか納得できない様子で口を噤む。


「それに、多分、それは周藤さんが積み上げてきたものじゃないと思うんですよね」


「え?」


「先程、言いましたよね。偶像だって。それって貴方が積み上げたというよりも貴方の周りが勝手に積み上げたものじゃないんですか。貴方はそれに応えようとして頑張って――、それがいつしか重圧になって――、脅迫観念になってしまって――、切羽詰まってしまったら殺人にまで至るかもしれない」


 沙耶はそう言って、口元だけでふふっと笑う。


「それが心の弱さだというのなら、姫の言う通り心の弱さでしょう。でも、あなたはその心の弱さをいち早く見つけて認識した。本当に心が弱い人なら、自分の心の弱い部分と向き合おうとはしません。だから、あなたの心は本質的には強いんでしょう。ただ、今まで鍛えてこなかっただけで」


 縁側を涼しい風が吹き抜け、沙耶はそよぐ髪を片手で押さえる。沙耶の良く通る声は隆治の耳だけでなく、彼の心にまで鋭く突き刺さった。


(弱い心の自分――。そんな自分から脱却するためには、まず自分が弱い心の持ち主だと自覚するところから始めなければならないということか……)


 自惚れも、傲慢も、偶像も――全てを捨てよう。


 そして、一から始めるのだ。


(弱い自分の心を自覚した周藤隆治という弱い人間から始めよう。そこからどうなるかは分からないけど……)


 もう一度、栄光を掴み取れるか、それとも芸能界から姿を消しているか。それとも、それとも……。


「やはり、あなたは本質的に強いですよ。先程よりも良い顔をしている」


 決意を固めた隆治の表情を見て、沙耶が微笑む。


(さて、越後で目覚めたリュウは果たして昇り龍となるか、伏龍となるか――)


 どこか浮つく気持ちを抑え、沙耶はそんなことを考えるのであった。


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 ●おまけ ~風雲タケちゃんランドでの一幕~●


「えー!? タケちゃん、周藤君に会ったの!? お母さんがすっごいファンなんだよー!?」


「ふむ。ならば、サインのひとつでも貰ってくれば良かったか」


「そうだよ! もーッ!」


 ※なお、周藤隆治の名前は第十七話の時点で既に出ていた模様。

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